封筒を元の箱へ戻したあとも、ジェユンはすぐ布団へ戻らなかった。
壁へ向けたスタンドの光を消すと、半地下の部屋はまた湿った暗さに沈んだ。ソンロクの寝息、ジョンヒの浅い呼吸、遠くの路地を走る新聞配達の自転車の音。その全部が、三日という残り時間を細かく刻んでいるように聞こえた。
朝、ジョンヒは何も知らない顔で弁当箱を包んだ。銀色のふたの縁に、湯気が白く曇っている。
「お父さん、今日は戻れないかもしれないって。これ、本館の守衛さんに渡して帰ってきなさい。変なところに入ったらだめよ」
「……はい」
返事が少し硬すぎた。ジョンヒは首をかしげたが、熱が残っているのだと思ったのか、額に手を当てただけだった。
昼の授業は長かった。黒板の文字は目に入らず、ジェユンの頭の中では昨夜の同意書の条項だけが何度も折り畳まれて開いた。退職時精算。会社指定口座。異議放棄。家族確認。どれも子どもの生活には遠い言葉のはずなのに、今は母の帳面と父の爪の黒い油にまでつながっていた。
放課後の鐘が鳴ると、ジェユンは弁当包みを抱えて校門を出た。走らない。急げば目立つ。バスを一つ乗り、次は歩いた。テガン本館が見える頃には、午後の光がガラス壁に薄く張りつき、地下駐車場の入口だけが暗い口を開けていた。
守衛室の前で、彼は弁当を少し持ち上げた。
「父さんに届けに来ました。パク・ソンロクです」
守衛は名簿をめくり、面倒そうに顎をしゃくった。
「地下の待機室にいるはずだ。渡したらすぐ帰れよ」
その言葉は、前にも聞いた。子どもだから通された。子どもだから追い払われる。どちらも今のジェユンには必要な仮面だった。
地下へ下りる階段は、昼間でも湿ったゴムと排気ガスの匂いがした。奥へ進むほど、煙草の煙が濃くなる。車両待機室の扉の隙間から、低い声と金属椅子のきしむ音が漏れていた。
ジェユンは一度だけ息を整え、扉を押し開けた。
午後の待機室は、夜の本館とは別の緊張で満ちていた。壁際の灰皿には短い吸い殻が山になり、窓のない部屋の空気は煙草の煙と不安を一緒に抱え込んでいた。運転手が二人、隅の椅子に座って紙コップのコーヒーを握っている。
「十日だってよ。地下会議室」
「車両班だけじゃないらしい。警備協力の班長も呼ばれるって」
「福利基金の説明なら、なんで実印を持ってこいなんて言うんだ」
「声を落とせ。壁にも耳がある」
ジェユンは弁当包みを抱えたまま、入口で少しだけ立ち止まった。昨夜のメモと同じだった。対象者、車両班および警備協力班長。紙の中だけの文字が、今は煙草の煙の向こうで生身の声になっている。
「おい、ソンロクの息子じゃないか」
太い声が飛んだ。オ・マンシクだった。大きな体を椅子から起こし、いつものように豪快な笑みを作って近づいてくる。笑い声は待機室の重い空気を押し返すほど大きかったが、その目の下には薄い疲れが溜まっていた。
「また弁当か。お前の父さんは忙しい男だな」
「母さんが、渡して帰れって」
「そうかそうか。いい息子だ」
マンシクはジェユンの頭を軽く叩いた。手のひらは大きく、油と煙草の匂いがした。それからポケットを探り、紙包みの飴を一つ握らせた。
「大人のことは大人が何とかする。お前は父さんの弁当だけ、ちゃんと届けてやれ」
周りの運転手が小さく笑った。マンシクも笑った。だがジェユンの手に飴を押し込んだ指先は、ほんのわずかに震えていた。さざ波のような揺れだった。本人は気づいていないふりをしている。周囲も見ないふりをしている。
『大人が何とかする』
前世でも聞いた言葉だった。何とかする大人ほど、最後には書類の前で一人ずつ黙らされた。ジェユンは飴を握りしめ、子どもらしくうなずいた。
「父さん、どこですか」
「奥の車庫だ。会長車の点検だろう。そこへ行く前に、弁当は机に置いておけ。ああ、黒板の前は邪魔するなよ」
黒板。
ジェユンは視線を急に向けなかった。弁当を持ち直し、部屋の中央を横切る。歩幅は小学生のまま。好奇心であちこちを見る子どもに見える程度に、目だけを動かした。
