赤いランプが速まった一拍で、ドギョムは名簿から目を離さない。
マローンの親指は赤いボタンの上で震えている。押し込めば終わる。だが押せば、自分も爆風の届く範囲にいる。離せば奪われる。爆薬を人質にした男が、爆薬そのものに縛られている。
ドギョムはその縛り目だけを見る。
「キース・メイソン」
名簿にはない名だった。
マローンの眉が動く。知らない名だ。だが、知らないという反応そのものが一拍の隙になる。
「十二年前。報告書を書いた男。車両事故で処理。証拠箱、所在不明。茶封筒だけ消えた」
ドギョムは低く言い、紙束を下ろす。声は荒れない。痛みも怒りも、表面には出さない。ただ、六歩の距離を五歩へ縮める。
「その名前も、紙で消された」
「知らんな」
マローンは短く吐き捨てる。
「だろうな」
ドギョムは補助端末へ視線を落とす。右手をゆっくり開き、端末へ伸ばすふりをする。赤いボタンではない。横の細いレバー、そのさらに下の小さな表示窓。そこへ届かせるように、肩を落とす。
ジョアンの目が大きく開く。アルマが布を噛んだまま息を止める。メアリー・ルイスは自分の名を取り戻したばかりの顔で、床に膝をつけている。
マローンは足元の封筒を蹴った。
濡れた防水封筒が床を滑り、ドギョムの膝の前を横切る。同時に、マローンの左手が外套の内側へ入る。拳銃だ。端末を置いた手ではなく、買収の紙を蹴り飛ばした足でもない。もう一つの手で殺す。そういう男の動きだった。
ドギョムは待っていた。
拳銃のグリップが黒い布の間から出るより早く、彼は紙束を捨てる。左肋骨が軋む。白い痛みが胸の奥を焼く。だが、彼は痛む側へ倒れない。痛みを飲み込み、右足を半歩沈めて、マローンの懐へ潜り込む。
最初の一撃は膝だった。
ドギョムの軍用ブーツが、マローンの右膝の外側へ横から入る。踏むのではない。逃げる方向を消して、関節だけを内側へ折る。鈍い音が作業場のコンクリートへ刺さる。
マローンの体が傾く。口が開く。まだ悲鳴にはならない。膝が壊れたことを頭が理解する前に、手は拳銃を抜こうとしている。
ドギョムはその手首を取る。
親指の付け根を押さえ、銃口を床へ向け、肘の線を肩へつなげる。マローンの握った力をそのまま借りて、手首を外へねじる。拳銃が床に落ちる。次の瞬間、肩関節が乾いた音を立てて外れる。
ようやく悲鳴が上がりかける。
ドギョムは左手でマローンの外套の襟をつかみ、右手で足元の無線機本体を拾う。ラウクから奪ったものではない。三番の廃休憩室で奪った、角の欠けた黒い無線機だ。
それを、短く振り下ろす。
顎へ。
大きく振らない。殴り倒すためではなく、声を潰すための距離だ。硬い無線機の角がマローンの下顎に入る。骨の砕ける鈍い感触が、ドギョムの手首まで返る。
マローンの悲鳴は荒い呻きに潰れた。膝は折れ、肩は外れ、顎は閉じない。補助端末から親指が離れかける。
ドギョムは端末を先に押さえた。
赤いボタンは押し込まれていない。横のレバーもまだ上がっていない。表示窓には、手動連動待機、補助系統有効、残り二十一分三十八秒が点滅している。
「動くな」
ドギョムは低く言う。
マローンは呻くだけで、命令の形を返せない。だが目だけはまだ動く。殺意も取引も消えていない。痛みの底で、なお出口と人質の位置を数えている。
ドギョムは床の拳銃を拾う。弾倉を抜き、薬室の弾を手の中へ落とし、弾だけを発電機の奥へ投げる。拳銃本体は自分の背側の床へ蹴る。
次に補助端末を取る。ケーブルは発電機裏へ伸びている。無理に引き抜けば、どの線が起動するかわからない。彼は端末だけを持ち上げ、画面を見ながら坑木の脇へ動く。
