地球が黒く塗った、着陸の理由だった。
イソがその意味を飲み込む前に、端末の端で別の赤がまた進んだ。航法履歴の分離完了まで残り十秒。だが居住膜の暖房制御盤では、外縁睡眠膜の致命線まで三時間二十八分と表示されている。
ラオンが通信ケーブルを抜くふりをしながら、低く言った。
「イソさん、温度の再計算結果が出ました。状況は悪いです」
「表示して」
中央画面の隅に、居住膜の熱分布図が開いた。青い格子は外縁から黄色、橙、赤へ変わっていく。着陸前の予測より低下は速い。クレーターの影で日射は消え、砂嵐が膜の表面から熱をはぎ取っていた。残った暖房コア一基と補助熱線では、膜全体を最低線以上に保てない。
ハリンが患者の足先を毛布で包みながら顔を上げた。
「低体温リスク者を中央へ寄せて。末梢が白い人は、あと一時間で戻しにくくなる」
ドヒョンは廃棄確認から手を引いた。だがそれは譲歩ではなかった。彼はすぐに指揮部の割当表を開き、家族単位と職能単位に色分けされた寝床を中央画面へ映した。
「高齢者、乳幼児、負傷者の区画だけ暖房優先に切り替える。医療班は中央。整備班と通信班は船体側。家族区画は現状維持だ」
何人かが安堵の息を漏らした。子どもを抱いた親は、離されずに済むという一点だけでその案にすがった。整備班も通信班も疲れ切っていた。自分たちの工具箱や端末の近くに座れるなら、それだけでましに見えたのだ。
イソは首を振った。
「その配置では外縁の熱損失を止められません。優先区画を暖めるほど、隣の低温区画との温度差で熱が逃げます」
「弱者を中央に置くと言っている」
「中央に置くだけでは足りません。体温を熱源として使います。高齢者と子どもを、体格の大きい成人、発熱作業を終えた整備班、歩ける軽症者で囲む。家族でも職能でもなく、体温密度で組みます」
その言葉は、膜の中に火花のように落ちた。
「うちの子を知らない男の隣に寝かせろっていうのか!」
「母は認知症だ。家族がそばにいないと混乱する!」
「整備班を断熱材にする気か。こっちは外で支柱を打って戻ったばかりだぞ!」
怒号は当然だった。イソにも、それが無茶な命令に聞こえることはわかった。だが温度は、人間の不安を待ってくれない。端末を操作し、ドヒョンの割当表の上へ熱流の線を重ねる。赤い矢印が外縁から膜の継ぎ目へ流れ、優先暖房区画の熱まで吸い出していく。
「このままなら、中央の患者も助かりません。外縁を冷たい空洞にした瞬間、膜全体が冷却器になります」
ドヒョンの顎が硬く動いた。
「狭い混合宿舎で接触トラブルが起きれば統制不能になる」
「統制を守って凍るより、狭くても生きるほうが先です」
「言葉を選べ、ハン・イソ」
「温度は言葉を選びません」
周囲が一瞬だけ静まった。イソ自身も、鋭すぎたと感じた。だが撤回する時間はなかった。外縁膜の温度は毎分〇・六度ずつ落ちている。計算上は小さな数値でも、人の体には急斜面だった。
ベルが工具を腰に戻し、暖房制御盤を確認した。
「コア二番は戻らない。主管の圧力も、まだ下がっています。漏れか閉塞か、今は見分けられません」
ミンジェが顔をしかめた。
「外へ出て配管を見たい。でも今出たら支柱の再固定と同時には無理です。人が足りません」
ドヒョンは短くうなずいた。
「だからこそ職能を崩せない。整備班は整備班として待機させる。通信班は通信班、医療班は医療班だ。勝手に混ぜれば、必要な時に誰も見つからなくなる」
その理屈は間違っていなかった。けれど正しい管理表は、低温の前ではただの紙に近い。イソはソウルの体育館を思い出した。豪雨で沈んだ半地下の住民たち。最初に争われたのは食料ではなく、風の当たらない床だった。母親の腕を離れなかった子が、最後には隣の作業員の上着の中で夜を越した。見知らぬ老人の足を、学生たちが交代でさすった。
『百回説明しても、表がある限り人は表を見る』
指揮部の机に、印刷された家族割当表が置かれていた。名前、国籍、契約企業、同行家族、寝床番号。三百六十八名は整然と収まっている。だが整然としていることと、生き残れることは違った。
