アルマの息が止まった音を、ドギョムは梯子の下で聞く。
ヘナも聞いている。ミゲルは黄色い札のついた鍵を握ったまま、屋根裏の暗がりを見る。だがアルマは起き上がらない。薄い毛布の中で、目だけが開いている。
「箱を開けないで」
かすれた声が床板の隙間から落ちる。
ドギョムは顔を上げる。
「粉が出てたら、触らないで。服についたら、犬じゃなくてもわかる。あの人たちは、匂いで言い当てる」
ヘナの顔が硬くなる。アルマはそれ以上言わない。言えば作業場の記憶まで一緒に出てくる。ドギョムは短くうなずき、ダッフルバッグの口を閉じる。
「覚えた」
夜は雨を細くしている。ブラスヒルの通りは濡れたまま光を返し、食堂の裏路地には焼けた油と古い水の匂いが残る。ドギョムは表を使わず、排水溝沿いに解体屋へ戻る。ルーファスは作業場の灯りを一つだけつけ、ラジオの音を上げたまま待っている。
赤いフォードは裏庭の廃車の列の中で、眠った獣のように沈んでいる。ナンバープレートはなく、フロントグリルは片側だけ歪み、助手席の床には雨水が薄く溜まっている。ドギョムはエンジンを一度だけ叩く。キーを回すと、古い鉄が咳き込むように震え、二拍遅れて低くかかる。
ルーファスは窓の外からホースカッターを差し出す。
「半分だけだ。完全に切るな」
「わかってる」
「本線で破裂したら死ぬ」
「死体は要らない」
ルーファスの目が一瞬だけドギョムを見る。そこにあるのは確認ではない。十年閉じ込めた怒りが、今夜だけ別の形を選ぶことへの、ぎりぎりの納得だ。
ドギョムはライトをつけず、フォードを峡谷の迂回路へ入れる。雨雲の切れ目から薄い月が出て、崖の壁だけを白く削る。彼は二つ目の停車地点の手前、折れた街灯の光が届かない外側へ車体を滑り込ませる。エンジンを切ると、峡谷は急に広くなる。水滴がボンネットを打つ音だけが、時間を刻む。
午前零時を少し過ぎ、最初のブラスライン車両が下ってくる。ドギョムは運転席の影で動かない。一台目は予定どおり排水溝横で一分止まり、二つ目の停車地点で四分止まる。だが手を出さない。狙いは二台目だ。箱番号B-L-17が見えた車両。白い粉が漏れていた車両。
五分後、二台目のディーゼル音が峡谷を押してくる。車体の側面に青い線。後輪は沈んでいる。運転手は折れた街灯の下で停車し、エンジンをかけたままドアを開ける。
無線機を持った男が降りる。助手席の男は窓から一度だけ外を見て、すぐシートへ沈む。ドギョムは腕時計を見ない。二晩、同じ四分を体に入れてある。
一分目、運転手は車体の前へ歩く。濡れた路面に煙草を捨て、無線の音を聞く。
二分目、ドギョムはフォードから滑り出る。体を低くし、崖側の影を使う。軍用ブーツの音は雨水とディーゼルの震えに消える。
三分目、彼はブラスライン車両の下へ入る。熱い金属と泥の匂いが顔に落ちる。ホースカッターの刃をブレーキホースへ当てる。完全に切れば、ここでは止まらない。本線に入って速度が乗ったあと、車は人を殺す。ドギョムは刃を半分だけ入れ、長く裂く。裂け目は浅すぎても駄目だ。圧がかかったときだけ抜ける長さが要る。
ゴムの内側に細い白い筋が見えたところで止める。指先に油がつく。彼は布で拭き、切りくずを拾ってポケットへ入れる。痕跡は残す。だが、見つける者が見つける時刻だけを選ぶ。
三分二十秒。車体の下から抜け、運転席側の影へ移る。ドアの鍵穴にルーファスのマスターキーを差し込む。一本目は合わない。二本目も浅い。三本目で古いシリンダーが鈍く動く。
