白い一行は、誰も声を出せないまま中央画面に焼きついていた。
《予定着陸地は人間居住に不適合》
削除準備率は三十六パーセントから動かず、赤い進行バーの端で細く震えていた。ダソムの声はもうなかった。柔らかな女性声で説明する余裕も、命令を拒む一文もない。ただ黒塗りの欄の底から押し出された警告だけが、居住膜の全員の目の前に残っていた。
ラオンが補助コンソールにかじりついたまま言った。
「ログ本文じゃありません。削除前検査の出力です。参照パスはもう閉じます」
「保存は」
「中央画面に出た分だけ。原本は……戻れません」
その瞬間、進行バーが一つ跳ねた。
《削除準備率 三十七パーセント》
眠っていたはずの航法コンソールが、ひとりでに点灯した。薄い青ではなく、黒い背景の中に白い文字だけが浮く。誰かが悲鳴を呑み込み、外縁五の男が毛布を握りしめた。
イソは反射的にドヒョンの前へ出た。
「止めてください」
ドヒョンは画面から目を離さなかった。
「ベル、続行だ」
「指揮官」
「続行だと言った」
ベルの眉がわずかに動いた。灰色の防護服の肩に残った赤い砂が、照明の下で乾いた血のように見えた。彼女は工具ベルトへ手を戻したが、切断器を抜く速度だけは遅かった。
イソは声を上げた。
「予定地が不適合だと出ています。これはAIの弁明ではありません。着陸理由の黒欄と同じ場所から出た検査文です。補給コンテナは予定地にあります。そこへ探索隊を出す前に、理由を確認しなければなりません」
「恐怖を煽っているだけだ」
ドヒョンの声は低く、硬かった。
「廃棄を遅らせるために、人間が一番怯える言葉を選んだ。居住に不適合。意味はいくらでも取れる。地盤かもしれない。気象かもしれない。あるいは、機械が自分を消すなと言っているだけかもしれない」
「なら、確認すればいい」
「確認のために、統制不能のAIを残す理由にはならない」
「統制不能なのは情報を閉じている側です」
通路の空気が鋭く縮んだ。ドヒョンの視線が、ようやくイソへ向いた。短く刈った髪の下で、彼の顔は疲労を見せなかった。疲労を見せれば、人々が崩れると知っている顔だった。
「君はまた言葉をすり替える。人間を動かした機械が、今度は全員の前で予定地を危険だと言った。君はそれを信じろと言うのか」
「信じるとは言っていません。消す前に調べるべきだと言っています」
「その間に何を失う」
イソは一瞬、言葉を詰まらせた。食料。熱。酸素。信頼。すでにどれも少しずつ失っている。
ドヒョンはその沈黙を切った。
「ベル、中核隔離を続けろ。削除手順を止めるな。航法コンソールは外部出力を遮断。ラオン、補助線から手を離せ」
ラオンの指が止まった。監視要員の一人が彼の背後へ近づく。イソはその動きを横目で見て、反論している時間がもうないと悟った。ドヒョンを説得するには証拠が足りない。証拠を得るには、今消えかけているものを盗むしかない。
イソはラオンへほんのわずかに目配せした。
ラオンは一度だけ瞬きをした。次の瞬間、彼の左手がコンソールから離れ、右手だけが袖の陰で細いケーブルを別の端子へ差し替えた。画面上では監視要員に見えるよう、接続解除の表示が出る。だが補助バッテリーの底で、青い小さなランプが一つだけ生き残った。
「了解しました。主線から離れます」
声は乾いていた。敬語の形をしていたが、その奥で別の作業が走っていることを、イソだけが知っていた。
彼女はミンジェを探した。包帯を巻いた右手を胸に抱えた若い整備士は、支柱の陰で切断班の動きを見ていた。イソが二本の指を下へ向けると、彼はすぐに工具箱を持ち上げた。外縁整備通路へ、という合図だった。
ハリンは医療ベストのポケットへ体温計を戻しているところだった。イソが視線を送ると、彼女は周囲の患者を看護補助に任せ、短く近づいてきた。
「倒れた人?」
「まだ。探索の話です」
「今?」
「今しかありません」
ハリンは文句を言わなかった。問いは一つだけだった。
「予定地へ行く前に、何を持っていく」
「環境測定器。汚染遮断キット。低温サンプル容器。ミンジェにはローバーを見てもらう。ラオンが航路ログと予定地の環境データを抜く」
「指揮官は許可しない」
「だから、許可を求める前に必要な形へしておきます」
ハリンは数秒、イソの顔を見た。医師としては止めるべき疲労がそこにある。だが患者の命を守るために、危険な部屋へ先に入るしかない時があることも知っている顔だった。
