旧郵便局の方角を見たまま、ナギョンはしばらく動けなかった。
追悼館の階段の下では車が出入りし、誰かの葬儀に来た人々が黒い服で静かにすれ違っていく。その中で、彼女だけが十年前から切り離された紙片を抱え、明日の午前五時という文字に縫い止められていた。
今すぐ郵便局へ走れば、また同じことをする。
何も確かめず、恐怖と後悔だけで過去へ命令する。チョン・ウジンを待つなと書いた時と、何が違うのか。
ナギョンは携帯を閉じ、タクシーを呼んだ。向かった先は旧郵便局ではなく事務所だった。
事務所へ戻ると、午前の光はすでに窓の端まで上がっていた。誰もいない執務室で、ナギョンは鞄の中身を机に並べた。死亡診断書。振込票の写し。追悼館で受け取ったウジンの便箋。ミンソが送ってきた撤去告知の写真。
最後に、ロースクール合格写真を棚から下ろした。
青い傘は、もう写っていなかった。
若いナギョンは横断幕の前で笑っていた。けれど、その横にあったはずの濡れた傘の場所は、最初から何もなかったように乾いた床だけになっていた。誰かがそこに立っていた気配も、傘の先から落ちた水滴も、写真の中から完全に削られている。
ナギョンはノートを開き、ページの上に線を引いた。
二〇一三年十一月十五日。
最初の葉書を読んだ二十三歳の私が、午後八時三十四分にウジンへ拒絶の連絡を送る。
母の検査予定が消える。
青い傘が写真から消える。
二〇一四年二月十八日、母死亡。
葬儀記録発生。
引き出しに死亡診断書が現れる。
ウジンは病院前で封筒を渡していた。
淡々と書こうとした字は、途中から歪んだ。
たった二文だった。
チョン・ウジンを待たないで。彼は結局、来ない。
その二文は、過去の自分に警告を与えたのではなかった。母の診療時間を奪い、ウジンが伸ばしていた手を拒ませ、彼が言えなかった事情までも踏みつけた。ナギョンは未来を知っているつもりで、十年前の誰よりも無知だった。
『私は、過去を変えられるんじゃない。壊せるだけだった』
ペン先が紙の上で止まった。
外でノックがした。返事をする前に、ミンソが顔をのぞかせた。
「先生、戻っていらしたんですね。顔色が……本当に病院へ行きましょう。今すぐです」
「必要ない」
「必要あります。唇、真っ青です。朝から何も召し上がってないでしょう」
いつもなら短く退けた。仕事に戻って、と言えばミンソは引く。だが今日は、その言葉が喉の途中で止まった。
ナギョンは机の上の書類を一枚ずつ封筒へ戻した。すべて見せることはできない。黒い郵便受けも、過去からの手紙も、母の死が現在に上書きされたことも、説明すればミンソを巻き込むだけだった。
それでも、ひとりで調べればまた間に合わない。
「ミンソさん」
「はい」
「私的なお願いをしてもいい?」
ミンソは驚いたように目を瞬かせた。ナギョンが仕事以外で誰かに頼ることなど、ほとんどなかったからだ。
「もちろんです。何をすればいいですか」
「ハンビッ医院の廃業資料を集めて。清算時の保管文書、旧医療法人の管理会社、二〇一三年十一月の会計資料が残っている可能性のある場所。それから、ソンブク洞旧郵便局の取り壊し詳細日程。再開発組合の告知じゃなく、施工会社へ渡された作業指示書、残置物リスト、郵便設備の撤去順序まで」
ミンソの表情が仕事のものへ変わった。
「公式資料だけだと時間がかかります。組合の委託会社、区役所の建築安全課、解体業者の現場事務所まで当たります」
「お願い」
「先生の案件ですか」
ナギョンは一瞬だけ黙った。
「私の件」
その短い答えで、ミンソはそれ以上聞かなかった。代わりに鞄からタブレットを取り出し、すぐに電話をかけ始めた。
「わかりました。先生はここにいてください。倒れたら本当に怒ります」
「怒るの?」
「怒ります。かなり」
