波が黒い石を鳴らした。
ソジンの言葉は、風に押されても流されなかった。十八年前の台風の日、ここで待っていた人間を知っている。そう言ったあと、彼は濡れた黒い岩を見つめたまま、長く黙っていた。
テオは急かさなかった。内ポケットの布袋が、白衣の下で小さく重かった。ユン・ミンホの名札。叔父の朱印。旧暦の日付。紙の上では証拠でも、ソジンの前ではまだ一人の名前だった。
「僕です」
ソジンは低く言った。
「ここで待っていたのは、僕です」
テオは一瞬、波音を聞き違えたのかと思った。十八年前なら、ソジンはまだ幼い。台風の夜に浜で誰かを待つには、小さすぎる。
「父が帰ってくると言われていました。港は危ないから家にいろ、と。でも、母はもう泣いていて、近所の大人たちは誰も僕の顔を見ませんでした。僕は、ここなら父が見えると思って、抜け出してきました」
声は平坦だった。感情を削り落としたように、低く、同じ高さで続いた。だが両脇に下がった拳は固く握られ、関節だけが白く浮いていた。
「ユン・ミンホは、僕の父です」
テオは息を吸った。驚きはあった。だが完全な意外ではなかった。名札を見た時のソジンの顔、処方箋を拾った時の沈黙、老人たちがその名を口にした瞬間の硬直。答えはずっと彼のそばにあった。
「……知っていたんですか」
「名前だけは」
ソジンは短く答えた。
「父の名前を知らずに育ったわけじゃありません。でも、父がどう死んだのかは、誰も教えてくれなかった」
沖で白い波が崩れた。黒い石の間へ泡が入り込み、引く時に細かな音を残す。
「船着き場の事故だとだけ言われました。四人が死んだ。父も、その中にいた。だから聞くな、と」
「公式記録では、四人です」
テオは言った。言わずに済ませるには、もう遅かった。
「キム・ヨンス、オ・ギョンスク、パク・チャンホ、チャン・ドンソプ。死亡診断書も事故記録も、その四人で処理されています」
「でも、先生の叔父さんの記録には、父の名前があった」
テオは内ポケットから布袋を出した。風で砂が入らないよう体でかばいながら、金属の名札を掌に載せる。曇った光の下で、刻まれた文字が冷たく浮いた。
ユン・ミンホ。
ソジンの視線がそこへ落ちた。触れる寸前で、彼の指は止まった。
「触っても、いいですか」
「はい。ただ、落とさないように」
ソジンは両手で名札を受け取った。重いものではない。それなのに、肩がわずかに沈んだ。裏を返し、細い油性ペンで残った「三、十七」を見た瞬間、喉が小さく動いた。
「これ、父のものなんですね」
「叔父の印が押されています。処方箋の半分にも同じ名前がありました。薬品払出台帳には、消されかけた五人目の処置記録が残っています。点滴セット、乳酸リンゲル、右前腕の静脈路確保」
テオは防水袋に入れていた手帳を開いた。保健支所で照合した港の気象日誌の写し、叔父の綴りから書き抜いた日付、老人たちが玉石浜でつぶやいた旧暦三月十七日を並べる。
「旧暦の日付は、老人たちの記憶に残っていた日です。ただ、叔父は西暦の日付も残していました。十八年前の九月、ドレ島全域に台風特報が出た日。気象日誌の特報発令、港の欠航記録、公式の船着き場事故の日付。全部、同じです」
ソジンは手帳を見た。風速、気圧、欠航、特報。無機質な数字の中に、幼い彼がこの浜で待っていた夜が閉じ込められている。
「つまり」
声が少しだけ掠れた。
「父は、事故の現場で終わったんじゃない」
「少なくとも、叔父の記録では、保健支所まで運ばれています」
テオは名札を見た。
「五人目の患者として」
ソジンの拳がまた閉じた。今度は名札を傷つけないよう、指先だけで押さえていた。
「だったら、どうしていないんですか」
答えはテオの中になかった。
