母親の笑みが消えたあと、診察室には、子どもが袖を下ろす布の音だけが残った。
テオはヘリンの腕をそっと離し、母親へ向き直った。
「今すぐ危ない発疹ではありません。ただ、三人とも形と出る場所が似ています。熱が出た日、下がった日、かゆみの強さを確認します」
「似ているって……病気なんですか」
「まだ分かりません。分からないものを、風邪や虫刺されに入れて終わらせないための確認です」
言い方は平らだった。けれど、待合室にいた親たちはその平らさを敏感に聞き取った。大げさに騒ぐ医師ではない。だからこそ、紙を一枚別に出したことが怖かった。
ソジンは受付台の脇に立ち、テオが言ったとおり、今日来た子どもの名前を書き始めた。細い顎のあたりには、港で夜を明かした疲れがまだ残っている。それでも字は乱れなかった。
「チェ・ミンジュ、左上腕。パク・ヘリン、左。キム・ドンヒョン、右。熱は全員、二日以内で下がっています」
「熱の出た日も」
「はい」
テオは診療録とは別に、日付だけの欄を作った。症状名ではなく、いつ、どこに、どの順番で出たか。ソウルの病院なら電子カルテに条件を入れれば並び替えられる。ここでは、湿った紙とにじむボールペンだけが頼りだった。
次の親が、入口で足を止めた。
「先生、うちの子は咳だけです。腕は見なくても」
「見ます。全員です」
短い返答に、母親は唇を閉じた。子どもの袖を上げる。発疹はなかった。テオはそれも紙に書いた。発疹なし。熱なし。咳あり。何もないことも、あとで必要になる。
昼を過ぎるころ、待合室の空気は別の重さを持ち始めていた。発疹のある子は五人に増えた。全員が同じ形ではない。薄いもの、消えかけたもの、掻き壊して判別しにくいものもある。だが肘から上腕へ伸びる線状の赤みは、偶然として片づけるには似すぎていた。
「風邪のところに書いていたら、分からなくなる」
テオは自分に言うようにつぶやいた。
ソジンが顔を上げた。
「今までは、そう書いていたんだと思います。熱、湿疹、感冒。島では、それで終わりです」
「本土で検査を勧めても?」
ソジンは少しだけ黙った。受付の外では、老人が薬袋を握って船の時間の話をしている。
「船に乗るだけで一日仕事です。朝の船に乗って、ワンドでバスに乗って、病院で待って、帰りの便に間に合わなければ泊まりです。仕事を休めない人もいますし、年寄りは本土の病院だけで疲れます」
「だから来なかった?」
「来なかったというより、来られなかったんです。先生が本土へ行けと言ったら、みんな『次の船で』と言います。でも次の船には、薬代も、畑も、海も、家で寝ている親も乗ってくるので」
ソジンの声は責めていなかった。事実を置いただけだった。テオはペン先を止める。ソウルでは、検査を拒む患者を非協力的だと処理できた。だがここでは、検査を受けるという一行の指示の裏に、島を出るための生活全部がぶら下がっていた。
午後遅く、診察室の戸が半分だけ開き、痩せた老人が杖をついて入ってきた。
「ヤン・ボクナムさん」
ソジンが名を呼ぶと、老人は入口でしばらく目を瞬かせた。自分の名前を呼ばれたことに気づくまで、少し時間がかかった。
「ええと……薬を」
「何の薬ですか」
「眠れん。手が、こう、勝手に動く」
ボクナムは椅子に腰を下ろすと、膝の上に置いた右手を見せた。指先が細かく震えている。年齢による震えと言えば、それで通る程度だった。だがテオは、老人の目の焦点が時々すっと外れることにも気づいた。
「いつからですか」
「前からだ。年を取れば、みんなこうなる」
「物忘れは」
「誰でも忘れる。さっき飯を食ったかどうかくらい」
老人は笑ったが、笑い終えたあと、何を言っていたのか分からなくなったように口を開けた。テオは握力、指鼻試験、瞳孔、舌の動きを順に見た。手の震えは左右で強さが違い、記憶の途切れは話の途中で何度も現れた。
「本土で神経内科の検査を受けてください。薬だけでは判断できません」
「本土はいい。船に乗るのが面倒だ。ここで出してくれ」
「睡眠薬だけ出すことはできません」
「前の先生は、出してくれた」
その言葉に、診察室の空気が薄く張った。前の先生。叔父のことだった。
「どの薬か確認します」
テオは古いカード箱を引き寄せた。ヤン・ボクナム。黄色くなった診療カードの端には、何度もめくられた跡がある。睡眠不良、手指振戦、物忘れ。短い単語が、年に何度も出てきた。ある年は春、ある年は梅雨前、ある年は台風のあと。診断欄には老化、不眠、感冒後と記されている。