壁の黒板には、車両番号、運転手名、目的地が乱雑に書かれていた。白いチョーク、黄色いチョーク、ところどころ赤い丸。午前の配車は半分消され、午後から夜の予定が上書きされている。
その右端、明日の早朝欄に小さな文字があった。
六時十分。テガン建設、チェ・ミンテ社長車。外国銀行ソウル支店。
ジェユンの足が止まりかけた。止まってはいけない。彼は弁当包みを机に置くふりをし、手が滑ったように包みの結び目を直した。視界の端で文字をもう一度拾う。外国銀行。ソウル支店。チェ・ミンテ。
城北洞別宅での夜、チャン・ムンシクの声が耳の奥で蘇った。
外貨の窓口は朝一番で押さえます。
銀行側の役員は、建設の車ではなく会長車で動かせ。目立たせるな。
公式な日程表なら、チェ・ミンテの銀行訪問だけが載る。だが会長車が同じ場所へ行けば、ただの訪問ではなくなる。テガン建設が会長の信用を背に、外国銀行と直接つながる。運転手給与と退職金を担保に見せかける書類も、その場で意味を持つ。
その時、壁際の無線機が短く鳴った。
雑音のあと、硬い声が部屋に落ちた。
「一号車、明朝六時十分。外国銀行ソウル支店裏口。会長専用扱い。記録欄は空白。担当者は待機確認せよ」
待機室の空気が一瞬だけ止まった。
誰かが咳払いをし、誰かが煙草を灰皿に押しつけた。黒板の前にいた若い運転手が、チョークを持ったままマンシクを見た。マンシクは笑みを消さずに手を振った。
「聞いたとおりだ。余計なことは書くな。裏口、六時十分。一号車だけ頭に入れろ」
余計なことは書くな。
その言葉で、ジェユンの中の線が完全につながった。黒板にはチェ・ミンテの車だけを書く。無線では会長車を裏口へ寄せる。公式日程表は空白にする。三つを別々に置けば、誰も違法な外貨工作と福利基金同意書を一枚の絵にできない。
だがジェユンは、その三つを同じ時間、同じ場所で聞いた。
彼は弁当箱を机の端へ置き、頭を下げた。
「置いていきます」
「おう。帰り道、気をつけろよ」
マンシクの声は明るかった。けれどその明るさは、扉が閉まるまでの蓋にすぎなかった。ジェユンは待機室を出る直前、もう一度黒板を見た。六時十分の文字の隣に、若い運転手が小さく車両番号を書き足している。会長専用一号車の番号だった。
地下の廊下へ出ると、煙草の匂いが少し薄れた。ジェユンは走らず階段を上がった。頭の中では、黒板の文字と無線の声を何度も並べ替える。六時十分。外国銀行ソウル支店裏口。チェ・ミンテ。会長専用扱い。記録欄は空白。
本館一階の掲示板には、役員公式日程表が貼られていた。ジェユンは弁当を届け終えた子どもの顔で、その前をゆっくり通った。明日の早朝欄には、何もなかった。ハン・ギソプ会長の欄も、テガン建設の欄も、白い紙のまま空いていた。
空白。
前世のヒョヌは、その空白の後始末だけを押しつけられた。誰が会い、何を運び、どの印が押されたのか。知らないまま扉を開け、最後には自分の名前で閉じられた。
今は違う。
ジェユンは掲示板の前を通り過ぎ、玄関のガラスに映った自分を見た。細い首、小さな肩、ランドセル。だが目だけは、待機室の黒板をまだ見ていた。
明日の六時十分までに、彼はあの裏口へ行かなければならない。父の弁当では足りない。父の名前を守るには、会長車とチェ・ミンテの車が同じ空白へ入る瞬間を、自分の目で押さえるしかなかった。
そのとき、背後の案内デスクで、受付の職員が外線をかけている声が聞こえた。
「はい、こちらテガン本館ですが……パク・ソンロク運転手のご自宅でしょうか?」
ジェユンの足が止まった。受話器を握る受付の声が、事務的に続く。
「明朝の出勤時刻変更の件です。ご家族にもお伝えください。午前五時、本館地下二番ゲート待機となります、と」
空白の予定は、もう父の朝を飲み込み始めていた。
財閥家の末息子ではなく、財閥家の運転手の息子に転生した
9話 裏口で掴んだ明白な証拠
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