現場連絡者欄に自分の名前が打ち込まれているのを見ても、ジェユンは紙を握り潰さなかった。
ファクスの熱がまだ残っていた。テガン物流管理チームの角印、納品期限二十三時四十分、失敗時責任は現場連絡者一任。大人の名前は一つもなく、責任だけが中学生の名前へ落とされている。
スネが低く言った。
「これ、あんたの名前じゃないの」
「はい」
「はい、じゃないでしょう。こんなの、どうするのよ」
受話器の向こうでギチョルが待っていた。切らずにいるのは、こちらが慌てる声を聞きたいからだと分かった。
ジェユンは受話器を耳に戻した。
「単価はいくらですか」
「急ぎの協力だ。正規便じゃない。通常の四割で見ておけ」
食堂裏の空気がさらに沈んだ。大田の部品を群山工場まで動かす距離と時間を考えれば、燃料代と通行料を払えばほとんど残らない額だった。
ギチョルは鼻で笑うように続けた。
「お前たちは契約業者でも何でもない。正式に請けられる立場じゃないだろう。払ってもらえるだけありがたいと思え」
連絡網を役に立つと認めながら、存在そのものは見下す。テガンがいつも使う手だった。名前を与えず、責任だけ与え、終われば記録から消す。
「分かりました。その単価で受けます」
スネが息を呑んだ。ミョンスが食堂の入口で「おい」と声を漏らす。
電話の向こうでも沈黙が落ちた。ギチョルは、もっと揉めると思っていたのだろう。
ジェユンは続けた。
「ただし、責任者の名前をファクスでください。テガン側の責任者、荷の番号、出発地、到着先、到着希望時刻。受け取り側の担当者名も必要です」
「さっき言っただろう。まず動かせ」
「名前がなければ、誰も動けません。単価は受けます。その代わり、名前を残してください」
「お前、条件をつける立場か」
「条件ではありません。運行に必要な確認です」
ギチョルの呼吸がわずかに荒くなった。だが群山のラインが止まれば、困るのは本社だった。公式配車が塞がっているから、彼は子どもの連絡網へ電話をかけてきた。
しばらくして、ギチョルは低く言った。
「いいだろう。遊びの記録ごっこに付き合ってやる」
電話は切れた。すぐに二枚目のファクスが震えながら吐き出された。テガン物流管理チーム、パク・ギチョル。大田第一部品、箱番号三七から四二。群山テガン機械工場、受領責任者ヤン・ホチョル。到着希望、二十三時三十分。
ジェユンはその紙をノートへ挟み、三つの電話番号を順に指で押さえた。
大田には修理所のキム老人がいた。群山へ向かう戻り便は、全州(チョンジュ)から空で上がるチェ・サンモの車が近い。途中の休憩所で受け渡しを確認できる夜間警備は、マンシクの手帳に一人だけ番号があった。
「ミョンスさん、門番日誌に電話した時刻だけ残してください。誰にかけたかは書かなくていいです。時刻だけ」
「俺が書いていいのか」
「記録が必要です」
ミョンスは不安そうにしながらも、詰所へ走った。スネは食堂の隅から小銭の缶を持ってきた。
「電話代。あとで食券から引いて」
「二人の前で数えます」
「ほんと、面倒な子ね」
そう言いながら、スネの声は震えていた。
連絡は短く切った。大田には箱番号と積み替え場所だけを伝えた。チェ・サンモには単価の安さを先に言い、無理なら断っていいと告げた。相手は長く黙ったあと、「受領の名前があるなら行く」と返した。
最後に群山へつないだ。受領責任者のヤン・ホチョルは、本社からまだ正式な連絡を受けていないと怒ったが、ジェユンがファクスの時刻とギチョルの名を読み上げると声を落とした。
「……その紙、そっちにあるのか」
「あります」
「なら門を開けておく。二十三時半を過ぎたら、俺の名前は出すな」
「出します。受け取った時刻と一緒に」
受話器の向こうで舌打ちがした。それでも電話は切られなかった。