その言い方があまりに真面目で、ナギョンは一度だけ目を伏せた。笑う余裕はなかったが、胸の底に小さな重みが落ちた。頼るということは、こんなにも怖く、こんなにも具体的な行動なのだと、今さら知った。
午後は、記憶と資料の照合作業に消えた。
ナギョンはノートに二つの列を作った。左に、最初の葉書を送る前の世界。右に、葉書の後の世界。母の予定、合格写真、ウジンの履歴、ハンビッ医院の入金、追悼館の葬儀記録。変わったものと、まだ残っているものを分けていく。
残っているものは、すべてウジンがナギョンたちの周囲を離れなかった痕跡だった。
病院代。
追加の三百万ウォン。
葬儀前後の封筒。
「遅れてごめん」という短い便箋。
消えたものは、ナギョンが彼を遠ざけた後に母を救うため必要だった時間だった。
精密検査の予約。
保護者面談。
入院費確認。
青い傘。
紙の上で、答えは残酷なほど明確だった。ウジンを突き放せば母が助かるどころか、母の生存時間が削られていく。彼を遠ざけた分だけ、彼が運んでいた何かも、ナギョンたちから遠ざかったのだ。
夜になってもミンソは戻らなかった。電話だけが数回入った。
「先生、ハンビッ医院の清算資料は医療法人の後継管理会社に一部残っています。正式請求は明日以降ですが、目録だけ先に送ってもらえそうです」
「郵便局は?」
「解体業者の下請けが三つ入っています。郵便設備だけ、別会社が担当みたいです。変です。普通の残置物扱いじゃありません」
「別会社?」
「はい。詳しい作業指示書を取りに行っています。遅くなります」
通話が切れるたび、時計の秒針が大きく聞こえた。午前五時までの時間が、机の上で少しずつ縮んでいく。
午後十時を過ぎたころ、ミンソが戻ってきた。腕いっぱいに紙袋を抱え、髪は少し乱れ、息も上がっていた。
「先生、取れました。全部ではありません。でも、急ぎで見るべきものがあります」
ナギョンは立ち上がり、会議机へ資料を広げた。ハンビッ医院の廃業関連目録、旧会計システムの保管先一覧、再開発組合の工程表、現場作業指示書。紙の角には急いでコピーした跡が残っている。
ミンソが赤い付箋を貼った束を差し出した。
「旧郵便局のほうです。建物全体の取り壊し開始は、明日午前十一時。でも内部の郵便設備撤去は、午前五時から七時までに先行作業として終える、とあります」
「六時間早い……」
ナギョンは付箋の行を見つめた。
そこには、太字でこう書かれていた。
『郵便受け、仕分け棚、旧私書箱等の郵便設備は建物本体解体前に撤去し、搬出車両一号へ積載。現場内保管不可。』
さらに下の細目に、手書きの丸がつけられている。
『黒色金属製郵便受け一基。仕分け台東側。最優先撤去対象。』
血が、一気に指先から引いた。
建物が壊される時ではない。壁が崩れる瞬間でもない。黒い郵便受けは、建物全体の取り壊しより六時間早く外され、現場の外へ運び出される。交信が郵便局という場所に結びついているなら、午前十一時まで待つ猶予など最初からなかった。
ミンソが小さく息をのんだ。
「先生、この黒色金属製って……探しているものですか」
ナギョンは答えなかった。答えられなかった。
壁の時計は午後十一時十九分を示していた。午前五時まで、五時間四十一分。次の一通を書くための事実は、まだ足りない。けれど郵便受けは、夜明けと同時に外される。
ナギョンは震える手で白い便箋を取り出した。
今度間違えれば、ウジンは本当に戻れない。だが書かなければ、過去へ届く道そのものが消える。
受取人、10年前の私へ。どうか一人で消えようとする彼の手を離さないで
18話 過去へ送る二通目の指示書
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