路地の入口にヘッドライトが現れる。
カジノシャトルは濡れた角を大きく膨らんで曲がり、旧車両登録事務所の壁を低い光で舐める。車体のカジノ名は泥で半分消えている。運転席の男は帽子を深くかぶり、左のミラーを何度も見る。客席の奥では、丸い肩の男が黒い革鞄を胸へ抱え込んでいる。
ドギョムは壊れた電話ボックスの影から半歩だけ出る。二十五セント硬貨を爪先に乗せる。雨は弱い。だから割る音は、ブレーキ音に重ねる。
シャトルの前輪が水たまりを踏む。
硬貨が飛ぶ。
濡れた空気を切った硬貨は、運転席側のサイドミラーへ当たり、鏡面を蜘蛛の巣のように砕く。運転手が反射で肩をすくめ、ハンドルを切る。車体が路地の壁へ寄り、急ブレーキが甲高く鳴った。
「何だ」
運転手の声が荒く落ちる。見えない左側をもう一度見ようとして、首が割れたミラーの方へ止まる。
後部座席でフィントンが鞄を抱き直す。ドナルド・フィントン。郡保健局長。死亡欄を開き、死因を空白にした男。今は書類だけを人間より大事に抱え、汗で額を光らせている。
「降りろ。後ろへ移る」
運転手が言う。だが遅い。フィントンは先にドアを押し開け、雨の路地へ足を出す。鞄を胸に抱いたまま、電話ボックスの反対側へ逃げようとする。
闇の内側から、ドギョムの手が伸びる。
彼はフィントンの右手首をつかみ、親指の付け根を内側へ折る。悲鳴は喉で詰まる。鞄の取っ手を握っていた指が開き、ドギョムはそれを脇へ引き抜く。同時に膝で腿裏を払う。フィントンは濡れたアスファルトへ膝から落ちた。
運転手がドアを蹴り開ける。腰の拳銃へ右手が落ちるより早く、ドギョムは運転席へ踏み込み、ドアを押し返す。縁が男の脛に当たり、姿勢が崩れる。その一拍で、ドギョムは拳銃を抜きかけた手首を座席へ叩きつける。
銃は床へ落ちる。運転手の左拳が振られるが、狭い座席では力が死ぬ。ドギョムはそれを外へ流し、落ちた拳銃を逆手に取る。
グリップが顎を短く打つ。
男の歯が鳴り、目の焦点が抜ける。ドギョムは首をシートへ押しつけ、ベルトで両手をハンドル支柱へ縛る。足首は非常用ケーブルで固定し、口には汚れたタオルを押し込む。息はある。顎はしばらく使えない。
フィントンは膝をついたまま、右手を胸へ抱えている。折れてはいない。話すには十分な痛みだけが残っている。
ドギョムは後部座席に革鞄を置く。鍵は四桁の番号式だった。フィントンの目が、鞄ではなくドギョムの指を見る。そこに答えがある。
「番号」
「知らない、私は預かっただけで――」
ドギョムは何も言わず、フィントンの手首をもう一度持ち上げる。角度を少し変える。骨ではなく恐怖が先に鳴る。
「〇、二、〇、四」
午前二時四分。死者でも生者でもない欄が開いた時刻。ドギョムは数字を合わせる。金具が軽く外れた。
中には薄いビニールで分けられた紙束が並ぶ。保健局の印影。医師署名欄の元画像。青いインクでなぞった署名の列。町長プライスの財団支出、マートン判事の後援基金、コンウェイ銀行の借り換え口座、ラウクの非公式資金、マローン輸送精算をつなぐ写し。ジョアンのカードに入っていた表と同じ数字が、紙で残っている。
その奥に、別の封筒がある。
マローン薬品倉庫。座標。峡谷山道出口の南、古い排水溝の先。さらに、廃鉱分岐D-3脇の新たな爆薬設置図。赤い印は換気塔、本坑道の坑木、鉱車レールの分岐へ打たれている。手書きの時刻は零時。ドギョムは紙の端を押さえ、湿気で反った赤線を目で追う。
