誰も答えられないまま、食品工程区画には止まった二号機の冷却ファンだけが惰性で鳴っていた。
白い床に落ちた黒い塊を、ノ・アミンはしばらく見下ろしていた。食品工程技師として、失敗した培地も、焦げた藻類粉末も、劣化したタンパク質ジェルも見てきたはずだった。それでも最後の培養肉が石のように固まった音は、彼の肩を少しだけ小さくした。
「まだ、調べます」
アミンはそれだけ言って、廃棄用の鉗子を手に取った。ドヒョンの警備員が一歩近づいたが、彼は見向きもしなかった。黒ずんだ塊の端を薄く削り、透明なスライドに載せ、微量の反応液を落とす。小さな試料は、白い粉にまみれた彼の指先から、震えることなく顕微ユニットへ送られた。
「一時間ください。酵素死滅か、基質側の変質かで、今後の処理が変わります」
「処理ではなく復旧だ」
ドヒョンが低く言った。
アミンは顔を上げた。細い声は、疲労で少しかすれていた。
「復旧できるなら、そう言います」
その一言で、工程区画の温度がまた一度下がったように感じられた。
イソは配給整理券の並ぶ壁を見た。数字はまだ人間の形をしていない。だが一枚一枚の紙の後ろには、低体温から戻った老人、包帯を巻いた整備士、薬を待つ患者、朝から何も食べていない子どもがいる。表だけ見れば配れる。体まで見ると、足りない。
ラオンが携帯端末を抱えて入ってきた。赤い目のまま、封印された生命反応ファイルの鍵マークを避けるように別画面を開く。
「配給在庫だけなら読めます。タンパク質ジェル百九十六食分、乾燥豆換算で二百四十食、藻類粉末は品質低下分を除くと百十六食です。標準量なら、全員には二日半もない。患者と重労働者優先、成人一般を十四グラムに落として、九日。かなり薄くして十日です」
「十日もつ、ではないな」
ミンジェが言った。
「十日かけて壊れる、ですね」
ハリンが紙の配給表に目を落とした。医療補助食の欄には、すでに赤い修正線が重なっている。
「患者の回復食を削れば感染が増える。重労働者を削れば外作業が止まる。子どもを削れば発熱しただけで戻せなくなる。どこから取っても、別の棚が落ちます」
ドヒョンは即答しなかった。彼も数字が読めないわけではない。だからこそ、指揮端末を握る手だけが硬くなっていた。
一時間は長くなかった。アミンは顕微ユニットの前で椅子にも座らず、十五分ごとに反応色を確認した。イソはその間に、食品工程区画の温度ログと暖房出力の履歴をラオンに開かせた。地球管制に渡すために整った報告書ではなく、雑に生き残った機械の傷跡だった。
着陸衝撃の直後、冷却バルブ三番に大きな圧力の山がある。外縁睡眠膜の急冷時、暖房を中央へ寄せた時、隔離診療室の陰圧装置へ電力を回した時、食品工程区画の温度は標準範囲をわずかに外れていた。どれも単独なら許容される逸脱だった。だが線を重ねると、酵素活性の低下とほぼ同じ階段を作っている。
『夜を越した分、別の未来を削った』
イソは声に出さなかった。最初の夜、体温で宿舎を組み替えた時も、アレス03の扉を開けた時も、選ばなかった危険が消えたわけではなかった。ただ別の場所へ移り、遅れて戻ってきただけだった。
一時間後、アミンが顕微ユニットからスライドを抜いた。周囲のざわめきが自然に消える。
「結論を言います。酵素カートリッジだけの問題ではありません」
彼は工程ログを指した。
「着陸衝撃で冷却バルブがねじれた。そこへ、その後の暖房出力調整が何度も重なった。温度、湿度、培地のpH、全部が少しずつ外れています。酵素は死んだというより、働く環境を失いました。今から部品を交換しても、培地ラインと基質側に変質が残ります」
「交換部品はないのか」
ドヒョンが問う。
「予備カートリッジはあります。でも入れ替えれば動く状態ではありません。洗浄、再調整、低温安定化を全部やって、成功しても初回収量は三割以下。その間のタンパク質は、出ません」
「時間は」
「最短で七日。安全にやれば十日以上」
十日。ラオンの計算と同じ数字が、別の形で返ってきた。誰かが小さく悪態をついた。配給列からは見えない場所にいるのに、その声は食品工程区画へ届いているようだった。
その時、区画の入口で低い咳払いが聞こえた。
「別のタンパク質源なら、あります」
