ペン先は、最後の点を打てないまま紙の上で止まる。
教会地下の空気が、音もなく薄くなる。ディナの膝の上には封筒ノートの写し。余白には、教会側食料品店、閉店直後、カウンター下、短縮二番、と書かれている。ヘナは階段の闇を見る。アルマはミゲルのそばへ寄り、ジョアンは毛布の下で息を殺す。
ドギョムだけが、すぐには動かない。
「もう一度」
短く言うと、ミゲルが弁当箱の底から古いカセットを出す。割れたケースの端を布テープで止めた一本だ。学校で拾った保安官事務所側の断片、マローン側の混線、黒いピックアップの報告。全部をつなぎ直すには雑音が多すぎる。
だが、雑音にも形がある。
ミゲルは震える指で再生ボタンを押す。受信機の小さなスピーカーから、雨のようなノイズが流れた。
同じ時刻、保安官事務所の会議室では、カール・ラウクが鉄道駅の写真を机に並べている。部屋の中央ではなく、あえて扉から見える位置だ。若い代理二人が向かいに立ち、三人目は無線機の前に座っている。
「北の鉄道駅信号所へ入る」
ラウクの声は、紙へ写しやすいほど明瞭だった。
「イベント当日の午前零時ちょうど。車両二台。武装三人。正面道路から一台、貨物ホーム側から一台。対象は灰色の外套、軍用ブーツ、負傷あり。射殺は許可しない。確保して、保安官事務所へ戻せ」
無線担当の若い代理が送信ボタンを押す。ラウクはそれを見届けてから、わずかに顎を引く。
「繰り返せ」
「北の鉄道駅信号所、イベント当日午前零時。車両二台、武装三人。対象確保。射殺不可」
「いい」
声は保安官事務所の通常網へ流れる。外郭検問、道路管理、会場警備の補助線まで届くように、わざと強い出力で流される。聞く者が聞けば、保安官事務所が餌に食いついたと信じるだけの整った命令だった。
ラウクはそこで無線機から離れない。扉の横に立つ代理へ目で合図を送る。会議室の隅に置かれた古い仕切り板の内側で、人が動く気配がした。
そこには別の七人がいた。制服を着た者は三人だけ。残りは道路管理の反射ベスト、設備点検の上着、カジノシャトル会社の帽子をかぶっている。机の上には、広場外郭の路地、教会近くの食料品店裏手、カジノシャトル停留所脇の細い路地を写した地図が三枚並ぶ。
ラウクは声を落とす。今度の声は、無線には乗せない。
「一班、広場外郭の東路地と搬入口。人を追うな。機材とバッグを見ろ。二班、教会近くの店裏。地下へ入る通気口を上から押さえる。三班、カジノシャトル停留所脇。よそ者がフィントンを捕まえに来るなら、その後ろを取れ」
道路管理の上着を着た男が訊く。
「教会は?」
「まだ叩くな。地下へ逃げた人間は、外の息を必要とする。換気口を数えろ。出入りを記録しろ。逃げる直前に、必ず物が動く」
ラウクは地図の教会に触れない。触れないことで、そこを中心にする。
それから彼は別の無線機を取った。保安官事務所の備品ではない。黒いテープでメーカー名が隠されている。短い発信音のあと、向こうでヴィンス・マローンの部下らしい男が応じた。
「上側の口は五人で見る」
ラウクは言う。
「地下へ降りるな。換気口の上を押さえろ。同時刻だ。午前零時。鉄道駅の送信が流れたあと、三分遅らせて動け」
「女記者は」
「見つけたら口を塞げ。運べるなら運べ。撃つのは最後だ」
向こうで別の声が混じる。マローン本人ではない。だが命令の温度は同じだ。
「子供は?」
ラウクは目を細める。
「子供を追うな。子供が走れば、大人が止まる。大人を取れ」
教会地下では、カセットの音がそこで一度かすれる。ミゲルが巻き戻す。もう一度、鉄道駅の命令だけがはっきり流れる。
北の鉄道駅信号所。午前零時。車両二台。武装三人。
そこだけが、異様にきれいだった。
ドギョムは何も言わず、コンクリートの壇に広げた略図を見る。古い鉄道駅には、すでに大きなXが入っている。彼が置いた餌の場所だ。灰色の外套、寝袋、缶詰、血のついた圧迫包帯。ラウクが見れば、罠だとわかる。わかる罠だからこそ、ラウクはそこに一部を送る。
問題は、その一部以外だった。
「鉄道駅の前後を聞け」
ドギョムが言う。
ミゲルはカセットを少し戻す。ノイズの中で、誰かが「道路管理」と言いかける。次に小さな欠けがある。磁気テープが傷んだ音ではない。送信の切れ目でもない。一拍だけ、町の無線網から別の声が抜かれたような空白。
そのあと、また鉄道駅の命令だけが戻る。
グラディスが唇を押さえる。
「きれいすぎる」
ドギョムはうなずく。
「一行がきれいなら、別の一行が隠されている」
ヘナが低く問う。
「どこですか」
ドギョムは鉛筆を取る。北の鉄道駅の横に、まず小さなXを一つ描く。コンベンションホール広場の外郭路地。次に、もう一つ。教会近くの食料品店裏手。
ミゲルの顔が強張る。
「学校じゃないんですか」
「学校は見張られてる。だが決行の夜、そこを叩く理由は薄い。向こうが欲しいのは、飛ばす前のドローンじゃない。飛ばされたあとに逃げる人間と、映る前に黙らせる口だ」
ジョアンが毛布の下で目を開ける。声は擦れている。
「私……」
「そうだ」
ドギョムは地図から目を離さない。
「広場で画面が動けば、あんたの名前が出る。教会は、あんたを生かしてる場所だ。ラウクはそれを読んだ」
アルマがミゲルの肩をつかむ。ディナは封筒ノートの写しを胸へ引き寄せる。ヘナは階段ではなく、換気口を見る。そこがもう入口にも出口にもなると、全員が理解している。
受信機がまた鳴る。
今度は保安官事務所の網ではない。町の非常無線網の外部チャンネルだ。イベント準備、道路管理、救急待機、通信設備点検が混ざるはずの開いた線。その端で、短い機械音が三つ続いた。
ミゲルが受信機に耳を寄せる。
「チャンネルが……閉じました」
「どれだ」
「外部三。さっきまで、道路管理が入ってたやつです」
また一つ、音が消える。今度は外部五。次に、救急予備線の低いノイズが細くなり、ぷつりと切れた。
地下室に、雨音だけが戻る。
ドギョムは鉛筆を置いた。鉄道駅の大きなX、その横の広場と教会の小さなX。三つの印が、同じ時刻へ向かって黒く沈んでいる。
ラウクは餌に食いついたのではない。
食いつくふりをしていた。
その瞬間、換気口の向こうで金属が一度、内側ではなく外側から鳴った。誰かが格子に手をかけ、まだ開けずに、位置だけを確かめていた。
法が遅すぎる町で、今日倒すべき悪党を倒す男
89話 触れられた断熱材の角
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