ドギョムの足が止まったその同じ夜、ヘナズ・ダイナーの窓には、まだ閉店後の小さな明かりが残っている。
カウンターの奥で、ユン・ヘナは黒電話の受話器を戻したばかりだった。一回鳴らして切る。まだ踏み込まれていない、という合図。だが受話器を置いた指先に、嫌な冷たさが残る。
外の雨音の底で、保安官事務所の車両三台のタイヤが、ほぼ同時に砂利を噛む。
ヘナは振り返らない。まずグリルの火を急いで落とす。その際、焦った左手首が熱い鉄板の縁に触れ、細く赤い火傷の線が走るが、痛みには構わない。次にカウンター下の封筒ノートを取る。薄い黒いノートではない。封筒の厚み、曜日、顔、輸送箱の数。ひと月分の汚れた息を吸った紙束だ。
入口側に一台。裏口側に一台。通り向かいの空きガレージ前に一台。
複数の星形バッジの影が、曇ったガラスに重なる。
「ヘナズ・ダイナー。ガス漏れ点検だ。開けろ」
低い声が、店の前から来る。警告なしの突入の合図だ。もう始まったあとに、名目だけを投げる声だ。
ヘナは返事をしない。封筒ノートを胸元の内側へ押し込み、厨房を横切る。冷凍倉庫の扉を見る。奥の棚二段。古い牛肉パティの箱の後ろ。そこには薬品箱が二つ、ビニールにくるまれて眠っている。
取りに行く時間はない。
「アルマ」
ヘナは厨房奥の梯子を引き下ろし、屋根裏へ上がる。低い天井の下で、アルマは毛布にくるまったまま、すでに目を開けている。起こされたのではない。車の音で、体が先に起きた顔だ。
「起きて。今」
アルマの喉が小さく鳴る。
「ミゲルは」
「外。今はあなた」
ヘナは短く切る。優しい言葉を選ぶ余裕はない。選んでいる間に扉が破られる。アルマは裸足のまま起き上がり、壁へ手をつく。手首に残る保安ブレスレットの跡が、薄闇の中で黒く見える。
下で、裏口の金属が一度鳴る。
「店主。聞こえてるな。ガスだ。中で倒れても知らんぞ」
別の声が、笑いを噛んでいる。
ヘナは屋根裏の簡易ベッドへ向かう。軍用寝袋の下、板の枠に指をかけ、強く引く。ベッドの下から折り畳まれた非常梯子が軋みながら出る。夫が生きていた頃、雨漏り修理の名目で作った小さな隠し戸と梯子の仕掛けだ。保安官代理がまだ、彼の名を薬物事故の紙に落とす前の仕事だった。
「ここから?」
アルマがかすれる声で言う。
「練習したでしょう」
「一回だけ」
「一回できれば十分」
ヘナは床板の隅の釘頭を押す。見えない小さな留め金が外れ、屋根裏の床と食堂の外壁の間に、細い黒い口が開く。大人一人が肩を斜めにしなければ通れない隠し戸だ。そこから非常梯子を下ろせば、外から見れば古い板壁の継ぎ目に隠れたまま、隣の路地へ降りられる。
下で、入口のベルが乱暴に鳴る。続いてガラスが割れる寸前の強さで震えた。
「鍵を壊すぞ」
「点検って、ずいぶん乱暴な音がするんですね」
ヘナは低く吐き捨てる。アルマの手をつかみ、先に隠し戸へ押し込む。
「頭を下げて。足を先に。梯子の三段目は抜ける。二段目から四段目へ」
アルマは息を飲みながら従う。細い体が板壁の隙間へ沈み、外の冷たい雨の匂いが屋根裏へ流れ込む。
ヘナは床板を見つめる。
その下には、ジョアンのノートパソコンがある。黒い本体、二重のビニール、JR32で開いた画面。町長の融資明細、ブラスライン、CR-7、数字の名簿。いま取り出せば両手が塞がる。取り出さなければ、火か水か手袋に持っていかれる。
「くそ」
低く漏らした声は、誰にも届かない。ヘナは床板の上へ毛布を戻す。見つけられるかどうかは、運ではない。ラウクの目なら、いずれ床を見る。だが今、アルマを下ろせなければ、ノートパソコンも何も残らない。床板の下なら炎の直撃は避けられるかもしれないが、今は運に任せるしかなかった。
ヘナは隠し戸へ体を滑り込ませる。
その瞬間、下で裏口が破れる。金属の悲鳴、木の割れる音、濡れたブーツが厨房へ入る音。
「台所からだ。冷凍倉庫を見ろ」
「屋根裏は」
「先に店主を押さえろ」
