金属管の奥で、無数の喉がいっせいに息を吸った。
ヘジュンの指がようやく離れた。手袋の表面には白い霜のような粉がつき、触れていた三本の指だけが自分のものではないみたいに鈍かった。彼は声を出さずに後退し、壁へ肩をぶつけた。
階段上でソユンがよろめいた。
「……っ」
声になりかけた息を、彼女は両手で押し殺した。けれど膝から力が抜け、階段の縁へ倒れかけた。ミンソが一歩で距離を詰め、黒い髪を揺らして彼女の肘を支えた。
「吸わないで。浅く」
短い声だった。返事ではなく指示。小屋が拾う前に切り落とすような低さだった。
ミンソは古い救急箱を引き寄せ、錆びた留め具をこじ開けた。包帯、変色したガーゼ、割れた消毒液の瓶。その下から、ビニール袋に入った簡易マスクと、黄ばんだ指先用の酸素飽和度測定器が出てきた。二、三十年前の物にしては形が新しかったが、液晶の縁は湿気で曇っていた。
ヘジュンはそれを見て、ここが本当に救護所だった時間を思った。助けるための道具が、助けられなかった者たちの荷物の上でまだ残っていた。その事実が、地下室の空気をさらに重くした。
ミンソはソユンの顔へマスクを当て、顎の下で紐を締めた。ソユンは抵抗しなかった。目だけが金属管のほうを向き、そこから離れなかった。彼女は母の葬式の日の匂いを思い出したのか、あるいはもっと別のものを聞いたのか、唇を噛んだまま震えていた。
測定器がソユンの指を挟んだ。
液晶は一度真っ暗になり、次にかすれた数字を浮かべた。九七。九六。そこで止まるかと思うと、九四へ落ちた。さらに九三。ミンソの眉が動いた。警告音は鳴らなかった。鳴るほど電池が残っていないのかもしれない。ただ数字だけが、正常と危険の境目を行き来するように不安定に揺れた。
ジェヒがすばやくメモ帳を開いた。
『ガスの影響はあり得ます』
『廃酸・重金属スラッジ・換気不良』
『幻覚、呼吸困難、判断力低下』
彼女はそこでペンを止め、金属管を見た。継ぎ目の暗がりには、もう赤い唇のようなものは見えなかった。ただ錆と黒い粉と、乾ききらない湿り気だけが残っていた。
ジェヒは続きを書いた。
『でも、今の音は説明できません』
『全員が同時に聞いた』
『管内の気流だけではない』
ヘジュンはその文字を読み、浅く頷いた。頷くだけで喉が鳴りそうになり、慌てて息を止めた。金属管は黙っていた。黙っていることが、かえって聞き耳を立てているようだった。
本物のドユンは階段の三段目で、顔を青くしていた。自分の声を外で聞かされ続け、今度は管の中にまで感じたのだろう。胸のカメラはまだ点いていたが、彼はもう画面を見ていなかった。喉を押さえた指が、皮膚へ食い込むほど白くなっていた。
ヘジュンはドユンの肩をつかみ、階段から離そうとした。ドユンは最初、動かなかった。目だけが管の継ぎ目に吸い寄せられていた。ヘジュンは力を強めず、反対の手で自分の胸を叩き、それから地下室の奥を示した。離れる。今は離れる。
ドユンの瞳がようやく揺れた。
彼は足を引きずるように一段下り、壁際へずれた。だが二歩目で体が傾いた。ヘジュンが支えなければ、そのまま遺品の山へ倒れ込んでいた。古いジャケットの袖が床へ垂れ、誰かの腕のように彼の足首へ触れた。ドユンは息だけで悲鳴を上げ、ヘジュンの腕をつかんだ。
ミンソが視線だけで、彼を座らせろと命じた。ヘジュンはドユンを壁際へ下ろした。ソユンの数字は九五へ戻り、また九四へ落ちた。ミンソはマスクを押さえ直し、階段上へ戻らせず、その場でしゃがませた。
そのあいだも、外のドユンは黙っていた。
さっきまであれほど喋り続けていた声が止まっていた。罵倒も、誘いも、軽口もなかった。沈黙は救いではなく、次に何を使うか考えている間の空白に思えた。
ドユンが震える手でメモ帳を探った。スマートフォンではなかった。紙のメモだった。液晶に勝手な文字が浮かぶことを恐れたのだろう。ペン先が何度も紙を外れ、黒い点を散らした。
ヘジュンは彼の手を支えようとして、触れる寸前で止めた。自分で書かせるべきだと思った。奪われた声の代わりに、まだ彼自身が動かしているものを確かめるために。
ドユンは一行を書いた。
『俺の声が、あの管の中にもある』
その文字を見た瞬間、ヘジュンの腹の底が冷えた。
外にいる声。救急箱の無線機から流れる声。階段の上から降りてくる声。そして今、金属管の中にもある声。声は場所を移動しているのではない。小屋の中に張り巡らされた管や隙間や記録のすべてに、奪ったものを染み込ませているのだ。