ドアは大きく開けない。少しの隙間だけでいい。ドギョムは細いワイヤーで内側のキーフックを引っかける。輸送キーの束が二つ、ダッシュボード下で揺れている。片方だけを抜く。全部消えればすぐ気づく。一組だけ消えれば、最初に疑われるのは最後に触れた人間だ。
三分四十秒。荷台へ回る。マスターキーでロックを外すと、金属音が小さく鳴る。助手席の男が車内で身じろぎする。ドギョムは息を止め、風で揺れた扉の音に見せる。男は外へ出ない。
荷台には薬品箱が五つある。黒い印字。B-L-14、B-L-15、B-L-17、B-L-21、番号の削れた一箱。箱は想像より重い。中身は錠剤だけではない。彼は一つ目を肩へ載せ、赤いフォードの荷台へ運ぶ。古い床板が低く鳴る。二つ目はB-L-17だ。角のビニールが破れ、白い粉の袋が箱の隙間から突き出している。
袋の端が手の甲に触れる。
冷たいわけではない。だが皮膚がその一瞬だけ別のものになったように感じる。アルマの声が頭の中で戻る。粉が出てたら、触らないで。
ドギョムは動きを止めない。ダッフルバッグから布テープを出し、袋の口を一度巻く。まだ足りない。もう一度、角度を変えて巻く。粉が指につかないよう、箱の側面だけを持つ。番号を目で焼きつける。B-L-17。ジョアンの映像の端にあった印と同じ形だ。
四分まで残り十秒。
荷台のロックを戻し、抜いたキーをポケットの奥へ押し込む。ドギョムは赤いフォードの陰へ入り、さらに峡谷の壁の黒い裂け目へ消える。運転手が無線を終え、悪態をつきながら戻ってくるのは、その直後だ。
「毎回毎回、ここで待たせやがって」
男は煙草を踏み消し、ドアを閉める。二台目のブラスライン車両は何事もなかったように動き出す。助手席の男はあくびをし、荷台の重さが二箱ぶん軽くなったことには気づかない。
ドギョムは峡谷の影の中で赤いフォードへ戻る。エンジンをかける前に、手の甲を濡れた布で二度拭く。白い粉は見えない。匂いもない。だから安全だとは考えない。彼は布をビニールに包み、助手席の下へ押し込む。
フォードはカジノ裏道へ出ず、古い鉱山電話線の保守道を使う。木の枝が錆びたドアを引っかき、床下で石が跳ねる。積んだ箱は荷台で一度だけ滑るが、ドギョムは速度を落とさない。止まる場所は決めてある。ヘナの冷凍倉庫。奥の棚二段。古い牛肉パティの後ろ。
四十分の空白が終わるころ、ブラスライン二台目は八十一号線本線へ入る直前の路肩で小さく傾く。裂いたホースが圧に負け、空気の抜けるような音が車体の下から漏れる。
プシュー。
運転手がブレーキを踏み直す。ペダルは深く沈み、車両は白線の手前で止まる。事故にはならない。死体も出ない。ただ予定だけが壊れる。
「くそっ、ブレーキだ。二号車、路肩停止。整備を呼べ」
無線機の向こうで、別の男が黙る。その沈黙が長い。運転手はもう一度悪態を吐き、ダッシュボード下へ手を伸ばす。
その時、彼の指が空をつかむ。
赤いフォードはすでに町の裏側へ入っている。ヘナは冷凍倉庫の扉を開け、白い冷気の中で棚を空ける。ドギョムは箱を二つ押し込み、B-L-17の破れた角を奥へ向ける。輸送キー一組は、凍ったパティの箱の隙間に沈む。
無線受信機が厨房の下で短く鳴る。
運転手の声ではない。低く、知らない男の声が言う。
「キーを数えろ。消えたなら、内部だ。三人を起こせ。誰が箱を触ったか、今すぐ吐かせろ」
ヘナの手が冷凍倉庫の取っ手で止まる。ドギョムは冷気の奥で、消えたキーではなく、これから互いを疑い始める三人の顔を思い描く。
法が遅すぎる町で、今日倒すべき悪党を倒す男
34話 三人の疑心を育てる夜
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