低い笑いは、救急箱の薄い鉄板を震わせて消えなかった。
とん。
扉が鳴る。
少し遅れて、ドユンのカメラ画面の中でも同じ音が鳴った。
とん。
現実と録画が、ぴたりと同じ拍子で重なっていた。先に映像が鳴っているのか、扉の音が映像へ遅れて焼きついているのか、もう誰にも判断できなかった。ロープはきつく張り、カラビナは柱の釘に食い込んでいる。それでも扉板の中央だけが、外から生温かい手で押されるように浅くへこんだ。
ヘジュンはソユンを背にかばい、口を閉じたまま首だけでミンソを見た。ミンソは結び目を握ったまま動かない。黒い髪の横顔が白く硬直していた。ジェヒは小さく息を吸い、すぐ自分の口を手袋で押さえた。
ドユンだけが、画面から目を離せずにいた。
「違う……これは、ガラスの反射です」
誰も返事をしなかった。
ドユンは自分に言い聞かせるように続けた。
「カメラライトが地図に反射して、それが霧に映ってるだけです。レンズ内のフレアとか、圧縮ノイズとか、そういうので……」
声は震えていた。だが理屈を口にしていないと、立っていられない顔だった。彼は手にした小型カメラの画面を見ながら、窓へ一歩近づいた。
ミンソが反応した。
「近づかない」
短い命令だった。
ドユンは止まらなかった。次のノックが来る。
とん。
画面の中でも、同じ強さで扉が鳴る。
とん。
「確認しないと駄目です。これが本当に外にいるなら、録画の角度でわかる。窓の反射なら、近づけば消えます」
「消えなかったら」
ミンソの声は低かった。
ドユンの肩が跳ねた。それでも彼は笑おうとした。いつもの動画の導入で見せる、軽い営業用の笑みだった。しかし口角は片方しか上がらず、すぐ崩れた。
「消えますよ。だって、僕たちが外にいるわけないでしょう」
ミンソが腕をつかんだ。救助隊で人を引き戻してきた手だった。力は強く、迷いがない。
だがドユンは荒々しく振り払った。
「触らないでください!」
その声が小屋の空気を裂いた瞬間、救急箱の中の無線機が、ざ、と短く笑った。ドユンは自分が大きな声を出したことに遅れて気づき、唇を噛んだ。返事ではない。扉の外に向けた言葉ではない。そう思おうとしても、彼の顔から血の気が一段引いた。
ミンソは再び手を伸ばさなかった。代わりに、壁の警告文を指で叩いた。
『外から自分の声が聞こえても、答えるな。』
ドユンは見ないふりをした。
窓を塞ぐ古い地図の端は湿り、釘の周りから紙が黒くふやけていた。彼はその隙間へカメラを近づける。レンズの縁が、濡れたガラスにぴたりと触れた。
画面の映像が乱れた。
一瞬、白い霧だけになった。次のフレームで、外の五人の姿がまた浮かぶ。ヘジュン、ソユン、ミンソ、ドユン、ジェヒ。濡れた髪、汚れた袖、手袋の染みまで同じ。だが今度は全員が少し近づいていた。さっきは木々の影の間に並んでいたはずなのに、今は窓のすぐ外、ガラスの向こう側に立っている。
ソユンが喉の奥で息を詰まらせた。ヘジュンは妹の肩を押さえ、目だけでうつむけと伝えた。ソユンは震えながらうなずいたが、指の隙間から画面を見てしまっていた。
画面の中の外のドユンが、一歩前へ出た。
現実の窓の向こうには、何も見えない。紙と霧と濡れたガラスだけだ。だがカメラの画面では、派手な防風ジャケットを着たもう一人のドユンが、ゆっくりとレンズへ近づいてくる。胸元にあるはずのカメラは黒く潰れ、顔の輪郭だけが妙に鮮明だった。
「やめろ」
ヘジュンは声に出しかけ、歯を食いしばった。
ドユンはカメラを引こうとしない。手が固まっていた。画面の中の偽ドユンが、口角を上げる。笑っているのに、目は乾いた穴のように暗い。
そしてゆっくり、口を開いた。
小屋の中には何も聞こえなかった。
ノックの音さえ、その瞬間だけ途切れた。風も、救急箱のノイズも、誰かの呼吸も、厚い布をかぶせられたように消えた。偽ドユンの唇だけが、画面の中で大きく動いた。
ドユンが音量を上げた。スピーカーからは、ざらついた無音だけが流れる。
「音、入ってない……?」
彼は震える指で録画の詳細を開いた。ファイル情報が表示される。映像トラックの下、音声トラックの波形だけが、不自然に太く黒く伸びていた。
ジェヒが身を寄せた。
「再生位置を戻してください。今の口の動きのところ」
