錆びたモンキーレンチは、テオの頭ではなく肩をかすめた。
制服の上着が裂け、熱い痛みが鎖骨の下を走る。テオは反射的に身を引き、背中を廊下の壁へ打ちつける。金属の塊は勢いを殺せないまま横の石膏ボードへ突き刺さり、乾いた粉を散らした。
「ミンギュ!」
事務所の中からチャン・ムンホの怒鳴り声が飛ぶ。椅子が引きずられ、誰かが机にぶつかる音が続く。階段の方からも、下請けの職員たちの足音が上がってくる。古い建物の廊下は狭く、怒号と靴音が一つの塊になって押し寄せた。
ミンギュは壁に食い込んだ工具を抜こうとした。だが錆びた先端が深く噛み、抜けない。彼は両手で柄を揺らし、泣きそうな顔でテオを見た。
「何で……何でお前だけ、そんな顔してんだよ」
テオは肩を押さえた。指に血は少ししかつかない。痛みよりも、ミンギュの目の奥で崩れていくものの方がはっきり見えた。
彼は追い詰められている。逃げ道を探して、自分を刺せる相手に刃を向けただけだ。
それでも、同情は湧かなかった。
「放せ!」
ムンホがミンギュの腕をつかむ。マ・サンチョルも遅れて廊下へ出てきて、壁の工具とテオの肩を交互に見た。
「おい、何してんだ、このガキ!」
オ・ミョンシクは後ろで青ざめていた。学校の外で生徒が生徒を襲った。しかも教師たちがいる前で。彼の頭の中では、就職率評価より先に、報告書と責任の文字が走っているのだろう。
「救急車を呼べ。いや、待て、まず落ち着け。誰か、工具を――」
言葉がまとまらない。
その混乱の中で、カン・ジヒョクだけが半歩後ろへ下がっていた。
彼は壁際に立ち、唇の傷を舌で湿らせながら、周囲の視線を読んでいる。ミンギュが押さえられ、サンチョルが怒鳴り、教師たちが処理に追われる。騒ぎの中心が自分ではないと確認した瞬間、ジヒョクの目が細くなった。
彼はポケットから携帯電話を取り出した。
テオはその動きを見た。画面を開く親指。こちらへ向けられる黒い端末。前にも何度も見た仕草だった。撮るふりをして、脅す。声を落とし、周囲に聞こえない距離で毒を落とす。
ジヒョクはテオのすぐそばへ寄った。教師たちはミンギュを押さえるのに気を取られ、サンチョルは壁の工具を抜こうとしている。
「なあ、ユン」
ジヒョクの声は低い。
「これ、全部お前のせいにできるんだよ。ミンギュがおかしくなったのも、ドンスがああなったのも。お前が何かしたって、みんなもう思ってる」
テオは答えない。
ジヒョクは薄く笑おうとする。だが笑みは形だけで、目の奥は笑っていない。
「今からでも遅くない。黙れ。俺の名前を出すな。お前のばあさんの住所、俺はまだ――」
その時だった。
ジヒョクの携帯電話の画面が、彼の指に触れられる前に勝手に点灯した。
真っ黒な画面の中央に、白い文字が一瞬浮かぶ。
次は、誰が払う。
テオの息が止まる。
ジヒョクも見た。目の焦点が画面へ落ち、顔から表情が消える。彼はすぐ電源ボタンを押した。長押しする。短く叩く。だが画面は消えない。
代わりに、動画が再生された。
階段の踊り場。ハンビット工業高校の薄汚れた壁。ドンスの大きな背中。ミンギュの笑い声。画面の中央で、ジヒョクがテオの胸ポケットから封筒を抜き取っている。
「今月も封筒、用意しろ」
携帯のスピーカーから流れた声に、廊下が静まり返った。
ミンギュを押さえていたムンホの手が止まる。オ・ミョンシクの顔が引きつる。マ・サンチョルは壁に食い込んだ工具を抜きかけた姿勢のまま固まった。
動画の中のジヒョクは、封筒の中身を親指でめくり、笑っている。そこにはテオが夜明け前の物流倉庫で稼いだ給料があった。祖母の薬代になるはずだった金だ。
「返せ」
画面の中のテオの声が小さく入る。
次の瞬間、ドンスが彼を壁へ押しつける。ジヒョクが耳元に顔を寄せる。
「遅れたら仕事先へ電話する。ばあさんの薬、探しに行ってやろうか」
誰かが息を呑んだ。
ジヒョクは携帯を裏返し、乱暴にボタンを押し続ける。
「何だよ、これ。違う。勝手に……!」
動画は止まらない。画面は勝手に切り替わる。
今度は暗い階段だ。画面の端でミンギュが笑っている。ドンスが祖母の声をまねる。
「学生さん、薬がないのう」
その声が流れた瞬間、テオの肩の痛みが消えた。
