父の声になる寸前の沈黙は、ミンジェの喉の奥まで入り込んできた。
膝の前で止まった小さなリールは、もう動いていない。だが、黒ずんだテープの内側には、まだ息の形が残っているようだった。聞けば分かる。父の声かどうか、十五年前に何が起きたのか、すべてが一息で開くかもしれない。
ミンジェは伸びかけた手を止めた。
「今じゃない」
自分の声が、配電盤の低い唸りに混ざって硬く響いた。彼はリールを持ち上げず、床に広げた防水シートの端を折り返し、その上へ静かに転がした。目録の最後の紙の横、父の名が写されたタブレットのすぐ下だった。
パク・ソンファン。施錠用音声。未回収。本人の子による応答待機。
その四つの文字列を見ただけで、再生ボタンを押すより先に十分なことが分かった。これは音の保管箱ではない。相手に聞かせ、応答させ、契約の中へ引きずり込む装置だった。
ミンジェはリールから視線を外し、目録全体をもう一度並べ替えた。契約番号順ではなく、預けた音と、喪失したものの関係順に置く。彼はタブレットの表へ新しい見出しを打った。
第一段階。欠乏の充足。
目録の対価の欄には、どれも金額が書かれていた。手術費、保証金、授業料、未払い賃金。契約者はその場で救われている。ユン・ボンレは夫の手術費を得た。路地食堂のチェ・マンシクは借金の一部を返した。塾生の家族は三か月分の授業料を払えた。音は金になり、明日の穴を一つ埋めた。
第二段階。連結記憶の剥離。
ここからが、本当の代価だった。預けた音は、その人の過去から切り離されて眠るのではない。時間をかけて、音に結びついた記憶の入口だけを細く削る。扉は残る。だが取っ手が消える。思い出そうとしても、そこへ触れるための音がない。
セヨンが息子の誕生日を忘れたのは、日付を知らなくなったからではなかった。五月二十四日という数字も、カレンダーの丸も残っていた。だが、その朝に息子がどう笑ったか、母親として反応するための声の手触りが抜かれた。
ジョンフンの公式も同じだった。二次方程式の解の公式を知らないわけではない。印刷物を見れば読める。けれど十年かけて黒板へ書きつけてきた身体の順番が、音のない場所で裏返った。チョークを置く最初の拍子が消えれば、手は入口を間違える。
ギジュンは祈祷文の全文を失ってはいない。二行目から先の意味も、信仰も残っていた。ただ、最初の息を吸う場所が消えた。祈りは言葉ではなく始まり方で支えられていたのだ。
ミンジェは三人の喪失を表へ移し、目録にある他の契約条件と並べて比較した。本人が音の内容を自認した時。退去通知を受けた時。再受験を決めた時。失敗を認めた時。回収条件は不幸そのものではなく、記憶へ近づく瞬間に置かれていた。
第三段階。感情の残滓、または空洞化。
彼はその見出しを打つ指を少し止めた。ここだけは、まだ目録よりも人の顔のほうが確かだった。
ボンレは娘を愛している。だからこそ、何を預けたのか分からないまま何十年も青い票を隠した。愛情だけが胸に残り、その愛情がどの音から始まったのかは空白になっていた。セヨンも、息子を大切に思う感覚まではまだ消えていない。だが誕生日という一点が数字へ変わった瞬間、感情は宙に浮いた。やがて音のない感情だけが残るのか。それとも、感情そのものまで理由を失って空になるのか。
ミンジェは父のリールを見た。
自分も同じだった。父の顔はある。工具箱を持つ手も、笑う前に眉を少し上げる癖も、狭い台所で新聞を畳む横顔も覚えている。だが声だけがない。その欠落のせいで、父を思う気持ちは長いあいだ正しい形を持てなかった。怒りなのか、見捨てられた寂しさなのか、守られていた記憶なのか、音のない感情はいつも濁っていた。
「三段階……いや、三段階で終わる保証もない」
呟いて、彼はさらに別の列を作った。現在の進行速度。
これまでの喪失は、午前零時四十分の音を聞いた後、翌朝に表面化していた。だが五階で若いボンレの偽声が出た時、3F-共用の電力は昼間に跳ねた。今、地下の箱を壁から取り出しただけで、父のリールは自分の前へ転がり出た。再生もしていない。通電もしていない。
眠っていたものが、起き始めている。
ミンジェは結論を表の下へ書いた。
箱の摘出により停止状態が解除。装置は未回収契約の状態確認を開始。周辺契約者に対し、記憶剥離の進行を試験的に加速している可能性。
書き終えた瞬間、電気室の壁の奥で、かすかに金属が鳴った。ミシンの針が、布ではなく空気を一度だけ突いたような音だった。続いて硬貨が一枚、遠い床に落ちた。
ミンジェは目録を素早く重ねた。父のリールには触れず、防水シートをかぶせ、箱の中の他のリールと離して置く。誰かが誤って再生しないよう、簡易の封印テープを巻き、赤いペンで大きく書いた。
再生禁止。応答禁止。
それからセヨン、ジョンフン、ギジュン、ボンレの名前を端末に呼び出した。全員へ同じ内容を送るつもりだった。音を聞き返さないこと。自分の記憶を紙に書くこと。今から起きる喪失は、本人の弱さではなく契約装置の回収反応であること。
だが、最初の送信ボタンを押す前に、携帯電話が震えた。
表示された名は、ハン・セヨン。
ミンジェはすぐに出た。耳へ当てる前から、受話口の向こうで息を殺す音が聞こえた。薬局の冷蔵庫の低い唸り、その奥で棚のガラスが細かく震えている。セヨンはしばらく何も言わなかった。
「ハンさん。聞こえます。落ち着いて、今いる場所を言ってください」
「薬局です」
声は低く、乾いていた。泣いてはいない。泣くために必要な感情の形を、まだ探しているようだった。
「息子さんは、そばにいますか」
通話の向こうで、紙が落ちる音がした。続いて、セヨンが息を吸う。短く、壊れた笛のような音だった。
「写真を見ています。顔は分かります。私の子です。そう書いてあります。携帯にも、カレンダーにも、保険証の控えにも」
「名前を紙に書いてください。今すぐ」
「書けません」
ミンジェの手が止まった。
セヨンは、薬棚の影で一人だけ寒さに置かれたような声で続けた。
「誕生日じゃありません。もう、それどころじゃないんです。あの子の名前を、思い出せません。画面には表示されているのに、読むと、ただの字になります。パクさん」
受話口の奥で、薬局の自動ドアが開く電子音が鳴った。
しかし次に聞こえたのは、客の足音ではなかった。
古いカセットテープが、薬局の天井裏でゆっくり巻き戻る音だった。セヨンが息を呑み、さらに低く震える声で言った。
「今、誰かが……私の代わりに、あの子の名前を呼んでいます」
誰も上がれない三階から、午前零時四十分に僕の名を呼ぶ声がする
19話 塞がった電気室の穴跡
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