写真帳のページは、誰かが内側から押したようにわずかに膨らんでいた。
チョン・ウジン。
十年前の写真に後から現れたその名を、ナギョンはしばらく読めなかった。目は確かに文字を追っているのに、意味だけが胸の前で止まる。遅れて刻まれたその名前の隣で、さらに小さな黒い線がにじみ始めた。
職員が身を乗り出した。
「今度は……備考欄ですね」
古い名簿写真の右端、香典額の横にある細い空欄だった。そこに、針で引っかいたような字が浮かぶ。
病院前で手渡し、香典なし。
ナギョンは唇を開いたまま固まった。
葬儀場の受付ではない。三号室でもない。病院前。つまりウジンは、母の葬儀そのものに入れなかったか、入らなかった。けれど何かを渡していた。香典欄は空白のまま、ただ「手渡し」とだけ残されている。
「この備考は、当時の受付の方が書いたんですか」
声が自分のものではないほど低かった。
職員は写真帳と端末を交互に見た。
「通常は受付担当者が記入します。弔問記録を後で整理する時に、現金を預かった場所や確認事項を残すことがあります。ただ……こんなふうに写真の中で変わることは、ありえません」
最後の一文は震えていた。ナギョンは職員の動揺に付き合っている余裕がなかった。備考欄の短い文が、胸の奥へ鋭く入ってくる。
病院前で手渡し。
誰に。何を。
「当時のCCTVは残っていますか。追悼館の入口、駐車場、病院前の通りでも構いません。二〇一四年二月十八日から二十日までの映像です」
「十年前ですから、通常保存はもう……」
「バックアップは。外部委託でも、事故対応用の保管でもいいです」
ナギョンは畳みかけた。職員は一度受付へ戻り、管理担当者へ電話をつないだ。相談室の薄い扉越しに、低い説明と困惑した返答が漏れてくる。ナギョンはその間、写真帳から目を離せなかった。ウジンの名前は消えなかった。備考も消えない。
消えないのなら、それはこの世界で起きた事実だった。
しばらくして戻った職員は、申し訳なさそうに首を振った。
「防犯カメラの保存期限は三十日です。古いサーバーも二度入れ替わっていて、二〇一四年分の映像バックアップは残っていないそうです。事故報告も該当なしでした」
予想していた答えだった。それでも、胸の中で細い糸が切れる音がした。
「受付担当者の記録は」
「当時の委託スタッフ名簿まではありますが、退職者が多くてすぐには連絡が取れません。必要でしたら、照会申請を出していただければ」
「出します。今日中に」
答えながらも、ナギョンはわかっていた。手続きは時間を食う。郵便局の撤去は待ってくれない。過去が今も動いているなら、彼女が紙一枚を申請している間にも、別の記憶が母やウジンを削っていく。
職員は気まずげに写真帳を閉じようとしたが、すぐに手を止めた。
「少し、お待ちください」
「何か」
「この名簿の備考、今の記録番号で倉庫を確認してみます。葬儀後に返却されなかった小物や封筒が、まれに忘れ物箱へ移されることがあります。十年も前なので期待はできませんが……」
職員はそう言って、灰色の箱を抱えたまま部屋を出た。
残されたナギョンは椅子に座り直した。手のひらが冷えていた。母の遺影のページを開く勇気はもうなかった。代わりに、弔問名簿の最後の行だけを見つめた。
チョン・ウジン。
来なかったのではない。少なくとも、完全には離れていなかった。
その事実は慰めになるはずだった。十年間、自分を捨てた男だと呼び続けた相手が、葬儀の周辺にまで来ていた。母の病院代を払ったあとも、葬儀の時期まで、どこかでナギョンの周囲を離れずにいた。
けれど、胸に満ちたのは安堵ではなかった。
息が詰まるほどの罪悪感だった。
最初の葉書。たった二文。
チョン・ウジンを待たないで。彼は結局、来ない。
あれを読んだ二十三歳の自分は、ウジンを突き放した。病院にも来るなと言った。母の検査を遅らせ、説明の機会を奪い、彼の手を払った。その手は、三日後にまた金を置き、葬儀のころにも何かを渡そうとしていた手だった。
『私が、遮った』
ウジンが近づこうとするたび、彼を遠ざける言葉を現在の自分が先に投げていた。助けを求める余地を塞ぎ、善意さえ罪のように扱わせた。来ないと決めつけた未来の声が、来ようとしていた彼の足元へ壁を作った。
相談室の扉が開いた。
職員はさっきより古い、茶色い紙箱を両手で抱えていた。側面には黒いマジックで『三号室・未返却』と書かれている。蓋には埃が厚く積もり、角のテープは変色していた。
「倉庫の奥にありました。全部がイ・スンヒ様のものではなく、同じ時期の三号室の忘れ物がまとめられているようです。確認していたら……お名前が」
