数値が100へ跳ねた男は、自分の頭上を見上げたまま喉を裂くように叫んだ。
その叫びはまた糸になった。だが今度は一本ではない。彼を見た者の息が乱れ、頭上の数字が同時に赤く濃くなる。37が42へ、64が71へ、男の子の95が96へ上がった。
「離れろ! 数字が高いやつを連れて行くな!」
誰かがそう叫んだ瞬間、列は崩れた。低い数値の人間が前へ押し出され、高い数値の者が腕を払われる。母親が男の子を抱きしめると、周囲がさらに退いた。恐怖は病気ではない。だが数字にされた途端、人々はそれを感染するもののように扱い始めた。
天井の継ぎ目の奥で、黒い影が膨らんだ。霧に溶けていた薄い輪郭が、湿った布を吸い上げるように厚みを増す。悲鳴と視線と拒絶が、すべて上へ集まっていく。
ソアの右手が震えた。
「教官、あれを落とせば」
「戦闘禁止」
ユチャンは即座に切った。声に迷いはなかった。
「今攻撃すれば、全員が上を見る。恐怖値が跳ねる。こいつはそれを待ってる」
「でも、このままじゃ」
「餌を減らす。テジュン、数字の低い順に組め。動ける奴だけで十人ずつ。家族は一組にするな、手だけ届く距離で分けろ」
「家族を分けたら反発します」
「抱き合うと恐怖が固まる。視界に入る距離なら動く」
テジュンは唇を噛んだが、すぐに画面へ視線を落とした。恐怖数値が頭上に出たことで、選別は残酷なほど容易になっていた。彼は広告板の裏に番号を書き、低い者から順に指差す。
「一桁から三十台、こっち。泣いている人の横に立たないでください。手はつないでもいいです。でも顔は見ないで、僕の板を見てください」
「私は?」
ソアが短く聞いた。
「炎は外へ出すな。床へ流せ」
「床?」
「熱源として読ませるな。脅威信号を消す。金属の下へ逃がせ」
「……燃やさない。落とすだけ」
ソアは膝を落とし、掌をホームの床へ当てた。炎は見えなかった。だが彼女の周囲の霧だけがわずかに揺れ、冷えた鉄板の下で小さな熱が薄く広がっていく。彼女は熱を刃にせず、床全体へ染み込ませた。ボスが好む「攻撃」の尖りを消し、ただ老朽化した配線の残熱のように偽る。
天井の影が一度、ソアの方へ首を向けかけた。だが焦点を結べず、再び悲鳴の多い場所へ漂った。
「通った」
ソアは歯の間から息を吐いた。額に汗が滲んでいる。力を抑える方が、燃やすよりずっと苦しいのだとユチャンは知っていた。
ナリは男の子の前に膝をついていた。周囲が距離を取ったせいで、母親と子どもは小さな島のように孤立している。ナリはその輪の中へ、ためらいなく手を入れた。
「私の手を握ってください。強くていいです」
男の子は反応しない。母親の手が震えながらナリの手を掴んだ。
「この子、数字が」
「数字は今の息です。決まった名前じゃありません」
「でも、みんなが」
「今は私だけ見てください。吸って、二つ数えて、吐いて、四つ数えます」
ナリは自分の呼吸を言葉にして刻んだ。吸って、いち、に。吐いて、いち、に、さん、し。母親がそれを真似る。男の子の胸はまだ速い。ナリはもう片方の手で子どもの手を包み、指先にほんの淡い光を灯した。治す光ではない。冷たい床に落ちかけた意識を、掌の温度へ戻す光だった。
「怖いですね。怖くていいです。怖いまま、息だけ私に貸してください」
男の子の唇が震えた。声にならない息が漏れる。頭上の96が、95へ戻った。
たった一つの数字だった。だが周囲の目が動いた。誰かが「下がった」と呟く。母親が泣きながら息を吐く。男の子を避けていた女性が、半歩だけ戻った。
ナリはその女性の手も掴んだ。
「次、あなたです。肩で息をしないで。手をここへ」
「わ、私も?」
「はい。怖さを一人に集めないでください」
手から手へ、呼吸が渡っていく。ナリは治癒師ではなく、壊れかけた群衆の結び目をほどく人間になっていた。数値は急には下がらない。だが88が84へ、71が68へ、100の男の数字も99へ落ちた。
天井の影が、湿った怒りを含んで震えた。
「第一組、行きます」
テジュンが低く告げた。十人。数値は一桁から三十台、足が動く者だけ。先頭は若い駅員、最後尾は肩を貸された学生。ユチャンは列の横に立ち、視線を天井からそらさせるように言った。
「上を見るな。赤い数字も見るな。前の人間の靴だけ見ろ」
第一組が矢印板をたどった。七番柱に触れ、四番ベンチの裏を回り、広告板の陰へ消える。霧が一度、彼らを呑んだ。数秒後、非常階段の方から駅員の泣きそうな声が響いた。
「上だ! 階段、上がれます!」
ホームの空気が揺れた。希望は恐怖を完全には消さない。だが進む理由になる。第二組が自然に前へ寄った。
