上げられた杖の影が、新入りの震える肩に落ちた。
俊瑞は一歩も退かなかった。帳面を胸へ抱え込む代わりに、左手で開き、郭進へ目だけで合図した。郭進は白い顔のままうなずき、挟んでいた薄い札束を差し出した。
「証明なさるなら、順序を合わせてください」
閔光の眉が動いた。
「口答えか」
「時刻の確認です。負傷者が出た原因を問う場なら、まずいつ、誰が、どこで何をしていたかを見ます」
俊瑞は声を荒らげなかった。練武場の端では、新入りが小平の支えで息を詰めている。右肩は布で固定され、痛みのせいで額に脂汗が浮かんでいた。
「午前、外堂公開評価。南宮世琳は側面通路反応、都賢九は狭門防御。午後、四人一組の防御陣交代。ここまで負傷者なし」
札を一枚めくる。
「申の初刻、兄弟子の趙傑が新入り五人を裏手へ連れていく。申の二刻、内堂絶技の導入として重木剣を使用。申の二刻半、右肩脱臼の疑い。外堂規定の高級招式申請欄には、該当五人の確認印なし」
趙傑の顔が赤くなった。
「俺が無理やり連れていったとでも言うのか」
「そうは書いていません。『非公式訓練へ移動』と書きました。本人たちの希望か、兄弟子の誘導かは別欄です」
「貴様……!」
「黙れ、趙傑」
閔光の杖が横へ振られ、趙傑の声が止まった。だが長老の目は冷たいまま俊瑞を射ていた。
「紙にどう書こうと、怪我人は出た。お前の規定が弟子を焦らせたのだ」
「焦りはありました。だから申請欄を作りました。三日の出席、二日の負傷なし、対練相手の確認印。急ぎたい者が、何を満たせば進めるかを見るためです」
俊瑞はもう一枚を開いた。そこには新入り五人の名と、直近三日の欄が並んでいた。空白、欠席、回復確認なし。墨の薄い線は、言葉より冷たく事実を示していた。
「この五人は、まだ高級招式へ入れる状態ではありませんでした。外堂の板は、それを止めるためにありました」
練武場のざわめきが小さく揺れた。末端弟子たちは床を見ていない。閔光の杖と、俊瑞の帳面を交互に見ていた。
その時、大殿の方から青灰色の長袍をまとった姿が現れた。
韓白林だった。背後に内堂弟子と白道允が続く。誰かが知らせに走ったのだろう。門主は負傷した新入りを見、重木剣を見、最後に閔光と俊瑞の間へ視線を置いた。
「続けろ」
短い一言で、場の重さが変わった。
閔光がわずかに唇を歪める。
「門主、これは下級弟子が長老と内堂を帳簿で裁こうとする乱れです」
「裁くかどうかは私が決める。李俊瑞、言え」
俊瑞は深く頭を下げた。
「外堂の三日運営を正式に見てください。弟子が強くなる道を塞いでいるか、怪我を減らしているか。数字だけでなく、練武場で確認できます」
韓白林は少し考えた。
「三日だ。閔光長老は、従来の内堂指導で同じ新入り層の修練結果を出せ。李俊瑞は外堂運営の結果を出せ。負傷数、待機時間、修練達成、薬材消費。すべて書面にし、三日後に大殿へ提出せよ」
「門主」
閔光の声に低い怒りが混じる。
「今ここで処罰せねば、規律が崩れます」
「規律は、事実を見てからでも崩れぬ」
韓白林の声がさらに低くなった。
「ただし李俊瑞。三日の間に負傷者を増やせば、外堂運営権は取り上げる」
「承知しました」
俊瑞が答えると、白道允の青絹の令牌が袖の中でわずかに揺れた。彼は何も言わなかったが、その視線は「期限が切れるのを待つ」と告げていた。
その日から三日、外堂は静かに速く動いた。
世琳は不満を顔に残したまま、朝一番に坂道へ出た。俊瑞が命じたのは走る距離ではなく、止まる地点だった。水桶を置いた線、石を並べた曲がり角、砂を薄く撒いた滑り場。世琳は最初、線を半歩越えた。二度目は足首が流れた。三度目、彼女は土を削る音を立てて止まり、すぐ振り返った。
「戻れる」
短い報告だった。俊瑞はそれを偵察表に書いた。速度ではなく制動成功、復帰呼吸、報告までの時間。世琳はまだ納得した顔をしなかったが、次の周回では自分から「右斜面、砂が深い」と付け足した。
都賢九の防御陣も形を変えた。一人で耐える訓練をやめ、四人で持ち場を回した。小平が「二十呼吸。交代準備」と読むと、左右の弟子が半歩前へ出る。郭進は後ろで足場を直し、都賢九は受けすぎる前に息を入れる。