ドユンは従った。指先が汗で滑り、何度も画面を叩き損ねた。偽ドユンがまた口を開く。スピーカーは相変わらず音を出さない。だが波形は、そこだけ山のように膨らんでいた。
「中では聞こえていないのに、記録には入っている」
ジェヒがつぶやいた。
ドユンは音声だけを抽出するメニューを開いた。普段なら編集作業で慣れた操作のはずだった。今は一つ一つの項目を追うたびに、指が震えていた。
小さなカメラが、遅れて音を吐いた。
最初は低い砂嵐だった。次に、湿った息が混じる。何人もの喉が、同じ狭い管の奥で息を吸っているような音だった。
その奥から、名前が聞こえた。
「カン・ヘジュン」
ヘジュンの背筋が凍った。直接呼ばれたわけではない。録画ファイルから流れているだけだ。それでも名を呼ばれた瞬間、舌が返事を探した。彼は奥歯を噛み、血の味がするほどこらえた。
次に、同じ声が言った。
「カン・ソユン」
ソユンが両手で口を塞いだ。目から涙が落ちても、声は出さなかった。
「ユン・ミンソ」
ミンソの手がロープをさらに強く握った。カラビナが小さく鳴る。
「パク・ドユン」
ドユンの顔が歪んだ。
最後に、声はかすかに笑ってから告げた。
「イ・ジェヒ」
ジェヒはリュックの肩紐を握りしめたまま、まばたきもしなかった。五人分の名前が呼ばれたあと、音声トラックは平坦な無音へ戻った。小屋の中で誰も答えていない。なのに録画は、こちらの名前をすべて持っていた。
救急箱の中で、ヘジュンの声がまた低く笑った。
ドユンは耐えきれなくなったように、画面のメニューを乱暴に閉じた。
「消します」
ミンソが目を向ける。
「何を」
「このファイルです。残してたら駄目です。見てるから、近づいてくるんです。こいつが入り口になってる」
「証拠を消すな」
ヘジュンは小さく言った。返事ではなく、ドユンを止めるための最低限の声だった。
ドユンは振り返った。目が赤く濡れていた。
「証拠? まだそんなこと言います? これを持ってたら、僕たちの名前が中に残るんですよ。次に何を呼ばれるかわからない。だったら消したほうがいい」
「操作するほど反応します」
ジェヒが言った。
「もう反応してますよ!」
ドユンは叫びかけて、途中で声を殺した。喉がひゅっと鳴る。自分の声が外へ引っ張られるのを想像したのか、彼は片手で首元を押さえた。
画面には確認表示が出ていた。
この録画ファイルを削除しますか。
削除。
キャンセル。
ドユンの親指が、削除の文字へゆっくり近づいた。ヘジュンは一歩踏み出したが、間に合う距離ではなかった。ミンソも扉から離れられない。ロープを放せば、外の何かがその隙を待っている気がした。
ドユンの指先が、画面に触れた。
その瞬間、扉の外から声がした。
「おい、ドユン」
小屋の中の全員が凍りついた。
それは救急箱の中のヘジュンではなかった。無線機のざらついた真似でもない。扉の外、ロープで縛られた木戸の向こうから、あまりにも自然に流れ込んできた声だった。
パク・ドユンの声。
明るく、調子よく、撮影の導入を始めるときのような軽さを帯びていた。
「探してたんだろ。ドローンのバッテリー、こっちに落ちてたぞ。まだ生きてる。機体も、データも、たぶん全部残ってる」
ドユンの親指が画面の上で止まった。削除の確認表示は消えず、白い文字だけが冷たく光っている。
外の声は、笑った。
「ひとりで出てこいよ。ほかの人に邪魔されたら面倒だろ? おまえの撮影データ、墜落前のやつまで全部返してやる。あの黒い影も、小屋も、ちゃんと残ってる。これ、出したら伸びるぞ」
ドユンは息を吸った。声を出しかけたのが、喉の動きでわかった。ミンソが鋭く首を横に振る。ヘジュンも手を上げた。答えるな。絶対に答えるな。
だが外のドユンは、こちらの沈黙を楽しむように、扉へ額を寄せた気配を立てた。
「なあ、ドユン。消すなよ。それ、おまえの最後の撮れ高だろ」
その言葉を聞いた瞬間、ドユンの顔から完全に血の気が引いた。
彼が画面から指を離すより早く、削除確認の下に、新しい項目がひとりでに浮かび上がった。
復元しますか。
その下に、見覚えのないファイル名があった。
Doyun_voice_backup.wav
外から自分の声が聞こえても答えるな
15話 盗まれた記憶の声が呼ぶ
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