「やっぱり薬でいいじゃないか」
ボクナムはカードをのぞき込もうとしたが、途中で手を止めた。
「先生、わしは昨日も来たか?」
「今日が初めてです。少なくとも、僕が来てからは」
「そうか。なら、いい」
何がいいのか分からないまま、老人は膝の上の手を握りしめた。震えを隠すような仕草だった。
診察を終え、必要最小限の薬を出し、本土検査の紹介状を書いた。ボクナムは紹介状を薬袋の下に押し込み、あまり見たくなさそうに立ち上がった。
待合室へ出ると、グムレが壁にもたれていた。老人の背を見送ったあと、彼女は低く言った。
「あれは年だ。年を取れば手も震えるし、昔のことも忘れる」
「子どもたちの発疹は?」
「潮風と湿気だ。この島の子はみんな肌が弱い。先生が大きくすると、親が怖がる」
「大きくしているわけではありません」
「そう聞こえるんだよ」
グムレの目は鋭かった。だがその奥には、ただの反発ではない疲れがあった。十年前、娘の高熱を抱えて船を待った女の目だった。テオは反論を飲み込んだ。ここで勝っても、患者は増えない。記録も増えない。
「今日は、薬を受け取りに来た人を優先します」
「それでいい」
グムレは短く答えた。けれど彼女の視線は、ソジンが持っている発疹の一覧から離れなかった。
夕方、最後の患者が帰ったあと、保健支所は急に広くなった。待合室の長椅子には、子どもが落とした飴の包み紙と、老人が忘れた杖の先のゴム跡が残っている。外では港へ戻る軽トラックの音が遠ざかった。
ソジンが発疹一覧を机に置いた。
「今日は子ども七人。発疹あり五人。熱あり四人。ボクナムじいさんは、紹介状を持って帰りましたけど、たぶん本土には行きません」
「分かっています」
「分かっていて書くんですね」
「書かなければ、次に確認するものが残りません」
ソジンは少し意外そうにテオを見た。テオ自身も、自分の言葉にわずかに引っかかった。ソウルでは、紹介状は患者を別の科へ送るための紙だった。ここでは、逃げ道を閉じないための印に近かった。
ソジンが帰ると、テオは診察室の明かりを一つだけ残した。叔父の机の横に置かれた古いカード箱へ手を伸ばす。今日見たカードだけでは足りない。風邪、湿疹、不眠、老化。その欄に埋もれたものを、症状別に拾い直す必要があった。
彼は箱の上からではなく、一番下の束を引き抜いた。古い順に見るためだった。紙は乾ききっていて、端をめくるたびに細かな粉が指についた。叔父の字は昔から小さく、几帳面で、余白をほとんど残さない。
一枚目。七年前。高熱、二日で解熱、上腕湿疹。別の家の子ども。
二枚目。八年前。手指振戦、睡眠不良、短期記憶低下。別の老人。
三枚目。六年前。発熱、肘部皮疹、感冒として処方。
テオは新しい紙を広げ、名前、日付、部位、症状を分けて書いた。診断名は最後に回した。まず事実だけを並べる。風邪という箱に入れられる前の、ばらばらの破片を拾うように。
カードをめくる速度は次第に遅くなった。似た記載は、思っていたよりずっと早い日付から出てきた。十年前。十一年前。季節は一定しないように見えて、同じ月の前後に寄っている。子どもの発疹と高熱。老人の手の震え。記憶が途切れるという家族の訴え。家は違う。名前も違う。けれど、紙の上で線を引くと、同じ場所へ戻ってくる。
テオは椅子から立ち上がり、棚に残っていた大きな模造紙を引き出した。診察机の上に広げ、カードを年ごとに並べる。叔父が短く書いた「湿疹」「熱」「震え」の単語が、別々の患者の顔をまとい始めた。
これは老化ではない。潮風でもない。
彼はその確信を、声には出さなかった。出した瞬間、島で触れてはいけない何かに、こちらから手を伸ばすことになる気がした。
一番古い束の底から、折れたカードが一枚滑り落ちた。角が黒くくすみ、日付の横に叔父の筆跡で小さな丸がついている。そこにも同じ三つの言葉があった。
手の震え、発疹、高熱。
テオは息を止めた。丸で囲まれた日付は、今日の子どもたちの発症日と、月だけが同じだった。そして患者名の欄には、さっき診察室で紹介状を薬袋の下に隠した老人の名が、若い筆跡で書かれていた。
ヤン・ボクナム。
その瞬間、診察室の外で、誰もいないはずの廊下の床板が一度だけ鳴った。
その島では、雨が降る前に患者が増える
9話 待合室に走る赤い線
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