鉱山用の鎖があった。古く太い鎖だが、輪の内側には新しい油が残っている。四人を縛っている鎖と同じものだ。
ドギョムはマローンの壊れた肩を引きずらない。痛みで暴れれば端末に触れる。だから、首根っこと外套の背をつかみ、折れた膝が床を擦る角度で坑木の横へ沈める。
マローンが呻く。顎が開いたままなので、言葉にならない。唾液と血が顎先から落ちる。
ジョアンは布を噛んだまま目をそらさない。アルマは震えているが、泣いていない。若い男は鎖を引きそうになり、すぐ止める。メアリーは自分の名を胸の内で繰り返すように、浅く息をしている。
ドギョムは鎖をマローンの両腕へ回す。外れた肩を使えない角度に固定し、手首を背中側ではなく、坑木の前面へねじって巻く。逃げるために力を入れれば、肩と膝が同時に痛み、端末へ届く前に体が落ちる形だ。
結び目には鉱車用の連結ピンを通し、工具袋から抜いた細いワイヤーで二重に縛る。ラウクにした時と同じではない。マローンにはまだ部下が来る可能性がある。だからほどくのに刃物が要る絡ませ方にする。
マローンの目がドギョムを睨む。
ドギョムはその前にしゃがみ、無線機で砕いた顎を見下ろす。
「生かしておく」
マローンの喉が濁る。
「新しいラベルも、新しい名前も、二度と貼れないようにな」
彼はマローンの外套を探る。予備弾倉、折り畳みナイフ、薄い衛星電話、白いカードが三枚。カードにはどれも別の名が印字されている。新しい顔、新しい口座、新しい信用。さっき床へ投げたものと同じ仕組みだ。
ドギョムはカードを割らない。今は音が要る場面ではない。全部を自分のポケットへ入れる。証拠になるものは残す。使わせないものも残す。
それから四人の鎖を見る。
「少し待て」
ジョアンが目でうなずく。待てる体ではない。それでも、彼女はうなずく。アルマはミゲルの名を口にしたい顔で、布を噛んだまま堪える。
ドギョムは補助端末の画面へ戻る。
残り二十分台に落ちている。二十一分を切った数字は、今まさに二十へ変わろうとしていた。手動連動、最奥、第二換気塔、補助回路。第一換気塔の表示は異常。彼が切った線がまだ不良として残っている。
本坑道一つ目と二つ目は、見かけ上は生きている。だが実際には沈黙している。問題は最奥と、二つある換気塔のもう一つだ。
ドギョムは親指を操作ボタンに置く。
押すべきものは赤ではない。遅延か遮断か。表示の文言は短く、業者用の省略ばかりだ。軍の爆破端末と似ているが同じではない。誤れば、崩れるのは坑木だけではなく、四人の頭上だ。
彼は息を短く吸う。肋骨が痛む。
『長く吸うな』
自分にだけ聞こえる声で、そう切る。
補助端末の画面が一度暗くなり、再表示される。
残り二十分零四秒。遅延入力欄が開く。十、二十、四十。選択肢の下に小さく、換気塔連動は個別確認、とある。
ドギョムの指が四十の上へ動く。
その瞬間だった。
坑道の奥、上方から、小さな破裂音が落ちてきた。
銃声ではない。爆薬の本体でもない。もっと乾いた、岩の裏で空気だけが裂けるような音。だが、その後に続いた振動は軽くなかった。発電機の唸りが一瞬沈み、天井の粉塵が細かく降る。
アルマが布越しに悲鳴を漏らす。ジョアンの目が天井へ走る。メアリーが鎖を鳴らしかける。
補助端末の表示が赤く変わる。
第二換気塔、異常起爆。
ドギョムは画面から顔を上げる。
二つある換気塔の一つから、小さな爆発音が深部へ沈んでいった。
法が遅すぎる町で、今日倒すべき悪党を倒す男
109話 山道出口のヘッドライト
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