ジェヒも同じことに思い至ったのか、顔を上げた。彼女の視線は金属管から地下室の奥の壁へ移った。そこにはリュックの山と、湿気で波打った壁板があるだけだった。だがオ・ギョンテクのノートの断面図では、その奥にも細い線が一本描かれていた。
ジェヒはミンソへ合図した。
『奥の壁』
『空洞の可能性』
ミンソはソユンの数字を確認し、マスクが外れていないことを見てから頷いた。ヘジュンはドユンの肩を壁に預けさせ、ジェヒの後ろへついた。声は出さず、足音も抑えた。遺品の山の前を通ると、古い靴底が湿った床へこすれ、かすかな音を立てた。
外のドユンはまだ黙っていた。
それが怖かった。
ジェヒはペンの尻で壁を軽く叩いた。こん、こん。湿った鈍い音。少し横へずらした。こん。さらに奥。こつん、と乾いた音が返った。
全員が止まった。
ジェヒはもう一度だけ、同じ場所を叩いた。乾いた反響が、壁の向こうへ小さく抜けていった。空洞だった。
ヘジュンは工具袋から薄いヘラを取り出し、ジェヒへ渡した。ジェヒは首を振り、自分ではなく壁を示した。彼は理解し、壁板の継ぎ目へヘラを差し込んだ。カビと泥で埋まっていた隙間が、少しずつ剥がれた。木の下から、赤く錆びた鉄の縁が現れた。
ミンソが一歩近づき、ライトを当てた。鉄製の引き出しだった。壁の内側に埋められ、表だけを木板で隠してあった。取っ手はなく、小さな鍵穴だけが黒く口を開けていた。
ヘジュンはオ・ギョンテクのリュックから出た小さな鍵を思い出した。ミンソも同じ記憶へ辿り着き、胸ポケットからそれを出した。鍵は湿って黒ずんでいたが、形は合いそうだった。
外のドユンが、そこでようやく笑った。
「お、そこも見つけたんですね」
ヘジュンの背筋が粟立った。誰も振り返らなかった。返事もしなかった。ミンソは鍵を鍵穴へ入れ、ゆっくり回した。ぎり、と錆びた音が鳴った。小屋全体がその音を待っていたみたいに、壁の内側で何かが吸い込んだ。
鍵は開いた。
引き出しは重かった。ヘジュンとミンソが二人で縁をつかみ、音を立てないよう少しずつ引き出した。内部から古い紙と鉄錆、乾いたインクの匂いが漏れた。毒の臭いとは違う。人が長い時間をかけて、誰かを分類した匂いだった。
中には一冊の帳簿が入っていた。
表紙は黒く、角が擦り切れ、白い紙片で補修されていた。ジェヒは触れる前にミンソを見た。ミンソは頷き、布を一枚かぶせてから帳簿を持ち上げた。重かった。紙の厚みだけではなく、中に詰まった名前の重さで沈んでいるようだった。
最初のページを開いた瞬間、ヘジュンは息を止めた。
名前が並んでいた。
ハングルの名。日付。年齢らしい数字。持ち物の欄。場所の欄。そして右端に、短い項目があった。
『応答の有無』
丸印とバツ印が、行ごとに几帳面につけられていた。丸のある名は、赤い線で二重に囲まれていた。バツのある名にも、後日らしい別の日付が追記されていた。答えたか。答えなかったか。答えなかった者を、いつ、どうやってもう一度呼んだのか。
ジェヒの指がページの上で止まった。声を出さない代わりに、彼女の呼吸だけが細く乱れた。オ・ギョンテクの名もあった。三か月前の日付。右端には丸印。その横に、小さく『記録保持』と書かれていた。
ヘジュンは吐き気をこらえた。これは救助名簿ではない。被害者の一覧でもない。狩りの記録だった。小屋が、あるいは小屋を知っていた誰かが、答えを集め、声を分類し、次に使うために残した帳簿だった。
ページをめくるたび、過去の失踪記事で見た名が現れた。家族写真の父親。古い救助要請の紙片にあった女性。身分証の顔が泥で曇った青年。みんな、ここでただ消えたのではない。呼ばれ、答えたかどうかを判定され、荷物を畳まれた。
ドユンが壁際で身を乗り出した。ヘジュンは見せまいとしたが、彼は首を横に振った。自分のことだと、もうわかっていた。
ジェヒは帳簿の最後のページへ指を進めた。
そこだけ紙が新しかった。古いページの黄ばみの中に、一枚だけ湿りを帯びた白が混じっていた。インクの匂いが、まだ立っていた。
最後の一行。
ジェヒの手が、そこで硬くこわばった。
ヘジュンも読み、ソユンもマスク越しに目を見開いた。ドユンは音のない喉で何かを叫ぼうとして、両手で自分の首を押さえた。
乾いていない黒いインクで、そこに記されていた。
『パク・ドユン、一部回収』
その瞬間、金属管の奥で、ドユンの声が小さく笑った。
外から自分の声が聞こえても答えるな
26話 音を喰らう家の告白
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