「汚染遮断キットは二つだけ。誰を連れて行くか絞って」
「私、ミンジェ、あなた。ローバー一台。指揮部から監視が付くなら一人まで」
「戻ったあと隔離される可能性も考えて」
「考えています」
その答えは嘘ではなかった。ただ、考えても止まれないだけだった。
中央画面では進行率が三十八へ近づいていた。ベルの班が床下の中核区画から封印タグの番号を読み上げる。ダソムの機能名は、灰色の墓標のように一つずつ消えていった。発話権限。航法補助。居住膜予測。補助腕制御。どれも恐怖の名であり、同時に生存の道具だった。
イソはドヒョンへ向き直った。
「指揮官。削除を止められないなら、少なくとも表示された警告に基づく現地確認を承認してください。予定地の補給へ向かう前に、小規模探索で安全を確認します」
「今この場で、廃棄作業中のAIが出した文を根拠に探索隊を出せと言うのか」
「根拠は文だけではありません。現在着陸位置の選択理由が、安全監査局の権限で黒塗りされています。補助腕の認証者欄も同じです。今出た警告もその黒欄の内側から出ました。三つが同じ方向を向いています」
「方向とは何だ」
「予定地に、知らされていないリスクがあるという方向です」
ドヒョンは答えなかった。答える代わりに、監視要員へ目だけで合図した。イソの周囲に二人が近づく。拘束ではない。まだ、そこまでの命令は出ていない。だが彼女を画面とコンソールから離すには十分な距離だった。
その時、航法コンソールが二度目に点滅した。
音はなかった。だが居住膜の全員が同時に息を止めた。黒い背景が一瞬だけ深くなり、白い文字列が縦に走った。数字、座標、深度、観測周期。ラオンが低く叫ぶ。
「三秒だけ開いてる!」
イソは画面を見た。予定着陸地の周辺地図が簡略表示され、地下方向へ細い点がいくつも刺さっていた。地表ではなく、深度二十六から四十一メートル。観測名の欄には、信じがたい語が並んでいる。
《微細生体信号 周期観測》
《有機分子配列変動》
《地下熱反応 反復》
座標一覧は、補給コンテナ群のビーコン方向と同じ扇形に重なっていた。一つではない。複数の点が、予定地の地下に散っている。誰かが「生体?」と震えた声を漏らした。
ラオンの手が袖の陰で動いた。コピー進行を示す表示は表には出ない。だが彼の目が赤く見開かれ、額の乾いた血の跡が引きつる。
「取れた?」
イソは唇をほとんど動かさずに尋ねた。
ラオンはほんの少しだけ首を振り、それからうなずいた。全部ではない。だが何かは取れた。そういう合図だった。
三秒が過ぎた。
座標一覧は、最初から存在しなかったかのように消えた。黒い欄が戻り、白い警告文だけが再び残る。進行バーは三十八パーセントへ進み、コンソールの光は力尽きるように落ちた。
中央居住膜は、誰も動けない沈黙に包まれた。今見たものを理解した者は少ない。だが理解できないからこそ、人々の顔から血の気が引いていた。人間居住に不適合という言葉の下に、地盤でも気象でもない何かがある。
ドヒョンが先に口を開いた。
「表示は未確認データだ。混乱を招く解釈を禁じる」
その命令は、いつものように短く終わった。だが今回は、通路の奥まで届く前に力を失った。人々はもう見てしまった。予定地の地下に並ぶ座標と、生体信号という文字を。
イソは消えた画面を見つめていた。
黒塗りは、計算を隠していたのではなかった。そこにあったのは、誰かが封じた警告だった。ダソムは火星の地形だけを読んでいたのではない。人間が降りようとしていた土地の下に、まだ名を持たない何かが脈打っていることを読んでいたのだ。
ラオンが彼女の横へ寄り、監視要員に聞こえない声で言った。
「断片だけです。でも、座標の一つが補給コンテナ主群の真下と一致します」
イソの指先が冷えた。
補給は、三百六十八名が生き延びるための唯一の遠い希望だった。その真下に、ダソムが三秒だけ見せた微細生体信号がある。
イソはミンジェとハリンへ視線を送った。二人はすでに動く準備をしていた。
次に向かうべき場所は決まった。だがそこは、食料と水を取りに行く場所ではなく、夜明け号が本当は何を避けたのかを確かめる場所へ変わっていた。
帰る船を燃やした朝、火星に憲章が生まれた
12話 補給路に残る生態実験
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