十二台目の表示は、ユチャンが見ている前で二度だけ瞬いた。
【火炎適性候補、接近予測】
【監視優先度:保留】
保留という言葉ほど信用できないものはない。ラケイアの監視標識は、対象を今すぐ捕まえられない時だけ、そう分類する。見逃したのではない。匂いを覚えたという意味だった。
ユチャンは清掃用具入れの扉を閉め、十二台目を視界から消した。消してもそこにある。だから反応しないことの方が重要だった。
翌日の午後、レベルゼロのガラス戸が控えめに鳴った。
入ってきた少女は、制服の上に薄いパーカーを羽織っていた。肩にかけた鞄は重そうで、髪は急いで結んだのか、耳の後ろに短い毛が跳ねている。受付の安い椅子に座る前から、彼女の右手だけが落ち着かなかった。指先で鞄の紐をつかみ、放し、また握る。
「無料相談、予約したミン・ソアです」
声は強かった。だが喉の奥に、強がりの砂が混じっていた。
「座れ」
ユチャンは申込画面を開いたまま、向かいの椅子を指した。ソアは一瞬だけ眉を動かした。痩せて目の下に影を抱えた若い講師が、名乗りもせず命令口調で言ったからだろう。
それでも彼女は座った。
「ランキングは?」
「下です。言わなきゃだめですか」
「だめだ」
「……五万七千台です。昨日は六万より下でした」
「装備は」
ソアは鞄から古いマウスを出した。表面の塗装が剥げ、左クリックの隙間に黒い汚れが詰まっている。ネオヘイル推奨の新型ではない。量販店で安く売られていた、反応速度も重量も中途半端な型だった。
「これしかないです。火力職をやりたいんですけど、初期適性が出ません。動画の通りにしても、スキルが開かないし、模擬戦も負けます」
「負けた時、マウスはどうなる」
「は?」
「握ったあと、熱が残るだろう」
ソアの表情が初めて崩れた。
否定しようとして、できなかった。彼女は無意識に右手を袖の中へ隠した。だが机の上に置いたマウスの側面は、すでに指の形にうっすら曇っている。古いプラスチックが、体温ではあり得ない温度で柔らかくなっていた。
ユチャンはその曇りを見た瞬間、未来の赤い夜を思い出した。
ソウル東部。泡立つアスファルト。避難放送。炎の中で災害名のように扱われた一行。
【発火源推定:ミン・ソア】
今、目の前にいる少女は災害ではなかった。親に内緒で安い塾に来て、古いマウスを隠す十七歳の学生だった。
「火を出したことは」
「ないです」
答えが早すぎた。
「出そうになったことは」
ソアは唇を噛んだ。
「……キーボードの印字が、少し溶けたことはあります。でも、ただの故障です。家ではそう言ってます」
「怖いか」
「怖くないです」
また早すぎた。
ユチャンは引き出しから小さな金属皿とマッチ箱を取り出した。ソアの目に露骨な失望が走った。
「え、シミュレーター見ないんですか。ランキングとか、ビルドとか」
「後でいい」
「火力職の相談って書いたんですけど」
「だから見る」
ユチャンはマッチを一本抜き、擦った。小さな火が赤く立つ。塾の安い蛍光灯の下では、あまりに頼りない炎だった。
彼は金属皿の上へそれを立てるように置いた。芯の短い火が揺れる。
「息が詰まる前に止めろ」
「……何を」
「その火だ。吹き消せという意味じゃない。おまえの中で勝手に上がる熱を、息で止めろ」
ソアの頬が赤くなった。怒りの色だった。
「バカにしてます?」
「してない」
「ランキング低いから、マッチで遊べってことですか。私、火力職になりたいって言いましたよね」
「火を大きくする才能は、今は測らない」
「じゃあ何を測るんですか」
「止める才能だ」
その一言で、彼女の椅子が荒く鳴った。ソアは立ち上がりかけ、机に置いた古いマウスをつかんだ。その指先から、じわりと熱が漏れた。マウスの側面がまた柔らかく沈み、金属皿のマッチの火が、吹かれてもいないのに少し大きくなった。
ユチャンは動かなかった。
机の裏には、昨夜のうちに描いておいた冷却ルーンが貼ってある。灰色の塔の記録石から抜いた断片を、人間の目にはただの汚れに見えるよう薄く刻んだものだ。起動すれば、少なくとも面接室の温度は落とせる。
だがそれを使えば、ソアはまた自分の熱が外から抑えられたのだと思う。
未来で彼女を壊したのは、炎そのものではない。止め方を誰にも教えられず、止められない自分を怪物だと信じ込まされたことだった。
「帰るなら帰れ」
ユチャンは短く言った。
ソアの目がさらに険しくなる。