振り向くと、農業チーム長のカン・セユンが立っていた。背の高い男で、灰色の作業服の袖に乾いた穀物粉がついている。農業モジュールは本来、予定着陸地の広い温室区画で稼働するはずだった。今は保存穀物の状態管理と、わずかな種子の保全だけが彼の仕事になっていた。
セユンは緊張を隠せない顔で、丸めたフィルム図面を作業台に広げた。
「居住膜の廃水再処理残渣、それから保存穀物を脱穀した時に出る外皮と粉。人間の食料としては効率が悪いものです。でも菌糸なら食わせられます。菌糸体を増やして乾燥させれば、全部は無理でもタンパク質の一部を置き換えられる」
アミンが即座に顔を向けた。
「菌株は?」
「農業実験用に凍結保存していた食用菌株があります。本来は土壌改良と廃棄物処理の試験用です。増殖速度は速い。味は期待しないでください。けれど栄養にはなる」
ミンジェが図面をのぞき込む。
「培養器は?」
「温室モジュールがないので、既存の容器を流用します。問題は容器じゃありません」
セユンはフィルムの端を叩いた。
「湿度と温度です。菌糸を安定して増やすには、低温乾燥の居住膜では無理です。水を失いすぎる。暖房を入れれば今度は電力を食う。中央膜に置けば胞子管理で医療区画と衝突します。食品工程区画はもう余裕がない」
ハリンが短く言った。
「居住膜内の開放培養は認めません。免疫が落ちている患者が多すぎる」
「だから、外です」
セユンは待っていたようにうなずいた。
「外といっても、地表ではありません。クレーター下の洞窟入口一帯。地質班の初期図面に、浅い空洞があります。気圧はないが、温度変動は地表より小さい。入口部を膜で閉じ、廃熱を通せば、菌糸培養に必要な湿度と温度を作れる可能性があります」
ドヒョンの目が動いた。食料が十日で尽きる場に、初めて「増やす」という動詞が出たからだ。
「必要な人員は」
「農業班四名、整備班二名、食品工程一名。初回の可食化まで、うまくいけば五日から六日。収量は標準タンパク質の二割程度ですが、配給崩壊を遅らせられます」
二割。誰も救われないほど小さく、見過ごすには大きすぎる数字だった。
イソは図面の線を追った。クレーターの斜面、夜明け号の船体影、居住膜、外部搬入口B。その下に、古い地質調査から引かれた細い空洞線がある。セユンの指は、その線の先端で止まっていた。
「ここです。洞窟入口。岩盤が安定していて、風の直撃も避けられる。居住膜から遠すぎず、食品工程の廃液を運べる距離です」
イソの背中に、冷たいものが通った。
座標番号を見た瞬間、彼女の中で別の地図が勝手に開いた。ラオンが配給表に偽装して流した、アレス03の生体信号マップ。封印される直前まで中央画面に映っていた赤い点。補給砂丘、本来の着陸中心点、そして現在地のクレーター縁へ伸びる薄い脈。
セユンの指先は、その薄い脈の端ではなかった。
最も濃い赤が集まっていた亀裂構造の、ほぼ真上だった。
イソはすぐに否定しようとした。地質図と生体信号図は縮尺が違う。火星の座標系は投影誤差もある。封印前に見た記憶だけで判断するのは危うい。だが設計者の目は、線の重なりをごまかせなかった。洞窟入口は、地下塩水層から強い反応が上がっていた場所と近すぎる。
「ハン・イソさん?」
セユンが期待を抑えきれない顔で彼女を見た。彼にはイソの表情の意味が読めていない。飢えの中で、ようやく出した現実的な案を、設計者に評価してほしいだけだった。
「どうですか。ここなら、始められますか」
ドヒョンも答えを待っていた。アミンも、ハリンも、ミンジェも、壁の向こうの配給列も、その一言に寄りかかっていた。
イソは図面の上の座標から目を離せなかった。菌糸農場は、確かに飢えを遅らせるかもしれない。だがその入口は、ダソムが三百六十八名を遠ざけた赤い脈へ、こちらから手を伸ばす場所だった。
封印されたはずの地図が、彼女の記憶の中でまた点滅した。
そこは、食料を作る候補地ではなかった。
火星の地下が最も濃く息をしている場所だった。
帰る船を燃やした朝、火星に憲章が生まれた
23話 赤く灯った熱封印装置
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