沈有剛の問いが石段に沈んだあと、山門の前にいた弟子たちは誰も動かなかった。
俊瑞はすぐに答えなかった。ここで長老を否定すれば、告発状の文に自分で墨を足すことになる。帳簿を否定すれば、この一か月で痛みを隠さなくなった者たちの背を折ってしまう。
彼は沈有剛へ一礼した。
「今ここで言葉だけで答えれば、どちらにでも取られます。明朝、練武場をご覧ください。帳簿が命令を越えているのか、命令が届く場所を明らかにしているだけなのか、そこで説明します」
白書河の筆先が止まった。沈有剛は俊瑞の顔ではなく、足元を見た。
「逃げる時間を求めるのか」
「いいえ。今夜は規定も配置も動かしません。門主の命で、増減も修正も禁じられています。明朝、普段のままを見せます」
韓白林が短く言った。
「その通りだ。今夜、掲示に触れた者は処罰する」
沈有剛はうなずきもせず大殿へ入った。その背を追う白書河の紙には、すでに「明朝監察」と細く記されていた。
翌朝、練武場の土はまだ冷たかった。霧が低く残る中、世琳の偵察組が外周の線に並んでいた。沈有剛と白書河、韓白林、白道允、趙傑、数人の内堂弟子が石段の上から見下ろしていた。俊瑞は戦況板ではなく、いつもの配置表だけを手にしていた。
世琳が右手を二本立てた。
「接近跡、北西。撤退跡なし」
合図一つで、速い弟子が稜線へ散り、目の利く弟子が屋根際へ残り、記録役の細い弟子が板の横へ膝をついた。走らない者もいた。だが誰も余っていなかった。
沈有剛が低く問うた。
「なぜ、あの者は走らない」
俊瑞は配置表の一行を指した。
「三日前の訓練で、外周往復は平均より十二呼吸遅れました。ですが足跡の新旧判定は十回中九回正解です。戻ってから地図に落とす役のほうが失点が少ない」
世琳の手が横へ切れた。陣形は音もなく入れ替わり、稜線へ出た二人が戻る道を空け、屋根際の一人が鐘楼への合図位置を押さえた。速さを競う組ではない。見て、戻り、伝えるための形だった。
次は都賢九の防御陣だった。大柄な都賢九が中央に立ち、両側に腕の長い者と膝の弱い者、後列に声の通る者がついた。今日は交代なしで三十呼吸、狭門を抜かせない訓練だった。
合図と同時に、内堂から選ばれた三人が木剣で押し込んだ。都賢九は押し返さず、足裏を沈めるように止めた。
「後ろ、半歩詰めろ。前に出るな」
二十呼吸を越えたところで、膝の弱い弟子の肩が揺れた。都賢九はちらりと見ただけで、後列を斜めに入れ替えた。交代はしなかった。穴だけを先に埋めた。三十呼吸目、内堂の木剣は門の線を越えられなかった。
沈有剛は都賢九を見た。
「力で勝ったようには見えぬ」
「力で勝つ者なら前列に三人置きます。ここでは抜かれないことが目的です。都賢九は押す力より、止めたまま呼吸を乱さない時間が長い。前月の記録では、狭門保持が平均の一・六倍です」
都賢九は耳を赤くし、太い指で役割紙を握り直した。
医薬堂の軒下では、柳建が低い椅子に座っていた。右脚には固定板が残り、横に小平と郭進がいた。白書河が眉を上げる前に、柳建は自分で筆を取った。
「今朝、杖ありで十二歩。十一歩目から痛み強し。熱なし。腫れ、昨日より少し減る」
小平が横からのぞき込んだ。
「痛みを少しって書くな。強し、だ」
柳建はむっとしたが、素直に一字を濃く書き足した。郭進が壁に貼る外用の写しへ「配置不可、医薬堂内補助可」とだけ移した。痛みの強さは内側の帳簿に残った。
白書河が静かに言った。
「外に出す写しには、本人の痛みを削るのですね」
「削るのではなく、用途を分けます」
俊瑞は答えた。
