ドギョムの指が、ワイヤーの上で止まる。
三分。
外から切れる線なら、もう切っている。だが格子下を這う黒い一本は確認線で、起爆を止める心臓ではない。心臓は内側だ。旧レール下。男の声がそう言った。
ドギョムはカッターを閉じる。膝を上げ、格子の横へ回る。新しいコンクリートの縁には、雨水の入らない細い亀裂が一本あった。昔の換気塔を塞いだあと、内側から圧で割れた筋だ。人が通る幅ではない。肩を入れれば、肋骨が削れる。
彼は短く吸う。
次の瞬間、左肩を亀裂へ押し込む。濡れたシャツがコンクリートに引っかかり、皮膚が焼けるように裂ける。肋骨の奥へ白い痛みが突き刺さるが、声は出さない。右腕を先にねじ込み、腰を落とし、片足を暗い内側へ探らせる。
下から熱い空気が吹く。錆、火薬、ディーゼル、濡れた木の臭い。前にD-3へ潜った時より、空気が荒い。坑道全体が息を詰め、どこかで燃える時を待っている。
コンクリートの縁を抜けた瞬間、足裏が宙を踏む。ドギョムは格子の内側の鉄桟をつかみ、体を落とす速度を殺す。ブーツが鉱車レールの外側の枕木へ触れ、膝を曲げて音を吸う。それでも小さな金属音が闇へ走る。
彼は止まる。
反応はない。上では雨が格子を叩き、下では発電機の低いうなりが続く。受信機は廃トラックに置いてきた。ここから先は、奪うしかない。
ドギョムはシャツの裾を裂く。濡れた布は一度では切れず、歯で噛んで引き裂く。細長い布を左肋骨の下へ回し、息を吐いたところで強く縛る。痛みが脇腹へ鈍く広がり、視界の端が暗くなる。だが肋骨が遊ばなくなれば、動ける。
『長く吸うな』
彼はもう一度だけ自分に命じ、レールに沿って低く進む。
第一換気塔の内側は、古い保守区画を無理に掘り直した狭い空間だった。コンクリートの壁には新しい穴が開き、そこから黒い導火線と赤い起爆ケーブルが束になって本坑道側へ伸びている。爆薬本体は格子の真下ではなく、レール脇の坑木に結びつけられていた。外からは見えない位置だ。
格子の内側、ライトを絞った安全帽の男がしゃがんでいる。マローンの部下だ。片手に圧着工具、片手に導火線の端。男は膝の上に小型タイマーを置き、雨で濡れた手袋を気にしながら最後の結線をしている。
「第一、二分四十。内側仕上げ」
男が無線へ言う。
ドギョムは背後の坑木の影へ入る。足元の砂利を踏まない。枕木の古い油染みだけを踏む。男の肩越しに、起爆ケーブルの色、分岐の向き、爆薬の結束を見る。切る順番を間違えれば、火花で終わる。
男が圧着工具を置き、無線機を持ち直す。
「第一、応答――」
ドギョムの左手が男の口を塞ぐ。右腕は喉ではなく顎の下へ回る。殺さない。息を止める時間だけでいい。男が肘を跳ね上げる前に、ドギョムは膝を男の後頭部へ短く入れ、坑木へ押しつける。
鈍い音が一度。
男の体から力が抜ける。ドギョムはそのまま二拍待ち、呼吸を確かめてから床へ寝かせる。口に裂いた布を噛ませ、両手首を導火線の空き束で縛る。自分の肋骨が抗議するように熱くなるが、構わない。
タイマー表示は二分十七秒。
ドギョムは爆薬の結束へ向き直る。導火線は一本に見せてあるが、圧着部の先で二股に裂けていた。一方は第一換気塔の坑木、もう一方は旧レール下へ伸び、次の赤印へ信号を渡すための線だ。塔を落とすだけでなく、異常時に本坑道側へ連鎖させる仕掛けになっている。
彼はカッターを開き、導火線の外皮を薄く削る。火薬の粉が黒く指先につく。切断ではなく分離。二股の根元へロックピンを差し込み、ねじり、外皮を裂く。一本に見えていた線が、湿った舌のように二つへ割れる。
タイマーは一分四十八秒。
