ソジンの靴音は、黒い岩の前で止まった。濡れた石が積み重なったそこだけ、浜のほかの丸石と違って角が立ち、波が引くたびに低い音を鳴らしていた。
テオは老人たちから目を離さないまま、ソジンの背を見た。肩がこわばっている。何かを見つけたというより、そこに近づくこと自体を体が拒んでいるようだった。
「ソジンさん」
呼ぶと、ソジンは振り返らずに言った。
「戻りましょう。潮が上がります」
声はいつも通り短かった。だが平らすぎた。テオは手帳を閉じ、ボクナムたちを一人ずつ浜から離した。グムレは乱暴に腕を引こうとはせず、濡れた裾を持ち上げて歩かせた。老人たちは抵抗しなかったが、口の中でまだ同じ日付を転がしていた。
保健支所へ戻った頃には、靴の中まで冷えていた。待合室には数人の患者と家族が残り、ミラが毛布と湯を配っていた。ドゥシクも隅の長椅子に座っていた。いつからそこにいたのか分からない。膝の上で組んだ両手だけが、薄暗い照明の下で白く見えた。
テオは診察室へ入り、濡れた手帳を机に置いた。ページの端は波しぶきで少しふやけている。そこに書いた名前を、叔父の死亡診断書控と処方記録の上へ一つずつ写した。
キム・ヨンス。
オ・ギョンスク。
パク・チャンホ。
そして、老人たちが何度も言った旧暦三月十七日。
テオは束の中から同じ日付の死亡診断書を抜いた。四枚あった。キム・ヨンス、オ・ギョンスク、パク・チャンホ、チャン・ドンソプ。死因は老衰、心不全、脳血管疾患疑い、溺水後心停止。どれも紙の上では別々の死だった。
だが処方記録を並べると、静かな死因の下から、別の夜が浮かび上がった。
酸素投与。けいれん。発熱。嘔吐。意識混濁。脱水補正。ジアゼパム。呼吸苦。
「四人分ですか」
いつの間にか診察室の入口に立っていたソジンが言った。グムレもその後ろで腕を組んでいる。ミラは受付に残り、待合室の様子を見ていた。
「診断書では、四人です」
テオは答えた。声が自分でも硬いと分かった。
「けれど、処方記録はそうなっていません」
彼は同じ日付の薬品払出台帳を広げた。叔父の字は、ここでも細かく整っていた。使った薬剤、量、時刻。患者名の横に記号があり、後で照合するためなのか、番号が振られている。
一、キム・ヨンス。
二、オ・ギョンスク。
三、パク・チャンホ。
四、チャン・ドンソプ。
そこで終わるはずだった。だが台帳の下端に、薄く押し込まれたような五つ目の行があった。罫線から少し外れ、インクがにじみ、上から何かでこすった跡がある。
テオは照明を近づけた。紙の繊維が毛羽立っている。水で濡れたのではない。消そうとして、完全には消えなかった跡だった。
「ここ」
ソジンが一歩近づいた。テオは指で文字を隠さないよう、端を押さえた。
五つ目の行には、点滴セット一式、乳酸リンゲル、二百五十ミリ、右前腕、静脈路確保、とあった。処方記録というより、救急処置の走り書きに近い。死亡診断書に載った四人の誰とも時刻が合わない。むしろ、四人目の処置の後、さらに誰かが保健支所へ運び込まれた形だった。
テオの胸の奥で、浜の波音がもう一度響いた。
五人じゃなかった。
あの言葉は、五人より少ないという意味ではない。五人で終わらなかったのか、それとも、公式の四人に数えられない誰かがいたのか。紙の上の数字が、老人の声で揺らいでいく。
「五人目に、点滴を入れている」
グムレの顔色が変わった。
「先生」
「死亡診断書にはありません」
テオは手帳を開き、ボクナムが口にした断片を見た。ユン、ミン。最後の一音は波に切られた。だが台帳のにじんだ文字は、読めないほどではなかった。
姓の一画目は乱れている。名の中央はこすれている。それでも、叔父の筆跡の癖が残っていた。ユン。ミン。最後の文字は、かすれているが、縦線と丸みが見える。
テオはゆっくり息を吸った。
「ユン……」
その瞬間、紙を見下ろしていたソジンの顔から血の気が引いた。
彼は何も言わなかった。問い返しもしない。いつものように状況を整理して報告することもなかった。ただ唇を一度だけ強く結び、テオの横を通り過ぎた。
「ソジンさん」
テオが呼んでも、足は止まらない。ソジンは診察室を出て、待合室を横切った。ミラが驚いて振り向く。長椅子のドゥシクも顔を上げた。
テオは台帳を押さえたまま、立ち上がった。追わなければならない。あの反応は、ただ名前を知っている人間のものではなかった。黒い岩の前で止まった背中と、今の顔が重なる。
だが待合室から、乾いた咳が大きく響いた。
一度ではなかった。小さな子どもの喉が紙でこすれるように、短く、深く、続いた。母親が慌てて背中をさすり、「大丈夫、大丈夫」と声をかける。咳き込んだ男の子は目を赤くし、息を吸うたびに肩を上下させていた。
テオの足が止まった。
ソジンの背中は玄関の外へ消える。追えば、今しか聞けないことがあるかもしれない。だが目の前の子どもの呼吸は待たない。
「ミラさん、体温計と酸素飽和度を。水は飲ませないで、まず座位を保ってください」
テオは外へ向けかけた体を戻し、机から聴診器を取った。母親のそばに膝をつく。男の子は以前、腕に薄い発疹を出していた子の一人だった。袖をめくると、肘の上に消えかけの赤い線がまだ残っている。
「いつから咳が」
「昨日の夜から少し……でも、熱は高くなくて」
「水はどこで飲みましたか。学校か、家か」
母親が答えようとした時、待合室の隅で木の軋む音がした。
ドゥシクが立ち上がっていた。
背の高い男ではない。だがその場の空気が、一つ分重くなった。彼は咳をした子どもを見ていなかった。もっと遠い場所を見ている。濡れた浜でも、保健支所でもない、テオにはまだ見えない夜を見ている顔だった。
両手が震えていた。老人の振戦とは違う。力を入れて止めようとしても止まらない、恐怖そのものの震えだった。
「チェさん」
テオが呼ぶと、ドゥシクの喉がひくりと動いた。
「……あの日も」
声は低く、ひどくかすれていた。待合室の誰もが息を止める。外ではソジンのトラックのドアが閉まる音がしたが、エンジンはかからなかった。
ドゥシクは子どもの咳に合わせるように、ゆっくり言葉を落とした。
「あの日も、子どもたちが先に咳をした」
グムレの腕がわずかに下がった。ミラが体温計を持ったまま立ち尽くす。母親は意味が分からず、子どもを抱く力だけを強めた。
テオは聴診器を男の子の胸から離し、ゆっくり立ち上がった。ソジンの名も、台帳の五人目も、いまは一つの場所へ集まっている。
彼は震えるドゥシクをまっすぐ見据えた。
「チェさん。あの日、保健支所で何を見たんですか」
その島では、雨が降る前に患者が増える
15話 精米所に響く咳
次の話