その息が吸い込まれた瞬間、寝袋の布端が四方からふっと内側へ寄った。
小屋そのものが床下へ肺をつながれているようだった。ヘジュンはソユンを背に隠したまま、反射的に一歩下がる。だがミンソは逆に前へ出た。黒い髪を後ろで結んだ首筋が、ライトの中で硬く張っている。
彼女は声を出さず、手だけで指示した。寝袋をどかす。中心に触れるな。壁際を保て。
ヘジュンが頷くより早く、ミンソは足先でいちばん近い寝袋を引っかけた。古い布が床を滑るたび、乾いた埃が薄く舞い上がる。そこへ床下から上がる薬品臭が混じり、鼻の奥に古いワックスと腐った水のような匂いが刺さった。
ソユンは兄の袖を握ったまま、必死に口を押さえていた。呼吸が浅い。ヘジュンは彼女の手の甲を一度だけ押さえ、そこに指で短く書いた。
『壁』
ソユンは涙をこぼしながら頷き、体を壁へ寄せた。ヘジュンは工具袋から折り畳みの工具ナイフを出す。手に馴染んだ重さだった。キャンプ用品の縫い目を解き、固着した金具をこじるために何度も使った道具。だが今、その刃先を向ける相手は道具ではなかった。
ドユンは床へ向けたカメラ映像を止めたまま、液晶を胸の前に掲げていた。自分が見つけた黒い四角を示したいのに、開けてほしくない。そんな矛盾した恐怖が顔に出ている。声のない喉がかすかに動き、何も出ないまま唇だけが震えた。
ミンソは寝袋を一枚ずつ、素早く、しかし床を踏み抜かないようにどかしていった。布の下から現れた床は、ほかよりも色が黒かった。ワックスの艶が輪郭に沿って途切れ、四角の辺だけに黒い埃がこびりついている。
ジェヒがライトを低くした。斜めの光が床板の浅い溝をなぞり、カメラの画面で見えた四角が現実にも浮かび上がる。ヘジュンは息を殺して膝をついた。床下へ顔を近づけるなとジェヒがすぐ手で制し、彼は首だけで頷いた。
ミンソは手袋をはめ直し、四角の内側を手のひらで探り始めた。指先ではなく、面で触る。凹み、継ぎ目、釘の頭。埃が手袋へ灰色に移る。古いワックスが油の膜のようにねばつき、そこへ金属粉のようなざらつきが混じっていた。
かり。
内側から、また爪が鳴った。
ソユンの肩が跳ねる。ドユンは口を大きく開け、声のない悲鳴の形で首を横に振った。彼はスマートフォンを乱暴に拾い、震える指で文字を打つ。
『開けるな』
『下がって』
『あれが出口なわけない』
画面をミンソの前へ突きつける。文字は乱れていたが、意味は痛いほど伝わった。ドユンの目は、外で自分の声を使って笑っているものより、床下の静けさを怖がっていた。奪われた声ではない息が、下にある。それが彼には耐えられないのだ。
ミンソは一瞬だけドユンを見た。返事はしない。ただ、彼の手首をつかんで壁側へ押し返す。彼女の顔には迷いがあった。だが迷いよりも、道が上にないという判断が勝っていた。
扉の外で、奪われたドユンの声が甘く囁いた。
「いいじゃん。開けよう。そこ、ほんとの出口だよ」
全員の動きが止まった。
その声はさっきまでの軽い嘲りとは違った。少し息をひそめ、友人だけに秘密を教えるような低さだった。ドユン本人なら、怖い場面を冗談にしながらそう言ったかもしれない。だから余計に気味が悪かった。
「上は霧。窓もだめ。裏口もだめ。扉もだめ。だったら下しかないよな。ほら、俺だって下を見つけたんだ。俺が先に行ってると思えばいい」
ドユンは激しく首を振った。両手で耳を塞ぎ、壁に背を押しつける。外の声はその動きを読んでいるように、やわらかく笑った。
「そんなに怖がるなよ、俺。下に降りれば声も戻るかもしれないぞ」
ドユンの目が見開かれた。ほんの一瞬、希望に似た光が揺れた。すぐに彼は自分の頬を叩き、メモに殴り書きする。
『嘘』
『俺の声で言うな』
『開けるな』
ヘジュンはその文字を見て、胸が詰まった。ドユンは軽率で、何度も状況を悪化させた。それでも今、彼は自分の声が作る誘惑に必死で抵抗している。声を失ってなお、彼自身はまだ中にいる。
ヘジュンは工具ナイフの刃を短く出し、ミンソの手元へ寄せた。四角の一辺、埃が厚い部分へ刃先を差し込む。木ではない。刃が硬いものに当たり、甲高く小さな音を立てた。
ジェヒが素早くライトを動かした。金属の輪の縁が、黒い汚れの下からわずかに光った。ミンソの指がそこを払う。埃と古いワックスが剥がれ、床板と同じ色に塗られた平たい金具が現れた。
輪だった。
誰かが持ち上げるための、伏せられた金属の輪。ずっと床と同じ高さに沈められ、上からワックスを塗られ、寝袋で囲まれていた。偶然隠れたのではない。意図して、長く隠されていたものだった。
ヘジュンは隙間へ工具ナイフを入れ直し、刃ではなく背でこじった。固着したワックスが抵抗する。金具はびくともしない。彼は力を入れすぎて音を立てそうになり、歯を食いしばって動きを止めた。
ミンソが手を出した。代われ、という目だった。