「何なんですか、本当に」
「ただし、その火を見たまま帰れ。おまえが怒るたびに、火が大きくなる。今はマッチ一本だ。次は机か、部屋か、人かもしれない」
「そんな言い方……!」
「怖いなら、怖いと言え。怖くないふりは、火の餌になる」
ソアの喉が止まった。
マッチの火が、細い芯の上で不自然に伸びた。赤の縁が白くなり、周囲の空気が揺れる。まだ炎ではない。だが熱は確かに、彼女の指先から机を伝い、皿の上へ流れていた。
ソアは椅子の背を握ったまま固まった。
「……どうすればいいんですか」
声が少しだけ小さくなった。
ユチャンはそこで初めて、金属皿の横を指した。冷却ルーンの端が、机の裏からわずかに覗く位置だった。
「そこに手を置けば冷える。楽になる」
ソアの視線が動いた。指を伸ばせば届く。逃げ道として置いてあることも分かったはずだった。
だが彼女は手を置かなかった。
「使ったら、私が止めたことにならない」
「そうだ」
「だったら、使わない」
ユチャンは小さく頷いた。
「息を吐け。強く吹くな。熱を外へ押し出すな。肺から出る空気で、指の一節ずつ畳む。親指、人差し指、中指。手首へ上げるな。胸へ戻すな。皮膚のすぐ下で折れ」
「そんなのできるわけ……」
「言いながらでもいい。数えろ」
ソアは荒い息を一つ吐いた。火は消えない。むしろ揺れて伸びた。
「違う。怒りを吐くな。熱は怒りについて外へ出る」
「うるさい……」
「うるさくても聞け。五秒だ」
ソアの肩が震えた。制服の袖口から、熱で乾いた布の匂いが薄く立つ。彼女は唇を噛み、涙ではなく汗を目尻に浮かべながら、右手を机の上へ戻した。
「親指」
言葉と一緒に、息が細く漏れた。
マッチの炎が一瞬だけ揺れ、伸びるのをやめた。
「人差し指」
古いマウスの歪みが止まった。白くなっていた炎の縁が赤へ戻る。
「中指……薬指……小指」
最後の言葉は、ほとんど息だった。ソアは火に口を近づけていない。吹き消してもいない。ただ、吐く息の温度と自分の内側の熱を同じ速度で下げていった。
マッチの炎が、ふっと小さくなった。
次の瞬間、芯の先だけを残して消えた。
面接室に焦げた匂いが残った。ソアは立ったまま、右手を見下ろしていた。冷却ルーンは起動していない。金属皿の周りにも霜はない。机も焦げていない。
彼女が自分で止めた。
「……今の」
ソアの声は、さっきまでの棘を失っていた。
「私が、消したんですか」
「そうだ」
「冷やされたんじゃなくて?」
「おまえが止めた」
ソアはしばらく何も言わなかった。炎を消すという行為が、彼女の中で初めて、恐怖や失敗ではなく、手応えとして残ったのだろう。右手を握り、開く。その動きはまだぎこちない。だが逃げるための手ではなかった。
「入会します」
「親の同意がいる」
「……じゃあ、相談に来ます。今日みたいなやつを、また」
「明日の同じ時間だ。制服のままでいい。装備は古いまま持ってこい」
「新しいの買わなくていいんですか」
「今は不要だ。おまえに必要なのは火力じゃない」
ソアは反論しかけ、やめた。鞄へマウスをしまう手つきは、来た時より少し遅い。壊れ物を扱うように、自分の指先を見ていた。
ガラス戸が閉まると、ユチャンはすぐに机の裏へ手を伸ばした。冷却ルーンは反応していない。端の線がわずかに震えているだけだった。彼はそれを剥がさず、薄い布で覆った。
右目の灰色の輪が、静かに開く。
【対象信号:ミン・ソア】
【戦闘職適性:未判定】
【火炎適性予備判定:検出】
【正式リリース項目外】
最後の一行で、ユチャンの指が止まった。
ネオヘイルの正式システムには、まだ火炎適性予備判定など存在しない。少なくとも一般ユーザーに開かれるのは、もっと後のはずだった。表示されているのは地球側の才能診断ではない。ラケイアが侵攻設計のために先に嗅ぎ分ける、素材分類の言葉だった。
その時、清掃用具入れの陰で、十二台目が音もなく点灯した。
監視標識となった古いコンピューターに、新しいログが一行だけ増えていた。
【監視優先度:保留解除】
【熱源追尾先:ミン・ソア】
画面のラケイア式数字は、もうレベルゼロの回線を見ていなかった。閉じたガラス戸の向こう、帰っていく制服姿の少女の背中へ、ゆっくりと向きを変えていた。
システムすら騙すF級生産職〜人類初の覚醒者であることを隠し、廃業寸前のゲーム塾から異星への反逆を始める〜
14話 ソアの火種を畳む訓練
次の話