「地下に入った」
その声は冷蔵倉庫の受信機で割れ、すぐに雨のノイズへ沈む。
ディナは扉の取っ手から片手を離せない。胸元の封筒ノートの写しが硬い板のように当たっている。空いた手には、いつも鞄の底に入れていた面会申請書が握られている。受付印も却下印もない、トミーの名前だけが濡れて乾いた紙だ。
グラディスは端末を見たまま、唇を動かす。
「送信は、止めない」
画面では添付の四つ目が緑へ変わる。午前二時四分の七行。トミーの入院日。ミゲルの母の空白欄。続いて、死亡診断書偽造の画像束が分割送信へ入る。
広場の大型スクリーンでも、同じ七行が上から順に拡大されている。
識別番号。発行時刻、02:04。死亡欄、開。死因欄、空白。医師署名、貼付。端末、保健局文書処理室。
七行。
七人。
名前を奪われた人間の代わりに並んでいた数字が、町の広場で雨に濡れた全員の目の前へ出る。
家族席の二列目で、年配の男が立ち上がる。手に持っているのは折り畳まれた処方箋の写しだ。その横の女も、遅れて立つ。彼女は首から下げた小さな写真を握り、画面と写真を何度も見比べる。誰かが「同じ番号だ」と言う。別の誰かが、息を吸ったまま泣き声を出せずにいる。
プライスはマイクを握ったまま、笑顔の形だけを残している。
「これは、システムエラーです。古い端末が不正な表示を――」
記者たちのカメラは、もう壇上を向いていない。レンズは大型スクリーンへ、そこから客席へ、立ち上がった二人へ移る。郡検察のオブザーバーはノートを開くだけでは足りず、携帯端末を取り出して画面を撮り始める。
「皆さん、落ち着いてください。確認されていない情報です。これは明らかな――」
プライスの声は、拍手が止まった広場で妙に薄い。外部勢力。混乱。安全。さっきまで人々を座らせていた言葉が、七行の前では紙屑のように軽くなる。
東入口の男は、上着の内側へ入れた手を抜けないでいる。MALONE TRANSPORTの注記が、彼の足元を縫いつけたままだ。西側通路の男も動かない。殴れば、今度は外部の暴力要員として画面の続きに収まる。
冷蔵倉庫で、ディナの手から面会申請書が滑り落ちる。紙は肉箱の角に当たり、床へ落ちる。彼女は拾わない。
「地下って、教会?」
グラディスの声は小さい。
受信機がまた鳴る。今度は言葉ではなく、金属の引きずれる音と短い罵声が入る。ヘナの声が聞こえない。ジョアンの咳も聞こえない。
ディナはやっと床の紙を拾い上げ、胸元へ差し込む。
「行く」
「だめよ。あなたがここを出たら、端末を――」
「端末はあなたが持って逃げる。私は、あそこに写しを残してる」
グラディスが目を上げる。ディナは扉を細く開け、冷気の外へ出る。廊下の先、搬入口側の裏口はまだ暗い。教会まで走れば三分。雨と広場の騒ぎが、今だけ足音を隠す。
「最後の送出は倉庫でやって。ここを捨てないで」
返事を待たず、ディナは走る。
同じ時刻、崩れかけた教会の地下室では、換気口格子二か所が内側へ崩れ落ちている。
一つ目は祭壇下の東側。二つ目は信徒席裏の低い壁。断熱材の山が裂け、濡れた黒い袖が伸びる。マローンの部下が一人、肩から落ち、続けて二人目が膝をつく。さらに三人。全部で五人。顔を布で覆い、短い鉄梃と布巻きの散弾銃を持っている。
ヘナは声を出さない。信徒席の下へ滑り込み、非常用発電機の燃料コックを閉じる。続けて主電源の小さなスイッチを落准す。
地下室の裸電球が消える。
闇が一気に降りる。発電機の低い振動も止まり、雨の音と男たちの靴音だけが残る。
「ライト」
部下の一人が言う。
懐中電灯が点く前に、ヘナは床を這ってジョアンのそばへ行く。ジョアンは毛布の上で上体を起こしかけていた。手首のガーゼは血で濡れているが、目だけはまだ働いている。
ヘナは小さなメモリーカードの写しをジョアンから受け取り、すぐアルマの外套をつかむ。アルマは息を殺し、壁の非常梯子へ体を向けている。
ヘナはカードをアルマの内ポケットへ押し込む。指で二度、布を叩く。ここ。忘れるな。
それから、食料品店の方角を指す。地下室の西壁、古い石炭搬入口を塞いだ板の下。そこから低い通路を抜ければ、教会側の食料品店の裏へ出る。ドギョムが図面に印をつけた逃げ道だ。
「アルマ」
ジョアンが声を出そうとする。ヘナは首を振る。
しゃべるな。
最初の懐中電灯が点き、白い線がコンクリートの壇を舐める。壇の上には、もう主要な端末はない。だが古い受信機、空の薬箱、包帯、濡れた坑道図面の写しが散っている。
「女記者を探せ。あと、若い女。カードを持ってる」
部下の声が低く落ちる。
ヘナは闇の中で、折りたたみ椅子を片手で探る。だが相手の数が多い。撃ち合う場所ではない。ここは、死なせないために整えた場所だ。その場所を、また人を奪うために踏まれている。
二本目のライトがジョアンの白い頬をかすめる。
「いた」
男が踏み出す。
その瞬間、地下室の階段側から小さな足音が落ちてくる。ディナだ。濡れた髪が顔に貼りつき、肩で息をしている。片手には、救急キット。もう片方の手には、トミーの面会申請書が胸元からはみ出している。
ヘナは止める暇がない。
いちばん近い部下が振り向く。ライトがディナの顔を刺す。彼女はひるまない。細い腕で救急キットを振り抜く。
硬い角が男のこめかみを叩く。
鈍い音が地下室へ落ち、男の膝が折れる。散弾銃が床へ滑り、ジョアンの毛布の端で止まる。
「走って!」
ディナが叫ぶ。
それで闇は動き出す。ヘナは椅子を横から叩きつけ、二人目の脛を潰す。アルマはジョアンの肩を支えようとするが、ジョアンは首を振り、自分ではなく梯子を指す。先にカードを出せという目だった。
三人目の部下が散弾銃を拾う。ヘナが間に合わない。ディナは倒れた男の腕を踏みつけ、もう一度救急キットを構える。
だが背後の換気口から、六人目の影が降りてくる。
五人ではなかった。
黒い外套の裾が断熱材を払う。手には無線機。顔は布で隠していない。マローンの現場指揮役、以前D-3でジョアンの水を運んでいた男だ。
無線機から、ヴィンス・マローンの声が冷たく落ちる。
「女記者を壊すな。持ってこい。アルマもだ。写しを持っている」
男の視線が、アルマの外套の内ポケットで止まった。
ディナの手が震える。ヘナが闇の中で一歩前へ出る。ジョアンは血の滲む手で、アルマの袖をつかむ。
次の瞬間、外套の内側から、薄いメモリーカードが床へ滑り落ちた。
法が遅すぎる町で、今日倒すべき悪党を倒す男
95話 廃鉱へ奪われるジョアン
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