初日は交代に八呼吸かかった。二日目は五呼吸。三日目の夕方には三呼吸で門が閉じた。都賢九は驚いたように自分の手を見ていた。
「俺が、少し楽になっても……門は空かないんだな」
「空かない形にします」
俊瑞はそう答え、待機時間の欄へ数字を入れた。防御組の平均待機は一刻半から半刻へ減り、水汲みと薬草運びの動線も小平の板で分けた。誰が何度も同じ棚へ走るのか、どこで列が詰まるのか、見えるだけで半分は減った。
雑役の弟子たちも変化を感じ始めた。水桶は練武場の端ではなく、回復欄の近くへ置かれた。傷薬を取りに行く者と薪を運ぶ者の道は分かれ、倉庫前で肩をぶつけることがなくなった。基礎功の順番待ちは短くなり、何もせず立っているだけの時間が削られた。
趙傑は三日の間、露骨な嘲笑を控えた。代わりに内堂側の新入りを集め、型の速さを見せつけた。閔光の古参弟子たちはその横で成功回数だけを書いていたが、負傷確認の欄は薄かった。
三日目の暮れ、外堂の帳面は大殿へ運ばれた。
俊瑞は結果を並べた。外堂の負傷者は軽い打撲二名。修練待機時間は半分以下。薬材支給は傷薬四包、止血布六枚。高級招式へ進めた者は少ない。だが、基礎剣一式を最後まで崩さず通した者は増えていた。
閔光側の表は、成功回数だけなら華やかだった。重木剣の型、内堂絶技の導入、踏み込みの速度。だが負傷欄には肩、手首、膝が並び、処置時間の記載は曖昧だった。
韓白林は二つの表を見比べ、長く沈黙した。
「三日で結論を出すには早い」
閔光の表情が少し緩む。
「だが、外堂運営が弟子を殺す毒であるという証明にはならぬ」
その一言だけで十分だった。末端弟子たちの肩から、見えない重しが少し外れた。世琳は壁にもたれたまま目をそらし、都賢九は役割紙を両手で握った。小平は息を吐きすぎて、すぐに咳き込んだ。
しかし、その小平が夜になって医薬堂から戻ると、顔色を失っていた。
「俊瑞。これ、変だ」
彼が差し出したのは処置一覧だった。三日分だけではない。倉庫手順を改めてからの負傷者と薬材支給を、医薬堂側で書き写したものだ。
俊瑞は燭台の近くへ紙を寄せた。
実際に医薬堂で処置された負傷者は八人。肩、腕、打撲、裂傷。そこまでは郭進の負傷表と合っている。だが傷薬と活血丹(かっけつたん)の消費欄だけが膨らんでいた。二十人分。
「数え間違いじゃないのか」
小平の声は震えていた。疑われるのが自分だと、先に身体が覚えている。
「まだ決めません」
俊瑞は倉庫の鍵使用表を開いた。鍵は今、出す時刻と戻す時刻を書くことになっている。医薬堂、倉庫、内堂。それぞれの印が並ぶ。
傷薬が多く出た日。活血丹が減った日。医薬堂の処置人数。搬出理由。線を引くたび、余分な支給が同じ時間帯に集まっていった。負傷記録の直後、混乱に紛れて鍵が開き、必要量より多い薬材が外へ出ている。
郭進が隣で息を止めた。
「誰かが、怪我人を口実に」
「抜いています」
俊瑞は低く答えた。
もう一枚、薬材搬出表を重ねる。傷薬、活血丹、そして霊薬。霊薬の欄は数が少ない。だからこそ、一瓶でも消えれば目立つはずだった。だが処置名目の中へ混ぜられ、誰もそこだけを見ていなかった。
最後の行で、俊瑞の手が止まった。
搬出許可。理由、重傷者処置予備。数量、活血丹三瓶、霊薬一瓶。受領者の名は空欄に近い薄墨でかすれ、代わりに許可印だけが鮮明だった。
白い眉の下の冷たい目が、紙の上に浮かぶようだった。
閔光長老の個人印。
小平が喉を鳴らした。郭進の筆先から墨が一滴落ち、黒い点が表の端に広がった。
俊瑞は印から目を離せなかった。長老の印を偽造することは、門派の禁忌だ。だが本物なら、これはただの横流しではない。
長老自身が、負傷した弟子の血を使って霊薬を抜き取っている。
その時、倉庫の外で板戸がかすかに鳴った。誰かが、今の沈黙を聞いていた。
剣気より業務マニュアル 下級武人になった大企業代理、帳簿一冊で長老を裁く
15話 西門客桟に折れた木牌
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