夜になると、食堂裏には運転手の家族が一人、また一人と集まった。誰が呼んだわけでもない。安すぎる単価で大田から群山まで走る話は、倉庫の隙間をすぐに渡っていた。
「なんでそんな条件をのむの」
平沢の運転手の妻が小声で言った。
「足元見られてるだけじゃない」
別の女が続けた。
「一度安く走ったら、次も同じにされるわよ」
ジェユンは公衆電話の横に立ったまま、紙から目を離さなかった。
「記録のない運行のほうが、人を窮地に陥れます」
女たちは黙った。釜山第一協力の白紙確認書を、誰も忘れていなかった。車両二三七の遅れにされかけた紙。負傷者の名前が消されかけた夜。安い単価よりも、名前のない責任のほうが深く刺さる。
「今回は単価を失って、名前を取ります」
ジェユンはそう言った。声はまだ少年の高さを残していたが、言葉だけが妙に冷えていた。
二十二時四十八分、大田の修理所から箱の積み込み完了の電話が入った。箱番号三七、三八、三九、四〇、四一、四二。チェ・サンモの車両番号も読み上げられた。ミョンスが詰所で時刻を書き、スネが同じ内容を食堂の伝票裏へ写した。
二十三時二十七分、群山の門から電話が鳴った。
「入った。今、数えてる」
ヤン・ホチョルの声は疲れていた。背後で金属のぶつかる音と、ライン作業員の短い叫びが混じった。
「箱番号をお願いします」
「三七から四二。六箱。封緘異常なし。受領、ヤン・ホチョル。二十三時二十九分」
ジェユンは復唱した。スネが息を吐き、ミョンスが壁にもたれた。誰かが小さく拍手しかけ、すぐ手を下ろした。
群山ラインは止まらなかった。
翌朝、倉庫長の机には本社からの礼状ではなく、短い確認ファクスだけが届いた。緊急納品完了。協力感謝。単価は約束通り四割。そこにジェユンの名はなかった。
だが現場では違った。
昼前、食堂裏の電話が鳴った。今度は天安の部品工場だった。午後には平沢の下請け運転手から、公式配車が塞がった時だけ相談できないかと尋ねられた。夕方には群山のヤン・ホチョル本人が、昨夜の車両番号をもう一度教えてくれと言ってきた。
電話は一つ、また一つと増えた。誰も連絡網とは呼ばない。ただ、困った時にジェユンを探した。
ソンロクはその様子を黙って見ていた。夜、宿舎へ戻る道で、彼はようやく言った。
「ジェユン。会社は、ただでは使わせない」
「分かっています」
「分かっていても、巻き込まれる」
ジェユンは父の横顔を見上げた。黒い外套の襟を立てていた本館時代より、今の父の肩は少し小さく見えた。それでも、逃げる時の背中ではなかった。
「だから、残します」
翌日の午後、食堂裏のファクスがまた震えた。
スネが紙を取った瞬間、顔色を変えた。テガン物流ではなく、テガン本社保安管理室の印が押されていた。題名は、保安協力覚書。宛名はパク・ソンロクでも倉庫長でもない。
パク・ジェユンおよび関連現場協力者一同。
本文には、今後すべての臨時運行名簿、車両番号、運転手連絡先、家族連絡先、病院および修理所の協力先を、週一回テガン本社へ報告すること、とあった。情報漏洩時の責任は現場協力者全員が連帯して負う。最下段には署名欄が並び、最初の枠だけが太線で囲まれていた。
パク・ジェユン。
ギチョルから電話が入ったのは、その紙を読み終えるより早かった。
「昨日はよくやったな。これで正式に面倒を見てやれる」
ジェユンは署名欄を見下ろした。ペンを置けば、連絡網は道ではなく鎖になる。
受話器の向こうで、ギチョルが静かに笑った。
「今日中に返せ。署名がなければ、昨日の運行は無許可輸送として処理する」
財閥家の末息子ではなく、財閥家の運転手の息子に転生した
27話 奪われない名簿の盤面
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