「今すぐ出せ!」
黒衣の武人の叫びに、山門前の弟子たちが一斉に動きかけた。血まみれの農夫は肩からずり落ち、土の上に膝をついた。額の血は派手に流れていたが、息は乱れすぎていない。俊瑞はその点を見逃さなかった。
趙傑が剣の柄に手をかけた。
「聞いただろう、白岩村だ! ぼやぼやしていたらまた奪われる!」
「全員は出しません」
俊瑞の声は低かった。趙傑の顔が赤くなる。
「また紙か。村が焼けていると言っているんだぞ!」
「だから確認します」
俊瑞は掲示板から乾ききらない巡察表を外し、黒衣の武人ではなく農夫の前にしゃがんだ。世琳はすでに横へ回り、農夫の足元を見ていた。小平は布を持って走ってきたが、俊瑞が目で制すと、額の血だけを押さえた。
「名は」
「は、白岩村の、田、田安だ」
「山賊は何人見た」
「二十……いや、三十はいた。もっとかもしれねえ」
趙傑がいら立った声を出した。
「多い。すぐ出るべきだ」
俊瑞は農夫から目を離さなかった。
「見た場所は」
「村の西の畑だ。倉へ火をつけて、家にも……」
「倉はいくつ燃えた」
「三つ。いや、二つ……大きいのが燃えて、小さいのも」
「白岩村の倉は、村のどちら側にある」
農夫の喉が鳴った。
「に、西だ。いや、川の方だ」
世琳の目が細くなった。白岩村に川はない。竹林の先に小さな井戸と石灰の崖があるだけだった。
黒衣の武人が前へ出た。
「怯えている者に何を細かく聞く。山賊は今も村にいる!」
俊瑞はその男を見上げた。
「黑雲館は、なぜ白岩村にいたのですか」
「巡察だ。近在を守るのは我らも同じだ」
「襲撃を見たなら、なぜ自分たちだけで対応しない」
男の顔が一瞬こわばった。
「数が多い。流河門も近い。助けを呼ぶのが筋だろう」
趙傑が舌打ちした。
「筋だろうが罠だろうが、村に被害があるなら行くしかない」
「行きます」
俊瑞は立ち上がった。
「ただし確認組だけです。世琳、郭進、外堂から足の速い弟子を一人。白岩村へ脇道で向かう。山賊、火災、住民被害の有無だけ見て戻れ。交戦は避けること」
趙傑が詰め寄った。
「三人だと? 二十人以上の山賊がいると言っただろう!」
「報告の数が揺れています。建物の位置も違う。本隊を動かす理由には足りません」
黒衣の武人が鼻で笑った。
「流河門は、人の血を見ても動かぬのか」
「動いています。確認のために」
俊瑞は農夫の草鞋へ視線を落とした。世琳がその前に屈み、指先で草鞋の裏の泥をこすった。乾いた赤い土が爪に付く。白岩村の黄土畑の色ではない。黑雲館裏山の赤土に似ていた。
世琳は短く言った。
「白岩村の土じゃない」
農夫の肩が跳ねた。黒衣の武人が顔をしかめるより早く、都賢九が大きな身体で一歩前に出て、門から外へ逃げる道を塞いだ。
俊瑞は巡察表を広げた。
「本隊は南郊の近接拠点を維持します。趙傑は第二組を連れて待機。都賢九は中央。小平は医薬箱を二つに分ける。郭進、確認組の復帰時刻を板に書け」
「俺に命じるな」
趙傑は低く吐いたが、韓白林の姿が廊下の端に見えると、それ以上剣を抜かなかった。門主は何も言わず、ただ俊瑞の表と農夫の草鞋を見た。
世琳たちはすぐに出た。白岩村へ続く竹林の脇道は、夕暮れの影で細く沈んでいた。彼女は先頭を走り、足跡を拾いながら何度も止まった。山賊が大人数で通った跡はない。荷車が慌てて引かれた轍もない。畦の草は踏まれず、煙の匂いも風に混じらなかった。
半刻後、白岩村は静かだった。
井戸端では老婆が洗い物をしており、子供が石を蹴って遊んでいた。倉は閉じられ、家々の屋根にも焦げ跡はなかった。村長は世琳の問いに驚き、山賊どころか黑雲館の者も来ていないと答えた。
「流河門の夜間拠点が近くなったと聞いて、安心していたところだ」
