「どこで、ではありません」
テオは名札を掌の上で裏返した。薄い金属は冷えていて、端に小さな穴があり、古い糸の切れ端がこびりついていた。赤い朱印は半分欠けていたが、見間違えようがなかった。ハン・ジョンウ。叔父が処方箋や診療用紙に押していた、あの少し傾いた印だった。
「枕の下です。布袋に入っていました」
ソジンは答えなかった。視線だけが名札の中央に釘づけになっている。ユン・ミンホ。その四文字を読むたびに、彼の顔から何かが削られていくようだった。
グムレが戸口から低く言った。
「ボクナムが持っていたのか」
「分かりません。いつからかも」
テオは布袋の内側を見た。湿気で黒ずみ、何度も開け閉めされた皺がある。昨夜落ちたものではない。長い時間、老人の枕の下で、熱と汗と夢のそばに置かれていたものだった。
ボクナムは眠っていた。だが閉じたまぶたがときおり細かく震え、喉の奥から短い息が漏れる。その息が、さっきまでの「先生を呼べ」という声の続きをまだ探しているようで、テオは名札を握り直した。
「家の人に、今は聞かないでください」
テオが言うと、グムレは一度だけうなずいた。
「口が軽い者には見せるな」
「はい」
ソジンがようやく息を吸った。言葉にはならなかった。無線機を持つ手の関節が白い。テオは彼に問いかけなかった。今ここでユン・ミンホの名を突きつければ、答えより先に何かが壊れると分かったからだ。
保健支所へ戻るまで、トラックの中はほとんど無音だった。タイヤが濡れてもいない土を跳ね、風だけが窓を押した。まだ雨は落ちない。だが空は低く、島の上に黒いふたが置かれたようだった。
診察室に入ると、テオは鍵をかけずに机へ向かった。内ポケットから玉石浜で拾った処方箋の欠片を取り出し、透明袋ごと名札の横へ置く。二つの赤い朱印を並べた瞬間、欠け方まで同じに見えた。
「ミラさん、照明を近くへ」
「はい」
ミラは卓上ライトを引き寄せた。光の輪の中で、処方箋の紙はふやけた灰色、名札は鈍い銀色に光った。紙片にはユン・ミンホの名と、旧暦三月十七日の一部。名札の裏にも、細い油性ペンでかすれた数字が残っていた。
三、十七。
テオの指先が冷たくこわばった。処方箋、薬品払出台帳、死亡診断書にない五人目の処置。右前腕の静脈路確保。玉石浜の黒い岩。ボクナムのうわ言。すべてがばらばらの紙片ではなく、同じ夜から剥がれ落ちた破片だった。
「叔父は、この人を患者として見ていた」
声に出してから、テオは自分の言葉の重さを知った。
ミラが小さく息を呑んだ。
「死亡診断書には、ありませんよね」
「ありません。だから問題なんです」
ソジンは診察室の扉のそばに立っていた。入ってきたまま、椅子にも座らない。目だけが名札に落ちている。血の気は戻らず、潮風で荒れた頬の赤みまで消えていた。
「ソジンさん」
テオが呼ぶと、彼はわずかに顔を上げた。
「この名前について、今すぐ話せとは言いません。ただ、これはもう、老人の記憶だけの話ではありません」
「……分かっています」
その声は普段の簡潔な報告とは違った。低く、硬く、どこか遠い場所から返ってきたようだった。
「少し外に出ます」
「一人で行くんですか」
ソジンは返事をしなかった。扉へ手をかける。テオは立ち上がったが、呼び止める言葉を選べなかった。ユン・ミンホ。名前を一つ知っただけで、これほど人の足を止めるのなら、その奥には十八年分の沈黙がある。
ソジンが扉を開けようとした、その瞬間だった。
受付の電話が鳴った。
一度目の呼び出し音で、全員の体が強張った。二度目でミラが走り、三度目の途中で受話器を取る。
「ドレ保健支所です。はい、落ち着いて……え、学校ですか」
テオは机の上の処方箋と名札を見た。
ミラの顔色が変わった。
「先生、ドレ小学校です。子どもたちが何人も吐いているって。給食のあと一時間くらいで、次々に倒れて……保健室に入りきらないそうです」
名札を見ていたソジンの目が、現実へ戻った。
テオは処方箋を透明袋へ戻し、名札を布袋ごと白衣の内ポケットへ押し込んだ。冷たい金属が胸に当たる。
「人数は」
ミラが受話器の向こうへ聞く。声が震えた。
「十人以上。腹痛、嘔吐、発熱。先生、教師も一人倒れているそうです」
「救急バッグ。輸液、解熱剤、手袋。経口補水液を作れるだけ。ミラさんは支所に残って、来る患者を受けてください」
