ヘッドライトの白が、粉塵の中で止まった。
ドギョムはジョアンを背負ったまま、空いた右手を下げる。銃はない。アルマがメアリーの腕を引き、若い男が息を殺す。背後ではマローンの鎖が低く鳴り、坑道奥の亀裂から砂が落ち続けている。
運転席の影が動いた。窓が半分下がり、雨に濡れた女の顔が現れる。髪は頬に貼りつき、目だけが強く光っている。
「乗って」
ディナだった。
ルーファスの赤い廃トラックは、前よりさらに泥をかぶっている。ナンバーのない鼻先は片方のライトが鈍く揺れ、荷台には古い毛布とロープが積まれていた。
「キーを預かってたの。ルーファスが、もし自分が戻らなかったらって」
ディナの声は震えていない。泣く時間を、ずっと後ろへ押し込んだ声だった。
ドギョムは問い返さない。いま必要なのは理由ではなく荷台だ。
「後ろを開けろ」
ディナはすぐ外へ降り、泥に足を取られながら荷台の留め具を外す。アルマがメアリーを押し上げ、若い男が痛む足を引きずって続く。ドギョムは背中のジョアンをいったん膝に受ける。
「まだ……渡すものが」
ディナは外套の内側から薄い防水袋を取り出した。封筒ノートの写しだ。ヘナが焼け跡から守り、教会地下で裂かれ、さらに分けられたうちの一つ。紙の端は濡れて丸まり、黒い字はところどころ滲んでいる。それでも、封筒の厚み、曜日、代理の顔、輸送箱の数は読める。
「あなたが持って。見つけた人が持つべきものだから」
ディナはそれをジョアンの胸の上へ置く。ジョアンは爪のない指で防水袋の端を押さえ、痛みに顔を歪めながらもうなずく。
「トミーの分も、ここにある」
その一言だけで、ディナの喉が詰まりかける。だが彼女は泣かない。荷台の毛布を広げ、メアリーを奥へ寝かせ、若い男の足を固定する。
ドギョムはジョアンを荷台へ置かない。助手席のドアを開け、そこへ座らせる。彼女の足では荷台の揺れに耐えられない。背もたれを倒し、体が横へ落ちないようシートベルトを胸の下で締める。
「息を短くしろ」
「あなたに言われると、腹が立つ」
ジョアンの声はかすれている。だが、言葉の形が戻っている。
ドギョムは返さず、シャツの内側へ手を入れる。認識票の横、汗と血で濡れた布の奥から、小さなメモリーカードを取り出す。B-4の錆びた弁当箱の二重底にあった、会計サーバー写しの原本だ。
彼はそれをジョアンの左手に握らせる。
「写しは外へ出た。これは、あんたが見つけたものだ」
ジョアンは目を見開く。次に、カードを落とさないよう手のひらを胸へ押しつける。剥がされた指では握れない。だからドギョムは彼女の手首に包帯を巻き、カードごと胸へ固定する。
「落とすな」
「命令ばかりね」
「生きてから文句を言え」
ディナが運転席へ戻る。ドギョムは助手席のドアを閉め、荷台へ回る。アルマが彼を見る。
「ミゲルは」
「屋上を下りていれば、生きてる」
確約ではない。だが嘘でもない。アルマはそれで前を見る。ドギョムは荷台の縁に片手をかけ、最後に坑道奥へ視線を戻す。
マローンはまだ坑木に縛られている。粉塵の向こうで、片膝と外れた肩を使って体を起こそうとしている。顎の壊れた口から、意味にならない息が漏れる。目だけはまだ、全員の背を刺している。
ドギョムは戻らない。
「出せ」
廃トラックが唸る。ディナはギアを入れ、クラッチを雑に繋ぐ。車体が跳ね、荷台の全員が低く呻く。ドギョムはロープを握り、片手でアルマとメアリーの体を押さえる。
山道出口の雨は、坑道の中より冷たかった。トラックは鉱車レール脇の積み出し場を抜け、崩れたコンクリートの間から外へ出る。泥の斜面にタイヤが滑り、車体が一度横を向く。ディナは悲鳴を上げない。ハンドルを切り直し、二速へ落として坂を噛ませる。
背後で、坑道が深く鳴った。
ドギョムは荷台から身を起こす。本坑道最後の位置。さっき遅らせた爆薬が、ついに届いた音だった。次の瞬間、低い爆発が山の腹を叩く。坑口の内側が白く光り、遅れて黒い土煙が出口から吹き出した。
岩が崩れる音は、雷より重い。新しいコンクリートの一部が内側へ折れ、坑口の縁が崩れ落ちる。土煙は雨を押し返すように尾根へ噴き上がり、濡れた杉と鉄錆の匂いを一気に飲み込む。
アルマが荷台の床に伏せ、メアリーの頭を抱く。若い男は声を出さず、歯を食いしばってロープへしがみつく。助手席のジョアンは窓越しに白い粉塵を見る。自分が閉じ込められていた闇が、ようやく外へ吐き出されるのを見ている。
同じ時刻、町の南の食料品店では、冷蔵倉庫の蛍光灯が最後に一度だけ瞬いた。
グラディスは凍える指で端末のエンターキーを押す。画面には、FINAL BATCH SENTの文字が出る。会計資料、署名欄画像、午前二時四分の七行、フィントンの印影、封筒ノートの写し。州警察汚職捜査課、ダラスの報道局、メンフィス通信社、郡検察公開受付へ、最後の送出信号が同時に打ち込まれる。
グラディスは椅子にもたれ、息を吐く。
「終わったわ」
誰に向けた声でもない。けれど、冷蔵倉庫の隅で背中を押さえていたヘナが、その言葉を聞いて無言でうなずく。
廃トラックのラジオは雑音まじりに鳴り続けている。ディナが片手でつまみを回すと、広場からの生中継が割り込んだ。
「ただいま入った情報です。郡コンベンションホール屋外広場で、エヴァン・プライス町長が州警察汚職捜査課の捜査員により身柄を拘束されました。現場では会計資料とリハビリセンター関連映像が大型スクリーンで再生され続けており――」
ディナの肩が一度だけ落ちる。助手席のジョアンは目を閉じ、カードを固定した胸へ顎を寄せる。荷台のアルマは何も言わない。ただ、ミゲルの名を唇の形だけで呼ぶ。
ドギョムはラジオを見ない。
彼は荷台から振り返り、遠ざかる崩れた坑口と土煙を見つめる。煙の奥で、何かが青く瞬いた。
一つではない。
二組の青い警光が、尾根の向こうからゆっくり姿を現していた。州警察の車両だ。雨と粉塵を切り裂きながら、今さらのように、だが確かに、ブラスヒルへ届いていた。
法が遅すぎる町で、今日倒すべき悪党を倒す男
111話 プライス逮捕と生存反応
次の話