世琳は余計な挨拶をせず、倉の数、住民の人数、火災なし、負傷者なしと板へ刻んだ。郭進が村の入口で足跡を見つけた。二人分。来て、すぐ引き返している。赤い泥が残っていた。
「黒衣の二人だと思う」
郭進が言った。
世琳はうなずいた。
「戻る」
同じ頃、流河門の南郊拠点では本当に叫び声が上がっていた。荷車三台を連ねた商団が坂道で車輪を折り、一台が横転したのだ。積み荷は薬材と布。日暮れの道で散れば、野盗に拾われるには十分すぎる量だった。
近接待機に残っていた本隊は、白岩村へ空振りに出ていなかった。
俊瑞は報告を受けるとすぐ南郊へ向かった。都賢九を坂下に置き、倒れた荷車がさらに滑らないよう丸太で車輪を押さえさせる。趙傑には周囲の藪を警戒させ、小平には負傷した御者の足を縛らせた。郭進の代わりに残っていた弟子が、荷箱の数を読み上げる。
「布箱十二、薬材箱四。ひとつ破損!」
「破損箱を中央へ。薬材を先に覆え。布は盾になる」
俊瑞が短く命じると、弟子たちは役割紙のとおり動いた。趙傑は不満げに藪へ向かったが、そこで潜んでいた二人組の野盗を見つけ、剣の峰で叩き伏せた。もし本隊が白岩村へ向かっていれば、商団の荷は坂道に散り、負傷者は夜まで待たされていただろう。
商団の男は青ざめた顔で何度も頭を下げた。
「助かった。流河門がこの時刻にいるとは思わなかった」
俊瑞は礼を受けず、荷箱の数と負傷者の処置時刻を書いた。清水村で失ったものが、別の場所で形を変えて戻ったわけではない。だが少なくとも、今日守れるものは守れた。
夜が濃くなる前、世琳たちが戻った。彼女の報告は短かった。
「白岩村、被害なし。倉も家も無事。村人の負傷なし。黒衣二人分の足跡だけ。赤泥」
農夫はすでに門脇で座らされ、額の傷も浅いことが分かっていた。問い詰めると、黑雲館の裏手で銀子を渡され、流河門を白岩村へ走らせろと言われたと震えながら白状した。黒衣の武人は、残った弟子たちに囲まれたまま逃げ場を失い、顔を青くしていた。
趙傑は黙っていた。南郊で助かった商団の荷を見た後では、即時出動を叫んだ自分の言葉がそのまま重く返ってくる。彼は農夫を睨んだが、剣には触れなかった。
韓白林が低く言った。
「処分は後だ。記録を残せ」
「はい」
俊瑞は白岩村の欄へ「偽報」と書き、南郊の欄へ「本被害」と書き分けた。さらに、偽報者の草鞋の泥、証言の食い違い、黑雲館武人の同行、同時刻の南郊転覆を一枚にまとめる。信頼を削る策は、空振りだけでなく、本当の現場を遅らせるためのものだった。
その時、世琳が近づいた。彼女はいつもの報告よりさらに声を低くした。
「帰り道で、もう一つ見た」
俊瑞の筆が止まった。
「何を」
「黑雲館の偵察者。流河門の伝令木牌を持っていた。木の葉を上に当てて、文様を押し写していた。何度も、丁寧に」
周囲の空気が冷えた。木牌の文様は、伝令の真偽を示す最後の印だった。
世琳は爪の間に残った赤い泥を見せた。
「追おうとした。でも相手は二人。片方は、写した葉を筒に入れて北へ走った」
俊瑞はゆっくりと掲示板を見た。そこには、交代時刻、拠点、伝令経路が整然と並んでいる。守るために整えた線が、敵に写されようとしていた。
韓白林の目が細くなる。趙傑でさえ息をのんだ。
俊瑞は新しい紙を一枚引き寄せた。まだ墨を含ませていない筆先が、夜気の中でわずかに震えた。
「明日の命令から、木牌だけでは通しません」
そう言った瞬間、山門の外の闇で、遠い伝令笛が一度だけ鳴った。流河門の合図に似ていた。だが、最後の音の切れ方だけが、わずかに違っていた。
剣気より業務マニュアル 下級武人になった大企業代理、帳簿一冊で長老を裁く
24話 木牌偽造と北門の影
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