日が暮れるころ、ドギョムはヘナズ・ダイナーの裏手へ戻ってくる。
朝に踏み出した泥は、もう別の泥になっている。雨は細くなったが、通りの水たまりには赤いネオンが割れて浮かぶ。昼の間、彼は廃材置き場から町の中心を見張り、白いバンが増え、検問が締まり、食堂の前をパトカーが二度流すのを見た。
正面からは行けない。裏路地も安全ではない。だがラウクは、ヘナが扉を開けるかどうかを見ている。ならば、開けたあと何を隠すかを読ませなければいい。
ドギョムは裏口を叩かない。雨樋の下に転がる割れたレンガを一つ動かす。金属片が小さく鳴る。昨日、彼女が裏口から彼を入れたとき、足で動かした合図だ。
扉の内側で皿の触れ合う音が止まる。
細い隙間が開く。ヘナの目だけがのぞく。黒髪を後ろでまとめ、顔には眠りの跡がない。彼女は彼の外套がないこと、シャツが泥で重いこと、左手が壁につかないよう浮いていることを順に見る。
「入って」
それだけ言って、扉を広げる。
厨房は閉店後の油と漂白剤の匂いが残っている。表の客席には灯りが半分だけついている。ブラインドの隙間から通りが見えるが、通りから中は見えにくい。
ヘナは床を見て、彼のブーツ跡を布巾で一歩ずつ消す。昨日と同じ動きだ。違うのは、今夜は追い出すためではなく、残すために消していることだった。
「ラウクがここを見ろと言った」
ドギョムが低く言う。
ヘナは驚かない。首を一度だけ縦に動かす。
「知っています。昼に二人来ました。コーヒーを頼んで、何も飲まずに帰りました」
「聞かれたか」
「あなたのことは何も。聞く必要がない顔でした」
彼女は厨房奥の倉庫へ向かわない。小麦粉の袋と古い掃除用具棚の間に立ち、天井の板へ手を伸ばす。しばらく指先が迷う。昨日の夜明け、彼女は午前五時に出ていけと扉を開けた。今は、同じ手が別の扉を探している。
細い鎖が軋む。
天井の四角い板が下がり、折りたたみ式の梯子が暗い口を開ける。断熱材の白い端がひらひらと揺れ、埃が厨房の灯りに落ちる。
「上へ」
ドギョムは一拍だけヘナを見る。彼女は視線を返さない。梯子の下に立ったまま、表のベルと裏口の両方を聞いている。
屋根裏は低い。食堂の上に無理やり作った空間で、背筋を伸ばせば梁に頭をぶつける。断熱材はところどころ剥がれ、木材の隙間から客席の白い照明が細い線で漏れている。
だが、ただの物置ではない。
壁際には缶詰が箱ごと積まれている。水のボトル、軍用寝袋、予備の靴下、乾いたタオル。プラスチックケースの中には救急キットが二つ、電池、古いプリペイド携帯、そして小さな無線受信機がある。アンテナは針金で延ばされ、屋根の換気口へつながっている。
誰かを一晩隠す場所ではない。
長く隠した場所だ。
ドギョムは床の端を見る。小さな靴跡が、埃の薄い層にかすかに残っている。昨日の倉庫にあった小さめの運動靴と同じ幅だ。壁の梁には、子供の爪で刻んだような短い線が三本残る。
ヘナは何も説明しない。梯子を上がり、床板を戻す前に下を確認する。それから救急キットを開く。
「座って」
「動ける」
「座って」
低い声だが、命令の形をしている。ドギョムは梁の横に腰を下ろす。肋骨が内側から噛む。息が一瞬浅くなる。
ヘナはそれを見逃さない。彼の右手を取り、手の甲の擦り傷へ消毒液を落とす。痛みは鋭いが浅い。問題は左の肋骨だ。彼女はシャツの泥をめくり、青黒くなった脇腹を見て、眉だけを動かす。
「折れてはいないと思います。でも、ひびはある」
「医者か」
「夫のために覚えました」
その言葉だけ、空気の温度が変わる。
ヘナは包帯を取り出し、肋骨の下へ通す。手つきは慣れている。強すぎず、弱すぎない。息を吸うときだけ圧を逃がし、吐く瞬間に締める。