イソは机へ歩いた。
「何をする」
ドヒョンが低く言った。
返事の代わりに、イソは一枚目をつかんだ。耐水合成紙は簡単には裂けない。それでも両手に力を込めると、端から白い筋が走った。
びり、と音がした。
居住膜のざわめきが止まった。イソは二枚目も破った。家族区画A、職能区画B、企業契約者予備列。そこに書かれていた境界が、紙片になって床へ落ちる。
「やめろ!」
ドヒョンの声が飛んだ。
イソは止まらなかった。破った紙の裏に、端末から抽出したリスク順の名簿を書き始める。低体温、年齢、体重、負傷、歩行可否。名前の横に別の名前を組み合わせていく。老人一人に成人二人。幼児のいる親子の外側に整備班三人。発熱が残る作業者の隣に、末梢冷感の強い患者。
「ハリン、低体温リスク者の上位三十名をください。末梢循環が悪い順で」
ハリンは一瞬だけ迷い、すぐに端末を操作した。
「送る。けれど親が離れない場合は、親ごと組み込む」
「その条件でいい」
「イソさん、内部網の名簿、重複タグが残ってます」
ラオンが言った。
「手動で消して。家族タグは参考だけ。優先は熱損失」
「了解」
ドヒョンが机を叩いた。乾いた音が膜の骨組みに響く。
「これは指揮権違反だ。正式な割当を破棄する権限は君にない」
「では、正式な割当で何人落ちますか」
「脅迫で命令は変えない」
「脅迫ではなく計算です」
イソは新しい表の左上に大きく書いた。混合宿舎一。続けて二、三、四。手袋の内側で指が冷え、ペン先が震える。それでも線は増えていった。職能を完全に捨てるのではない。生存の形へ組み直すだけだ。
子どもを抱いた女性が一歩近づき、表に自分の名前を見つけて顔をこわばらせた。
「私たちは外側? 娘を壁際にするの?」
「娘さんは内側です。あなたも一緒に入ります。外側は歩ける成人で囲みます」
「知らない人と?」
「今夜だけでも。明日の朝、また組み直します」
女性は泣きそうな顔で黙った。納得ではない。だが拒絶でもなかった。
一方で、整備班の男が怒鳴った。
「俺たちは暖房材じゃない!」
ミンジェが彼の肩をつかんだ。
「俺も入る。交代で外側に寝ればいい。文句は朝、生きてから言おう」
その一言で、整備班の輪に小さな割れ目ができた。ベルも静かに手を挙げた。
「私の班から六人、外側へ出せます。ただし、三十分ごとに呼び出せる位置にしてください」
イソはうなずき、表に印を加えた。言葉は後でいい。今は線が先だった。
ドヒョンの足音が近づいた。
「ハン・イソ。即刻やめろ」
イソは最後の列を書き続けた。高齢者、低体温、成人補助、通路側退避。ペン先が紙を滑る。彼女の中で、ダソムの黒塗りされた理由と、目の前の寝床の線が一本につながった。誰かが何かを隠せば、人は見えない規則に従って死ぬ。ならば少なくとも、この表だけは目の前で破らなければならなかった。
次の瞬間、ドヒョンの手が彼女の手首をつかんだ。
力は荒かった。ペンが紙の上を斜めに裂き、混合宿舎四の欄に黒い傷が走る。周囲から短い悲鳴が上がった。ラオンが一歩動き、ハリンが患者の毛布から手を離しかける。ベルの手は工具ベルトの上で止まった。
「これ以上は反乱と見なす」
ドヒョンの声は低かった。だが近くで聞くと、怒りの下に焦りが混じっていた。彼も温度を見ている。彼も残り時間を知っている。それでも指揮の形を手放せない。
イソは手首をつかまれたまま、中央画面を見た。赤いタイマーは三時間を切っていた。さらに下に、新しい警告が表示される。
《外縁睡眠膜三、最低温度、医療限界線まで四十七分》
四十七分。
居住膜の中で誰も動かなかった。破れた割当表の紙片が、暖房の弱い風に押されて床を滑る。イソの手首を締めるドヒョンの指は、まだ離れない。そのあいだにも、火星の夜は膜の外から確実に内側へ入り込んでいた。
そして外縁睡眠膜三の画面で、最初の生体タグが青から黄色へ変わった。
帰る船を燃やした朝、火星に憲章が生まれた
7話 混合宿舎の夜と外縁急落
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