「先生一人で行くんですか」
「ソジンさん」
テオが振り向く前に、ソジンは扉から手を離していた。
「トラックを回します」
その声だけは、いつもの彼に戻っていた。短く、無駄がなかった。
グムレも廊下へ出てきた。いつの間にか戸口に立っていたらしい。
「学校なら親が押しかける」
「お願いします。保健室の入口を空けてください。泣いても怒鳴っても、子どもを寝かせる場所が先です」
「分かった」
グムレはそれだけ言い、外へ向かった。ミラは電話を切るとすぐ、薬品棚へ走った。テオは救急バッグの中身を確認しながら、叔父の記録を机の端へ寄せた。ユン・ミンホを追う時間は、いま目の前で吐いている子どもたちに押し流された。だが消えたわけではない。名札は胸元で重く、走るたびに肋骨へ当たった。
トラックは支所の前に横づけされた。ソジンはエンジンをかけたまま、助手席のドアを内側から押し開けた。テオが乗り込むと、車はすぐ細い道へ飛び出した。
「学校から他に連絡は」
「面事務所にも行っているはずです。給食の業者に電話すると言っていました」
「給食だけと決めないでください。食べたもの、飲んだもの、時間を全部分けます」
ソジンの手がハンドルを握り直した。
「分かりました」
その横顔はまだ硬い。ユン・ミンホの名は、彼の中で扉を開けたままになっている。だが今は閉める余裕がなかった。
ドレ小学校の門の前には、すでに親たちが集まり始めていた。風に煽られた校庭の砂が低く舞い、泣き声と怒鳴り声が玄関から漏れている。グムレの姿はまだない。テオはバッグを肩にかけ、走った。
保健室の床には、子どもたちが横たわっていた。ベッドは二つとも埋まり、長椅子にも、薄いマットにも、さらに床へ敷いた体操用のマットにも、青白い顔の子どもがうずくまっている。十人では済まない。吐いたものを受ける洗面器が足りず、教師がバケツを並べていた。
酸っぱい匂いと消毒液の匂いが混ざっていた。誰かが泣き、誰かが母を呼び、別の子が腹を抱えて小さくうめく。テオは入口で一度だけ全体を見た。
「歩ける子は壁際へ。意識がぼんやりしている子、呼吸が速い子、何度も吐いて水分が取れない子を先にここへ」
「先生、食中毒ですよね? 給食の何かが」
若い担任がすがるように言った。
「決めるのはあとです。名前、学年、食べた時間、吐いた時間を紙に。食べていないものも書いてください」
テオは最初の子の瞳孔を見て、脈に触れ、腹部を軽く押した。熱がある。口の中は乾き、脈は速い。次の子も、その次の子も、似たような脱水と腹痛を示した。だが全員が同じではない。嘔吐が強い子、頭痛を訴える子、ただぐったりして声が出ない子。
ソジンは教師たちを動かして、廊下に親を入れないよう机を並べた。グムレが遅れて到着し、玄関で騒ぐ母親たちの前に立った。
「中へなだれ込むな。名前を呼ばれたら一人ずつだ」
低い声だったが、親たちは押し合いをやめた。
テオは点滴を一本目につなぎ、重い子を選びながら処置を進めた。手が足りない。だが手順は崩せない。意識、呼吸、脱水、熱。紙の上で番号をつけ、搬送不能の島の中で、学校の保健室を小さな救急室に変えていくしかなかった。
その時、床の端でうずくまっていた男の子が、腕を押さえて泣き出した。
「痛い、ここ、熱い」
テオは膝をつき、袖をめくった。
肘の内側から肩に向かって、淡い赤い線が走っていた。枝分かれしながら上腕を這う形。チェ・ミンジュ、ヘリン、待合室でけいれんした男の子。これまで記録してきた発疹と、まったく同じだった。
テオの胸元で、布袋の中の名札が硬く当たった。
「ソジンさん、発疹のある子を探してください。腕です。肘から肩まで」
ソジンが一瞬だけ固まった。だがすぐ、近くの子の袖をめくった。
廊下の奥から教師の叫びが飛んだ。
「先生、こっちの子も同じです!」
テオが顔を上げると、別のマットの上で、女の子の腕にも赤い線が浮いていた。嘔吐の匂いに満ちた保健室の中で、島が隠してきた病は、今度は一人ずつではなく、子どもたちの腕に同時に姿を現していた。
その島では、雨が降る前に患者が増える
22話 北の貯水槽から来た水
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