代わりに、胸の奥で冷たいものが立ち上がる。あの夜、仁川西部警察署から追い返され、夜明け前に帰った部屋。床に座って泣いていたボクスン。予備の薬袋。四時十二分に届いた動画。逃げ道という言葉が砕けた瞬間。
廊下に集まった者たちはもう誰も声を出せない。
騒ぎを聞きつけて階段まで上がってきた下請けの作業員たちも、彼らの背後で画面を見つめている。誰かの携帯が録画を始める小さな音がした。マ・サンチョルがそれに気づき、怒鳴ろうと口を開く。
その前に、ジヒョクの携帯がまた切り替わった。
メッセージ画面だった。
相手の名前はイ・ミンギュ。削除されたはずの履歴が、白い吹き出しになって次々と浮かび上がる。
――旧棟の制御盤下、俺が入れる。
――お前は工具棚の方で見張れ。
――予備手袋はユンの鞄から取れ。
――写真撮るな。必要な分だけ残せ。
――ソンジンの倉庫、廃棄リレーを未使用箱に混ぜろ。
――金は後で分ける。失敗したらお前一人だ。
ミンギュが、押さえられたまま目を見開いた。
「それだ……それだよ! あったんだよ! 俺、嘘ついてない!」
ムンホの顔が石のように硬くなる。さっきまで懲戒書類にミンギュ一人の名を書き込んでいた手が、宙で止まった。
オ・ミョンシクはジヒョクへ一歩近づく。
「カン。これは何だ」
ジヒョクは答えない。答えられない。彼は電源ボタンを何度も押し、画面を爪でこすり、最後には両手で携帯を握り潰すように力を込めた。
「切れよ……切れって!」
画面にはさらに別の音声ファイルが浮かぶ。事故のあと、ミンギュへかけた通話。ジヒョクの声が短く命じる。
「何も言うな。全部消せ。お前が売ったことにすれば終わる」
廊下の空気が、ひび割れるように変わる。
サンチョルがジヒョクを見る目にも計算が走った。カン・ムンシクの息子。ジンミョン人材の社長の息子。自分たちが都合よく守ろうとしてきた線。その線が今、携帯の割れそうな画面の中から逆に首を絞め始めている。
「違う……」
ジヒョクの声が初めて細くなる。
「これは、誰かが作ったんだ。合成だ。ユン、てめえ……!」
彼は携帯を振り上げた。
テオは動かない。
ジヒョクは床へ叩きつける。硬い音が廊下に跳ねた。液晶が蜘蛛の巣のように割れ、黒い破片が散る。彼はさらに靴で踏みつけた。一度、二度、三度。画面は粉々になり、ケースは歪み、内部の部品が見えた。
それでも、音は止まらなかった。
割れた液晶の下で、動画が続いている。ひびの奥に白い文字が走り、音声が途切れ途切れに廊下へ漏れる。
「封筒、用意しろ」
「ばあさんの薬――」
「予備手袋は――」
「失敗したらお前一人――」
ジヒョクの顔が歪む。彼はしゃがみ込み、壊れた携帯を両手で押さえた。まるで、割れ目から何かが這い出すのを塞ごうとしているようだった。
その時、廊下の奥で電子音が鳴った。
誰もが振り向く。
ソンジン下請け事務所の向かい、研修用に置かれた古い電子黒板が勝手に起動していた。青い待機画面が一瞬だけ揺れ、社内Wi-Fiの接続表示が点滅する。次に映ったのは、さっきジヒョクの携帯で流れた階段の動画だった。
大きな画面いっぱいに、ジヒョクがテオから給料封筒を奪う姿が映る。
音量は携帯よりずっと大きかった。
「今月も封筒、用意しろ」
建物の外階段まで響く声に、下の階からも足音が上がってくる。事務所の扉の向こうで、プリンターが突然紙を吐き出す音まで鳴り始めた。
ジヒョクはゆっくり顔を上げる。
その顔から、血の色が抜けていた。怒りでも、嘲りでもない。鉛色に沈んだ、剥き出しの恐怖だった。
テオは肩を押さえたまま、その顔をまっすぐ見つめる。
月影堂の濡れた紙をめくる音が、耳の奥でまた一枚進んだ。
電子黒板の画面が暗転し、次のファイル名が白く浮かぶ。
送信先一覧。
その一覧の最上段に、ハンビット工業高校職員室、ソンジン下請け共有フォルダ、そしてジンミョン人材という文字が、順番に点灯し始めた。
黒い蝋燭にいじめっ子の名前を刻んだ夜、俺は裏社会の鏡王になった
16話 連鎖する暴露と赤い鏡
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