ヘジュンはナイフを渡す。ミンソは刃先をほとんど出さず、輪の付け根に沿って薄く動かした。救助現場で絡んだロープをほどくような正確さだった。固まった汚れがぽろぽろと剥がれ、金属の輪が少し浮く。
その隙間から、冷たい風が漏れた。
さっきまで小屋は不自然に温かかった。人の息と古い布で満ちたような、湿った温もりがあった。だが金属の輪の下から吹いた風は、地下の石を何年も撫でていたように冷たく、かび臭かった。
ソユンが顔をしかめる。ヘジュンも鼻を覆いかけて止めた。声だけでなく、過剰な反応すら拾われる。彼は袖で口元を押さえるに留めた。
ジェヒがしゃがみ、輪の周囲を照らした。彼女の視線が一点で止まる。ワックスの下、黒い四角の角に、黄色と黒の細い欠片が張りついていた。指で触れず、ピンセットで端を持ち上げる。印刷はほとんど剥げていたが、斜めの縞と、韓国語の「危険」の一部だけが残っている。
さらにその下、四角い蓋の縁を塞ぐように、幅広の灰色のテープが貼られていた。防塵テープ。建設現場や廃棄物処理の養生に使うような、厚く粘る素材だった。古く見えるのに、完全には腐っていない。
ジェヒの眉が深く寄った。彼女はメモ帳を開き、短く書く。
『産業用警告ステッカーの跡』
『防塵テープ』
『人の出入口ではない可能性』
ヘジュンはその文を読んだ瞬間、胃の奥が冷えた。出口ではない。なら、これは何を塞いでいたのか。
外のドユンが、舌打ちのように笑った。
「ジェヒさん、また余計なこと考えてる。難しくしなくていいって。ただの地下だよ。昔の倉庫。ほんとの出口。下へ降りれば、森じゃない場所へ出られる」
甘い言葉の裏で、床下の爪音は止まっていた。
それがいちばん悪かった。開けてほしくて引っかいているのなら、音は続くはずだった。今は違う。下の何かは、彼らが自分で輪を引くのを待っている。
ドユンは再びスマートフォンを掲げた。
『やめろ』
『お願い』
『開けたら戻れない』
声のない男の「お願い」は、画面の白い光だけで小屋に浮かんだ。ミンソはそれを見た。ヘジュンも見た。ソユンは兄の袖を握る力を強めた。
ヘジュンは迷った。下が危険なのは明らかだった。だが窓も裏口も扉も塞がれ、床下は小屋が空気を吸い込む場所で、薬品臭の発生源だった。ここで蓋から目をそらしても、下にあるものは消えない。むしろ、そこから上がってくるだけだ。
ミンソが金属の輪へ手をかけた。
ヘジュンは反射的に彼女の腕をつかみかけ、途中で止めた。ミンソは彼を見ず、片手でメモ帳を差し出した。すでに書いてあった。
『見る』
『降りるかは決めない』
『上を閉じられるようにする』
実務的で、短い。恐怖を消す言葉ではなく、次の動作だけを残す言葉だった。ヘジュンは頷いた。自分も輪の横へ膝をつき、工具ナイフを折り畳んでしまう。刃物ではなく、両手が要る。
ジェヒはライトを構え、ソユンを壁へ下がらせた。ドユンは最後まで首を振っていたが、外の自分の声が「いい子だから見てろ」と囁いた瞬間、唇を噛んで目を逸らした。反応する代わりに、自分の手の甲へ爪を立てる。
ミンソが一度だけ息を吐いた。
声にならない、細い息だった。だが床下はそれすら飲み込むように、暗く静まっていた。
彼女が輪を引いた。
最初は動かなかった。金属が固着し、床板全体が貼りついている。ヘジュンが反対側の縁へ指をかけ、力を合わせる。古いワックスが裂ける音がした。防塵テープが粘るように伸び、黒い四角の一辺がわずかに浮く。
冷気が噴き上がった。
今度は隙間ではない。蓋の下に閉じ込められていた空気が、何年分もの腐敗を抱えて小屋へ放たれた。かび、腐った土、錆びた水、そしてはっきりと血に似た匂い。鼻ではなく喉の奥でわかる、生臭い鉄の味が広がる。
ソユンが膝を折りかけ、ヘジュンは片手を伸ばして支えた。ジェヒは布越しに口元を押さえ、目だけでミンソに合図する。続けるのか、止めるのか。
外のドユンが囁いた。
「ほら。開いた」
その声は嬉しそうではなかった。まるで、ずっと閉じ込めていたものがやっと呼吸できると知っているようだった。
ミンソは歯を食いしばり、もう一度輪を引いた。ヘジュンも加勢する。重い床板が、ゆっくりと持ち上がった。蝶番のような金具が奥で軋み、黒い穴が口を開ける。
地下へ続く闇があった。
ライトを向けても、すぐには底が見えなかった。かろうじて、急な階段の一段目らしき木の縁だけが浮かぶ。その縁には、内側から爪で削ったような白い傷が何本も重なっていた。
その瞬間、さっきまで蓋の裏をなぞっていた引っかく音が、完全に止まった。
誰も動かなかった。誰も息を大きく吸えなかった。小屋の外のドユンさえ、黙った。
そして開いた地下の奥で、何かが静かに、長く息を吸い込んだ。
その呼吸は一人分ではなかった。暗闇のずっと下、何十もの喉が同時に目を覚まし、初めてこちらの匂いを覚えたような音だった。
外から自分の声が聞こえても答えるな
20話 地下室の遺品と裸足跡
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