「私の夫も、こういう形で死にました」
ドギョムは黙る。
「薬物事故として処理されたけど、事故じゃなかった」
包帯の端が留められる。ヘナはしばらく手を離さない。自分の左手首を見る。普段なら袖口か布巾の陰に逃がす場所だ。今夜は逃がさない。
彼女は袖を少し押し上げる。
古い火傷の跡がある。手首の内側から掌の根元へ、皮膚が引きつれて光っている。ただの厨房の火傷ではない。押しつけられた形だ。丸い底の跡が、今も皮膚の下に残っている。
「処方箋を書けと言われました。夫が自分で薬を欲しがったことにする紙です。念書も。もう町には迷惑をかけない、治療に同意する、と」
ヘナの声は乾いている。泣く声ではない。泣き終わったあと、骨だけ残った声だ。
「断ったら、熱いコーヒーポットをここへ押しつけられました。夫はその夜、郡リハビリセンターへ運ばれました。三日後に死亡通知。死因は薬物事故」
ドギョムは火傷の跡を見る。ラウクの報告書の手。プライスの笑顔。白いバン。全部が同じ紙の上に載る。
「誰が押しつけた」
「代理の一人です。命じた人の名前は、言わなくてもわかるでしょう」
ヘナは袖を戻す。火傷は隠れる。だがもう隠れたことにはならない。
ドギョムはシャツの内側から、湿った紙片を出す。ミゲルの五桁の識別番号と、日付だけのメモだ。屋根裏の薄い灯りの下に置く。
「少年が持っていた」
ヘナの手が止まる。
彼女は数字を見る。五桁。横に空白の日付欄。黒いペンで急いで写したような線。息を吸う途中で、その息が胸の奥に引っかかる。
「それを、どこで」
「聞かないほうがいい」
「そうですね」
言葉とは裏腹に、彼女の顔色は落ちている。知らない数字ではない。見たことのない恐怖ではない。彼女は立ち上がり、梯子へ向かう。
「ここで待っていて」
ドギョムは彼女の手首を見る。さっき包帯を巻いた手が、今はわずかに震えている。
「下へ一人で行くな」
「あなたが下りれば、床が鳴ります」
正しい。だから彼は動かない。
ヘナは梯子を下り、天井板を半分だけ戻す。細い隙間から、客席の影が見える。彼女はカウンターへ歩き、レジの下に膝をつく。布巾で拭かれ続けた古い床板の一枚を、爪の先で持ち上げる。
木が低く軋む。
床の下から出てきたのは、黒いノートパソコン一台だった。ビニールで二重に包まれ、さらに新聞紙が巻かれている。新聞の日付は一か月前。ジョアン・リバースの失踪記事が、小さく折れた面にかかっている。
ヘナはそれを胸に抱え、もう一度梯子を上がる。屋根裏へ戻ると、息を整える間もなく包みをドギョムの前に置く。
「ジョアンが消える三日前に預けていったんです」
ビニールが解かれる。古い電子機器の冷たい匂いがする。
「パスワードは知りません。電源を入れたら、誰かに場所がわかる気がして。一か月、触ることもできませんでした」
ドギョムはノートパソコンを受け取る。重さはたいしたことがない。だが町の重さが、そこに薄く畳まれている。
「なぜ今出した」
ヘナはミゲルの数字を見下ろす。
「その番号が、夫の紙にあったものと同じ形だからです」
下で、入口のベルが鳴る。
澄んだ小さな音が、屋根裏の梁まで届く。ヘナの顔から血の気が消える。ドギョムはノートパソコンを寝袋の下へ滑り込ませ、無線受信機の音量を指で切る。
濡れた軍用ブーツの音が二人分、客席の床を踏む。
一歩、二歩。水が板に落ちる音。革のベルトが鳴る音。星形バッジがカウンターの灯りを受ける気配。
足音はカウンター前で止まる。
屋根裏の床板一枚を挟んだ真下で、男の声が低く言った。
「閉店後に悪いな、ヘナ。少し、天井を見せてもらう」
法が遅すぎる町で、今日倒すべき悪党を倒す男
18話 屋根裏のジョアンのノート
次の話