『倉庫だけじゃない』
声には出さない。これは証拠隠しだけの図ではない。廃鉱の口を塞ぐための図だ。中に誰を戻すつもりか、考える必要はない。
フィントンがそれを見て、喉を鳴らした。
「私は、爆薬のことは知らない」
「今、知った顔をした」
ドギョムは必要な封筒を自分のバッグへ移す。残りも持つ。鞄ごとなら時間はかからない。彼は革鞄を閉じ、フィントンの前へしゃがむ。
「倉庫」
「何の」
「零時」
フィントンの唇が震える。広場の方から遠い拍手が聞こえ、すぐ途切れる。ここで黙れば、プライスの笑顔の下に自分も埋まる。フィントンはようやくその顔をする。
「倉庫は……零時に、マローンが自分で爆破します」
雨が眼鏡を濡らす。彼は膝をついたまま、息を吸い、吐く。
「そのあとは廃鉱へ抜けるはずです。D-3です。薬品だけじゃない。残った人間も、そこへ……私は書類だけを渡せと言われた。署名欄と、死亡処理の写しと、爆薬の設置図を」
「誰へ」
「マローンの運転手です。今夜は教会側も動くと聞いた。女記者を戻すって。フィントンを拾ったら、次は――」
言葉が切れる。自分の名前を三人称で言ったことに、本人が気づいていない。逃げる人間は、責任の外に自分を置く。
ドギョムはフィントンの両手を背中側へ回し、シャトルの非常用カーテンを裂いて縛る。足も同じ布でまとめる。口は塞がない。これから聞く者がいる。
バッグから小さな送信機を出し、二度だけ短く押す。三秒の無音を二回。グラディスへの決行の合図であり、同時に手配していた接触班へ対象を引き渡す合図だ。返答はない。それが約束だった。
フィントンが顔を上げる。
「私をどこへ」
「紙が読める人間のところだ」
「保護してくれるのか」
ドギョムは答えない。保護と引き渡しは別の言葉だ。フィントンにはまだ、その差を選ぶ権利がない。
路地の奥から、ヘッドライトを消した古いセダンが一台近づく。南の食料品店側の接触班だ。ドギョムは運転席の顔を見ない。見れば、相手もこちらを覚える。
セダンが止まる前に、彼はフィントンの襟をつかんで壁際へ引き、革鞄とは別の小封筒を投げる。供述に必要な写しだけだ。爆薬図と倉庫座標は自分が持つ。
「十七分後に動け」
「広場は」
運転席の影が聞く。
「もう始まる」
ドギョムはそれだけ残し、廃トラックへ戻る。ルーファスの曲がったキーは一度引っかかり、二度目で回る。エンジンは湿った咳をしてから低く唸った。革鞄を助手席へ置き、爆薬設置図だけを膝の上へ広げる。
鉄道駅へ向かう道は北へ伸びている。だが紙の赤い印は、西の廃鉱へ血のように滲んでいる。ラウクが待つ駅へ行く。マローンが塞ごうとする廃鉱へも行く。順番だけが問題だった。
ドギョムはハンドルを切る。廃トラックは旧車両登録事務所の壁をかすめ、雨の薄い通りへ出る。広場の方で、仮設スクリーンの白い光が一瞬強く跳ねた。
同じ時刻、崩れかけた教会の近く。食料品店裏の路地の端へ、黒いピックアップが二台、ヘッドライトを消したまま滑り込んでくる。
一台目の助手席の男が、前に触れた換気口格子へ手を伸ばす。二台目の荷台では、短い鉄梃と布で巻いた散弾銃が雨に濡れないよう並べられていた。
地下へ通じる格子が、今度は外からではなく、内側へ押し込まれる音を立てた。
法が遅すぎる町で、今日倒すべき悪党を倒す男
93話 広場に流れ込む会計表
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