ヘナは歯を食いしばり、体を壁の内側へ落とす。非常梯子は手のひらに錆を残しながら揺れる。下でアルマが息を殺している。隣の路地へ通じる外壁の狭い出口は、雨樋の裏に隠れている。そこを抜ければ、通り向かいの空きガレージではなく、その隣の空の工具小屋へ回り込める。
だがガレージ前にも車がいる。
ヘナはアルマの肩を押す。
「右へ行かない。左、廃タイヤの裏」
「見つかる」
「見つける目は、ガレージの扉を見てる。壁の下は見ない」
アルマはうなずく。二人は膝を濡らしながら、路地の黒い水たまりを這うように進む。雨の匂いに、古い油と腐った木の匂いが混じる。店の中から、棚を開ける音、皿が割れる音、誰かがカウンターを蹴る音が続く。
「カウンター下、紙なし」
「パン棚、空だ」
「冷凍倉庫、開ける」
ヘナの肩が一瞬止まる。封筒ノートは胸の中にある。だが冷凍倉庫の奥の箱二つは、まだそこだ。
空きガレージの横の工具小屋へ入る直前、ヘナは振り返る。雨に濡れた路地の向こうで、ヘナズ・ダイナーの裏口が開いたまま黒く口を開けている。そこから保安官代理の一人が、二重ビニールの角をつかんだ小箱を抱えて出てくる。薬品箱の一つだ。
もう一つは奥の棚に残った。残ったはずだ。
「行くよ」
アルマが逆にヘナの袖を引く。震えているが、目は入口ではなくヘナを見ている。ヘナはうなずき、工具小屋の中へ身を滑り込ませる。古いガレージの壁の節穴から、食堂の裏と厨房の一部が見える。
突入から四分ほどで、火が上がる。
最初はカウンター横の小さな橙だった。濡れた夜の中で、あまりにも明るい。火が紙ナプキンの束を舐める。厨房側ではガスの甘い匂いが風に乗ってくる。
「誰か、バルブ閉めたか」
中の声は焦っていない。むしろ、言うべき台詞を探している遅さだ。
「グリルが点いたままだったんだろ」
「店主が逃げる前にか」
ヘナの爪が、工具小屋の腐った窓枠へ食い込む。厨房のガスバルブは、閉めた。自分の手で閉めた。手首を火傷してまでグリルも落とした。それでも炎は広がる。誰かが少しだけバルブをひねり、誰かが火を残し、誰かがその場を離れた。事故に見える痕跡を作るために。
まもなく食堂の半分が黄色い炎に包まれる。炎はカウンターを走り、壁のメニュー板を黒く縮める。古い油と紙と木が、一度に燃え始める。黄色い舌が天井へ届き、屋根裏の床板の下を熱がなでる。
ジョアンのノートパソコン。
ヘナは胸の中でその名を噛む。封筒ノートはある。けれど黒い本体は、毛布と床板のさらに下で熱に耐えている。
冷凍倉庫の奥で、何かが崩れる音がした。棚が焼け落ち、天井の断熱材が雪のように落ちる。突入班の手に持ち出された箱は一つ。もう一つは、天井の断熱材と焼け落ちた棚の下へ深く沈んで見えなくなる。
表通りでは、ようやく誰かが叫び始める。消防ではない。見物人を下がらせる保安官代理の声だ。
「離れろ。ガスだ。危険区域だ」
危険を作った口が、危険を告げている。
ヘナは笑わない。泣きもしない。唇を噛みすぎて、鉄の味がする。アルマの手首をつかみ、工具小屋の奥からさらに路地の端へ引く。遠く、コンベンションホールの方角では、まだ人のざわめきが細く続いている。ドギョムが上げた火は町へ広がり始めた。だからラウクは、最初にこの店を燃やした。
夜明け前、ヘナズ・ダイナーは食堂の形を失う。赤いネオンの骨、曲がったカウンターの金属、焦げた厨房の柱だけが、雨の中で黒い骨組みとなって立つ。
路地の端で、ヘナはアルマの手首を強く握ったまま動けない。アルマが痛みに顔をしかめて、ようやくその手を見下ろす。
ヘナの左手首には、昔の火傷の跡がある。夫の署名を拒んだ夜に押しつけられた、消えない痕。その横に、先ほど急いでグリルを落とした際に焼いたばかりの赤い線が、細く新しく浮かび上がっていた。
アルマが息を詰める。
ヘナはその赤い線を見てから、燃え落ちる店へ顔を上げる。目は濡れていない。ただ低く、聞こえないほど低く言う。
「もう、封筒は渡さない」
そのとき、路地の反対側で砂利が鳴る。保安官代理のライトではない。雨を切って走ってくる、一人分の重い足音だった。
法が遅すぎる町で、今日倒すべき悪党を倒す男
58話 峡谷に落ちた廃トラック
次の話