「配置に必要なのは、走れるか、立てるか、担架を運べるかです。痛みの強さは処置者と本人が見る。笑う者に渡すためではありません」
沈有剛は何も言わなかった。
午前の監察が終わる頃、練武場には安堵ではなく、さらに固い空気が降りていた。沈有剛は表の効用を認めも、否定もしなかった。白書河だけが紙を替え、昇級表を開いた。
「李俊瑞」
名を呼ばれ、俊瑞は一歩進んだ。
「この三か月の昇級申請を見ると、確認印にあなたの印が多い。長老印、内堂組長印より、外堂運営印が先に押されたものもある。告発状の『下級武人の印が長老の印に並ぶ』という文は、誇張だけではありませんね」
白道允の袖がわずかに揺れた。趙傑も口を開きかけて閉じた。石段の端にいた内堂弟子たちは、閔光の公開尋問を見ていた者たちだった。あの日、長老印が薬材を流し、空欄が負傷者を消しかけたことを、彼らは知っていた。だが今、誰も自分からは言わなかった。
韓白林の顔にも迷いが走った。門主として、外堂の下級武人の印が多い表を他門へ見せることの意味を知っていた。体面を失えば、正しい手順まで侮られる恐れがあった。
白書河はさらに問うた。
「なぜ長老の印より先に、あなたの印が必要なのですか」
俊瑞は昇級表を受け取り、三つの行を示した。
「昇級の許可を私が出しているのではありません。申請できる状態かを確認しています。この者は歩法三日連続、負傷確認済みで復帰済み。この者は偵察適性あり、ただし高段軽功は保留。この者は剣隊申請を取り下げ、医薬組で薬草分類の正答九割。長老が見る前に、事実欄を空にしないための印です」
「長老が空欄を望んだ場合は?」
その問いは鋭かった。沈有剛の第一問と同じ形をしていた。
俊瑞は白書河を見た。筆を持つ文士の目は静かだったが、問う順番があまりに整いすぎていた。
「空欄を望む命令には従えません。ですが、長老を越えるためではない。後で長老自身が、何を裁いたのか分からなくなるからです」
沈有剛の目がわずかに細まった。
「では、原本で確かめる」
午後、帳簿庫の前に全員が集められた。倉庫出納、昇級表、配置表、医薬堂処置表、回復帳。すべての原本が中に積まれ、白書河が分舵基準の目録と照合するための封紙を整えた。
沈有剛は江湖盟の封印紐を取り出した。濃い灰色の紐には小さな鉛印が付いていた。
「これより帳簿庫を封じる。原本は洛陽分舵の基準と照合する。封印を破った者は、門派内の規定ではなく盟の規定で裁く」
誰かが息を呑んだ。韓白林でさえ、すぐには言葉を返さなかった。白道允の表情は硬く、趙傑は視線を地面へ落とした。内堂弟子たちは相変わらず沈黙していた。
俊瑞は扉に紐が掛かるのを見ていた。三重に分けてきた記録が、今は一つの部屋に閉じ込められようとしていた。正しい照合のための封印であるはずなのに、その形は敵が最も狙いやすい一点を作るようにも見えた。
鉛印が押され、帳簿庫の扉が固く閉じられた。その瞬間、練武場の方から足音が乱れて近づいた。
小平だった。丸い顔から血の気が消え、息が喉で引っかかっていた。彼は沈有剛の前で止まる余裕もなく、俊瑞の袖をつかんだ。
「俊瑞、まずい。医薬堂に……封じた帳簿と合わない記録が残ってる」
白書河の筆が止まった。沈有剛の手が、まだ温かい鉛印から離れた。
小平は震える唇で、続けた。
「柳建の回復組だけじゃない。誰かが、赤字で一人分、書き足してる」
剣気より業務マニュアル 下級武人になった大企業代理、帳簿一冊で長老を裁く
33話 医薬堂に残った赤い追記
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