次に赤い起爆ケーブル。これは切るしかない。だがその前に、黒い戻り線を外さなければ警報が飛ぶ。ドギョムは男の工具から細い絶縁チューブを抜き、戻り線の端へ噛ませる。指先は濡れている。雨ではない。自分の血だ。滑る。
無線機が床で鳴る。
「第一、報告しろ」
マローンの声ではない。近い男だ。ドギョムは答えない。刃を赤い線へ当てる。深く吸いかけ、途中で止める。短く吐く。
切る。
起爆ケーブルが小さく跳ね、タイマーの数字が一瞬乱れる。爆薬側のランプが赤から橙へ、そして消える。連鎖用の導火線も二股に裂かれ、火は渡らない。
第一換気塔は落ちない。
ドギョムは切った線をそのままにせず、男の圧着工具で端だけを潰し、湿った布を巻く。見た目には接触不良か水濡れに見える。マローンが気づくまでの数分を買うだけだが、その数分で次の赤印へ行ける。
彼は倒した男の安全帽を奪い、自分の頭へかぶる。ライトはつけない。無線機を腰から外し、周波数を確認する。前に聞いたD-3の内部網と同じ帯域だが、爆薬班は別の短いコードを使っている。
無線がまた鳴る。
「第一。応答しろ。カウントを確認しろ」
ドギョムは男の喉の癖を思い出す。さっきの声は鼻にかかり、語尾を飲む。だが完全に真似れば怪しまれる。短く、故障に寄せる。
送信ボタンを押す。
「……第一、内側、ノイズ。線が濡れた。再確認」
返した直後、第二換気塔の方から足音が来る。鉱車レールの上に、短く、硬く、三つ。作業靴ではない。爪先の重いブーツだ。ドギョムは男の体を坑木の陰へ引きずり込み、無線機を手にしたまま壁へ張りつく。
「第一、今のをもう一度言え」
別の声が入る。マローンだ。低く、近くないのに坑道の温度を下げる声。
ドギョムは沈黙する。沈黙が長ければ、侵入を疑われる。短すぎれば、嘘になる。
彼は同じコードを、同じ間で二度流す。
「第一、内側、ノイズ。線が濡れた。再確認」
一拍置いて、もう一度。
「第一、内側、ノイズ。線が濡れた。再確認」
無線の向こうで誰かが舌打ちする。別の男が「混線です。第一と第二が被ってる」と言う。ドギョムは息を止めたまま、レールの足音を数える。近づく。だが走ってはいない。内部の不具合を見に来る速度だ。
マローンの声が割り込む。
「混線なら混線のまま使え。第一は後で見る。分岐D-3の本坑道の坑木三か所、タイマーを十五分前倒ししろ」
ドギョムの手が無線機の上で止まる。
十五分。
図面では一時間後だった本坑道が、いま削られた。第一換気塔を止めても、奥の坑木が先に落ちればジョアンもアルマも山道出口へ届かない。マローンは疑いを混線へ向けられたふりをしながら、逃げ道そのものを潰しに来た。
第二換気塔の方から、熱い空気が吹き上がる。肩をかすめ、濡れたシャツを一瞬でぬるくする。どこかでダンパーが開いた。爆薬班が本坑道へ動き出した合図だ。
ドギョムは倒した男の腰から小型カッターの予備と短い配置タグを抜く。タグには第一、第二、分岐、坑木一、坑木二、坑木三の順番が刻まれている。赤い線は三つ。次に切るべき場所は、レール分岐の先、本坑道一つ目だ。
彼は安全帽の顎紐を締め、無線機を腰へ挟む。ライトはまだつけない。闇へ目を慣らしたまま、レールに足を置く。
その時、奥の闇で鉱車レールが短く鳴った。
一度ではない。金属が、誰かの体重を受けて沈む音。続いて、軍用ブーツの底が枕木を踏む乾いた音がした。
ドギョムは壁に背を寄せ、カッターを逆手に持つ。
次の足音は、まっすぐこちらへ来ていた。
法が遅すぎる町で、今日倒すべき悪党を倒す男
103話 錆びた鉱車と乾いた咳
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