「どうして四人だけなんですか。どうして父の名前だけ、事故記録からも、死亡者の名簿からも消えたんですか。先生の叔父さんは父を見たんでしょう。処置したんでしょう。それなら、どうして」
言葉の最後は波に切れた。怒鳴ってはいない。それでもその問いは、テオの胸の奥を真正面から押した。
「今の記録だけでは、分かりません」
そう答えるしかなかった。
「でも、分からないままにはしません」
ソジンはしばらく名札を掌に載せたまま、黒い岩の根元を見た。以前、古い花束が置かれていた場所だった。枯れた茎の細い繊維が、石の隙間にまだ残っている。
「僕は、ずっと聞きたかったんです」
声の高さは戻っていた。平坦すぎるほど平坦だった。
「母に聞いたことがあります。父は最後に何を言ったのか。どこで死んだのか。体はどこへ運ばれたのか。母は、僕の頭を撫でて、もう寝なさいと言いました。それきり、同じことを聞くと泣くようになった」
テオは黙って聞いた。
「グムレさんにも聞きました。あの人は怒りました。子どもが聞くことじゃない、と。ハン所長にも一度だけ聞いた。保健支所で転んで膝を切った時です。父は痛かったのかって」
ソジンの喉が動いた。
「ハン所長は、消毒の手を止めました。少しだけです。でも、止めた。それから、すまない、と言った。答えじゃありませんでした」
テオは叔父の顔を思い出そうとした。潮に焼けた横顔。患者の名前を紙に残し、必要な紙を燃やし、それでも最後まで机の前にいた男。ソジンの膝を消毒しながら、どんな顔で謝ったのか、テオには分からなかった。
「島を出ればよかったんです」
ソジンは名札を見つめたまま言った。
「高校の時も、軍隊から戻った時も、何度もそう思いました。本土で働けばいい。港の仕事じゃなくてもいい。でも、出ようとすると、いつも同じところへ戻るんです。父がどこで終わったのか知らないまま、僕だけがこの島を離れていいのかって」
初めて、声の底が揺れた。
「だから僕は残ったんです。運転手でも、使い走りでもない。父の名前を、どこかで誰かがうっかり口にするのを待っていた。馬鹿みたいでしょう」
「馬鹿ではありません」
テオはすぐに言った。自分でも驚くほど、返事は早かった。
「名前が消されたなら、待つしかなかった人もいます」
ソジンは顔を上げた。目は赤かったが、涙はなかった。
「先生は、見つけられますか」
テオはすぐには答えられなかった。医師としてなら、できることとできないことを分けられる。検体を保存し、日付を照合し、症状を追うことはできる。だが十八年前の一人の父親がなぜ消されたのか、その夜に誰が何を隠したのかを、この場で断言することはできなかった。
それでも、黙ったままではソジンの問いをまた島の沈黙の中へ戻してしまう。
「見つけます」
テオは言った。
「今、答えはありません。でも、名札と処方箋と台帳があります。日付も一致しました。ユン・ミンホさんは、いなかった人ではありません」
ソジンの指が、名札の縁をそっとなぞった。
「父は、患者だった」
「はい」
「誰かの紙の都合で、消していい名前じゃなかった」
「そうです」
その時、浜の上の方で小石が転がる音がした。
テオは反射的に振り向いた。干物小屋へ続く斜面の途中、背の低い松の陰に人影があった。曇った午後の光でも、その肩の重さは見間違えようがなかった。チェ・ドゥシクだった。
ドゥシクは二人が気づいたと分かると、顔をこわばらせた。声は届かなかった。だが彼の視線は、ソジンの掌の名札に刺さっていた。
「チェさん!」
ソジンが一歩踏み出した瞬間、ドゥシクは身をひるがえした。濡れた石を蹴る音が斜面を駆け上がり、干物小屋の裏へ消える。テオは布袋を握りしめるソジンの横で、精米所へ続く細い道を見た。
逃げたのではない。あの顔は、次に何が掘り起こされるかを知っている顔だった。