その瞬間、床の黄色い線が逆向きに走った。
テジュンの画面が赤く染まる。
「待ってください。非常階段の座標が反転しました」
「反転?」
「北側階段が南側へ、売店跡の通路が線路側へ移ってます。さっきの第一動線だけを通したあと、道を裏返した」
「次は」
「二つあります。でも、どっちも逆です。見えている出口へ進むと内側へ戻されます」
ホームの奥で金属のシャッターが落ちる音がした。一枚、二枚。さらに遠くで、まだ避難に使っていない連絡通路が霧に沈む。
赤い掲示板が新しい文を吐いた。
【避難路再配置】
【恐怖値上昇群を優先収容】
「ふざけるな……」
ソアの声が低く燃えた。床へ流していた熱が一瞬だけ尖りかけ、ユチャンは手を振って止めた。
「尖らせるな」
「分かってます!」
ソアは怒鳴り返しながらも、熱をまた床の下へ押し込んだ。ボスに脅威として読ませないために、自分の怒りまで薄く潰している。
テジュンは矢印板を抱えて走った。霧の奥へ行き、すぐに戻る。
「無理です。封鎖速度が上がってます。僕が動線を作るより、通路が閉じる方が早い」
「何秒差だ」
「今のままだと一組出す間に二経路潰れます。恐怖数値が上がるほど反転周期が短くなってる」
ナリの呼吸誘導で数値は少しずつ下がっている。だがパニックで崩れた全体を戻すには時間が足りなかった。天井の影はそれを理解している。戦闘を誘い、避難を急がせ、道を裏返し、人間同士に数字を見せる。すべてが恐怖を濃くするための手順だった。
ユチャンは頭上の自分の数値を見た。
表示は偽装のせいで21に抑えられている。低い。落ち着いた救助者に見える。だから影は彼を見ない。餌としても、脅威としても、まだ薄い。
『最高恐怖個体を基準に次段階』
さっきの文が脳裏で冷たく残る。
最高恐怖個体が男の子や市民なら、ボスは群衆の中心へ降りる。そうなれば避難列は潰れる。ならば、最高恐怖個体を別の場所へ作ればいい。
ユチャンは喉の奥で脈打つコアの欠片を押さえ込んだ。ラケイアの牧場で何度も使われた手だった。群れの恐怖を一匹へ集める。処刑台の上で、全員の視線を集めた囮だけが最後まで生かされる。いや、生かされるのではない。より長く搾られる。
「テジュン」
「駄目です」
まだ何も言っていないのに、テジュンが顔を上げた。丸眼鏡の奥の目が、初めてはっきり怒っていた。
「今、囮になることを考えましたよね。論外です」
「他にあるか」
「あります。作ります」
「何秒で」
「……」
「答えろ」
「今は、足りません」
短い沈黙だった。だがその間にもシャッターが一枚落ちた。
ナリがこちらを見た。彼女の手はまだ三人の生存者とつながっている。疲労で唇の色が薄いのに、目だけは逸らさなかった。
「一人に集めるなら、戻す方法も決めてください」
「戻す」
「はい。囮になって終わり、は認めません」
ソアも床に手を置いたまま言った。
「勝手に燃え尽きるなら、私が止めますから」
ユチャンは二人を見ずに頷いた。
「テジュン、残りを反対側の乗換通路へ流せ。俺に視線が向いたら、反転周期が一瞬止まる」
「根拠は」
「この手の収穫装置は、最高餌を見つけると固定する」
「経験則ですか」
「最悪のな」
テジュンは歯を食いしばり、矢印板を持ち直した。
「三十秒ください。三十秒で第二動線を組み替えます」
「二十秒でやれ」
「嫌な上司ですね」
「上司じゃない」
ユチャンはゆっくりと群衆の中央へ歩いた。肩を落とし、背を丸める。右目の紋様を奥へ沈め、偽装の向きを変えた。落ち着いた救助者ではない。逃げ遅れた、何もできない、恐怖に食い潰されかけた若い男。
肺を浅く動かす。手を震わせる。視線を泳がせる。死の演技なら、十年分の記憶がある。演技ではない震えも、そこに混ぜられる。
頭上の数字が跳ねた。
21から59へ。59から87へ。周囲の人々が息を呑む。ユチャンはさらに一歩進み、膝から力を抜いた。
「お、俺は……無理だ」
掠れた声を出す。自分でも嫌になるほど、牧場で聞き慣れた声だった。助けを求める奴隷の声。処刑台の前で、まだ死にたくないと漏らした誰かの声。
数字が98へ上がる。
天井の影が、初めてはっきりと動いた。霧の奥から巨大な顔のような凹凸が垂れ下がり、赤い点が二つ開く。ホーム全体の空気が、そこへ吸われた。
ユチャンは残った生存者たちの中で、誰よりも怯えた顔をして、ゆっくり膝をついた。
頭上の数字が100を越えた瞬間、赤い表示が壊れたように瞬き、影の視線が男の子でも母親でもなく、まっすぐユチャンだけに突き刺さった。
そして天井の奥から、濡れた黒い腕が一本、彼の頭上へ音もなく降りてきた。