職員は箱の中から一通の封筒を取り出した。
白かったはずの紙は黄ばみ、端は何度も押し潰されたように柔らかくなっていた。表に、黒いペンで宛名が書かれている。
イ・ナギョンへ。
敬称も、住所もない。ただ彼女の名前だけ。硬く、少し右へ傾く文字だった。
ナギョンの指先が止まった。
十年前、何度も携帯の画面で見た短いメッセージ。『俺のことは、もういい』『検査に使え』。ぶっきらぼうで、必要なことだけ言い捨てるような文。そこにあった力の抜き方と、同じ癖が封筒の宛名に残っていた。
「開封しても」
「ご遺族のものとして扱えます。こちらで記録だけ取らせてください」
ナギョンは頷き、封筒を受け取った。紙は軽かった。けれど手首が沈むほど重く感じた。
糊はすでに弱っていた。慎重に開くと、中から二つ折りの小さな便箋と、薄い茶封筒の跡だけが出てきた。現金はなかった。受付で処理されたのか、葬儀費用へ回されたのか、今となってはわからない。ただ、便箋だけが残っていた。
広げた瞬間、消し跡が目に入った。
何度も書いては線で潰し、上からまた書き直した跡。謝罪の言葉らしきものが途中で消され、説明しようとした文も黒く塗られている。最後に残されたのは、短い二文だけだった。
遅れてごめん。
それでも、この金は受け取って。
ナギョンは息を吸い損ねた。
文字は乱れていた。急いで書いたのか、手が震えていたのか、ところどころインクが濃く溜まっている。けれど間違いなかった。あの不器用さ。謝りたいのに言葉を削り、事情を言えば相手を巻き込むとでも思ったように、最後は金だけを押しつける口調。
ウジンだった。
彼は葬儀に遅れた。あるいは、入れなかった。病院前で誰かに金を渡し、この封筒だけをナギョンへ残した。香典ではなく、母のため、ナギョンのために。自分の名を受付に残さないようにしながら、それでも完全には消えられなかった。
ナギョンは便箋を胸元へ引き寄せた。
「……捨てたんじゃ、なかった」
声はほとんど息だった。
ウジンは最後まで周囲にいた。拒まれても、名前を隠しても、病室の階へ上がれなくても、葬儀場の中に入れなくても、離れなかった。彼女の人生から消えたのではなく、彼女が見ない場所で、何度も手を伸ばしていた。
その手を、ナギョンが最初に折った。
「イ様、大丈夫ですか」
職員の声が遠くから聞こえた。ナギョンは返事をしようとしたが、喉が動かなかった。便箋の消し跡が目に焼きつく。そこには、書きたかったはずの説明があった。けれどウジンは消した。ナギョンが聞く耳を持たないと、もう知っていたのかもしれない。
それを教えたのは、未来の自分だった。
ナギョンはゆっくり立ち上がった。膝がかすかに震えたが、倒れるわけにはいかなかった。写真帳と封筒の受領記録に署名し、便箋の写真を撮り、原本を保護袋に入れてもらう。弁護士としての手順だけが、辛うじて彼女の形を保たせていた。
追悼館の外へ出ると、朝の光はもう白くなっていた。駐車場の端で、ナギョンは深く息を吸った。線香の匂いが肺から抜けず、代わりに冷たい空気だけが胸を刺した。
鞄の中には、死亡診断書、振込票の写し、そしてウジンの便箋が入っている。
母の死を示す紙。
ウジンの名を残す紙。
遅れて届いた、彼の弔意。
その全部が、最初の一通へ戻っていく。
携帯が震えた。
ミンソからだった。短い本文の下に、写真が一枚添付されている。再開発組合の告知文を急いで撮ったものらしく、紙の端が斜めに切れていた。
ナギョンは画面を拡大した。
『旧ソンブク洞郵便局 内部整理作業日程変更のお知らせ』
その下の太字を読んだ瞬間、指先から血の気が引いた。
建物内部の残置物整理および郵便設備撤去を、当初予定より一日前倒しし、明日午前五時より開始する。
郵便設備撤去。
黒い郵便受けのことだ。
続けて、ミンソのメッセージが届いた。
『先生、これ今朝掲示されたみたいです。明け方から中に入るそうです。旧郵便局、明日には触れなくなるかもしれません』
ナギョンは追悼館の階段の上で立ち尽くした。封筒の中の便箋が、鞄の底でかすかに擦れた気がした。
過去へ届く道は、母の葬儀記録より早く、ウジンの言い訳より早く、明日の明け方に外されようとしていた。残された手紙は、もう一通しかないかもしれない。
ナギョンは携帯を握りしめ、旧郵便局の方角へ顔を向けた。今度こそ、恨みではなく事実を書かなければならなかった。だがその前に、彼女は取り返しのつかない問いを飲み込んだ。
もし次の一通を間違えれば、今度こそウジンは本当に戻れなくなる。
受取人、10年前の私へ。どうか一人で消えようとする彼の手を離さないで
17話 六時間早い黒い郵便受け
次の話