男の声が真下から上がった瞬間、ヘナは梯子の取っ手に手をかけたまま固まる。
ドギョムは寝袋の下へ滑らせたノートパソコンから手を離さない。屋根裏の床板一枚の下で、濡れたブーツの足音が向きを変える。二人。片方は入口近く、もう片方はカウンター前。どちらも腰の高さに拳銃がある。
「天井?」
ヘナの声は低い。震えはない。
「雨漏りがあるって通報があった。店を守るためだ」
「閉店後に?」
「ラウク保安官は親切なんだ」
乾いた笑いが一つ。ヘナは天井板の隙間からドギョムを見る。目だけで、待て、と言う。
ドギョムはうなずかない。うなずく音すら要らない。
ヘナは天井板を静かに戻し、下へ降りる。床板越しに、彼女がカウンターの内側へ歩く音がする。カップが二つ置かれる。コーヒーポットの底がガラスに触れる。熱い液体が注がれる音が、屋根裏の沈黙を薄く覆う。
「点検なら、明日の昼にして」
「今、見たいんだよ」
「今は脚立も出せない。客席を片づけたばかり」
「なら待つ」
椅子が引かれる。わざと床を鳴らす座り方だ。もう一人は立ったまま、ゆっくり店内を歩いている。ドギョムは床板の細い光の線から、影の動きを読む。カウンターの端。掲示板。倉庫の扉。次は厨房だ。
彼は息を浅くする。肋骨が包帯の下で軋む。ノートパソコンを膝へ戻し、ビニールを完全に外す。古い黒い筐体。角に乾いた泥のような傷がある。
下ではヘナがコーヒーを注ぎ足している。
「砂糖は」
「いらない」
「じゃあ飲んで。冷める」
その短いやり取りの間に、ドギョムは電源コードを屋根裏奥の延長タップへつなぐ。ランプが一度、弱く点く。ファンが乾いた咳のような音を立てて回り始める。
彼は左手で画面の角度を抑え、光が床板の隙間へ漏れないよう体で覆う。起動画面が暗い青を吐く。パスワード入力欄だけが浮かぶ。
ヒントは何も出ない。
ドギョムは掲示板の白い紙を思い出す。行方不明者ビラ。ジョアン・リバース、三十二歳、記者。写真の女は笑っていなかった。右下の、小さすぎる黒い字。
JR32。
彼がキーを打つ前に、外したビニールの間に挟まっていた小さな紙片に気づく。
カウンター下で使う注文票の裏だ。鉛筆で四文字だけ書かれている。
JR32
ヘナも覚えていた。いや、写しておいたのだ。掲示板のビラを読むだけにして、と言った女が、読むだけでは終わらせず、ノートパソコンと一緒に包んでおいたのだ。
ドギョムは四つのキーを押す。
J。R。3。2。
エンター。
一拍、画面が止まる。下で椅子がまた鳴る。立っている代理が厨房へ一歩近づく。
次の瞬間、画面が開く。
整理されていないフォルダが、雑草のように並んでいた。作成日も名前もばらばらだ。だがいくつかだけ、意味を持って刺さる。
PRICE。
BRASSLINE。
CR-7。
数字。
それ以外にも、日付だけのフォルダ、短い録音ファイル、ぼやけた画像の山。ジョアンは逃げる直前、整える時間もなく詰め込んだ。調査資料ではなく、血を流しながら抱え込んだ破片だ。
ドギョムは最初にPRICEを開く。
PDFが十数個。町長エヴァン・プライスの再開発融資明細。郡銀行の小口融資保証。リハビリセンター運営財団への補助金申請。ハドリー民間矯正施設の委託契約書。
表面の名目はきれいだ。更生支援、地域再建、雇用創出、医療連携。どれもラジオで聞いた町長の声に似ている。
ドギョムは数字だけを見る。
同じ日付。三万二千ドル。別の帳簿では施設備品費。別の帳簿では移送契約前払い。さらに別の帳簿では再開発広報費。同じ金額が、同じ日に、違う名目で出入りしている。
金は消えていない。名前を変えて回っている。
人間と同じだ。
「町長はこの店の天井まで直してくれるの」
下でヘナが言う。
「反抗的だな」
「客がいるときだけ愛想よくする」
「今も客はいるかもしれない」
笑い声。近い。代理の影が厨房の入口で止まる。ドギョムは画面をさらに倒し、指だけで次のフォルダへ移る。
BRASSLINE。
開いたのは地図だった。夜間輸送ルートの赤線。郡リハビリセンター裏口から峡谷側へ下り、ブラスライン物流センターへ寄り、カジノシャトルの進入路と一部で重なる。別のレイヤーにはカジノシャトルの時刻表が載っている。
真夜中直後、シャトルが五分遅れる時間帯だけ、輸送車両の赤線が本線へ出る。昼の道路標識で見た三つの矢印。リハビリセンター、ブラスライン、ハドリー。全部が同じ峡谷へ沈んでいく。
外へ出る道ではない。運び出す道だ。
CR-7を開く。
最初は写真だった。白い壁。強化扉。番号札のついた棚。作業服の背中。手首に巻かれた灰色のブレスレット。どの写真も斜めで、焦点がずれている。隠し撮りだ。
次に短い動画ファイルがある。作成日はジョアンが消える四日前。
ドギョムは音量をゼロにして再生する。
画面の中で、作業服を着た人々が長い机に並んでいる。顔は映らない。ビニール手袋の手だけが動く。白い錠剤を数え、透明な袋へ入れ、ラベルの貼られた小箱へ詰める。別の机では粉末が小さなスプーンで分けられ、精密秤の数字が点滅する。
合法のリハビリではない。労働でもない。
製造だ。
ドギョムは一時停止する。最後のフレーム。机の端に作業表が写っている。ぼやけている。彼は画面を拡大し、画像処理の簡易ボタンを二つ試す。輪郭が少しだけ立つ。
CR-7A。FEN-RAW。BLUE-LINE P30。M-press。
軍の捜査で何度も見た種類の略号が、胃の底を冷やす。合法医薬品の成分コードではない。フェンタニル原料を示す内部コード。偽造鎮痛剤ラインの色別管理。リハビリセンターの裏で、名前を奪われた人間が錠剤を作らされ、その箱をブラスラインが運んでいる。
ミゲルの母。アルマ。トミー。ジョアン。
五桁の数字は、ここに来る前の名札かもしれない。
下で、カップが置かれる音が止まる。
立っていた代理が言う。
「今、上で何か鳴ったか」
ヘナの声が返る。
「古い屋根です。雨のたびに鳴る」
「雨はもう弱い」
床板の下で、ブーツが一歩、厨房側へ動く。梯子の真下に近づく音だ。
真下で、保安官代理が天井を見上げた。
ドギョムはすぐに電源を落とさない。落とせばファンが止まり、その変化が聞こえる。ノートパソコンの画面の明るさを手のひらで完全に隠す。
「ヘナ」
代理の声が低くなる。
「屋根裏、今光ったな」
踏み込まれたら、床板を蹴り抜くより先に相手の銃を見なければならない。ドギョムは空いた右手を床に置く。
次の瞬間、金属の爪が天井板の縁に掛かる音がした。
法が遅すぎる町で、今日倒すべき悪党を倒す男
19話 星形の町に開く黒い穴
次の話