仁川(インチョン)旧市街の夜明けは、いつも金属の音から始まる。
コンビニ物流倉庫の裏口では、まだ空が薄青くなる前から折り畳みコンテナが積み上がり、フォークリフトの警告音が冷えた空気を引き裂いている。箱の角がぶつかる鈍い音、濡れた床をタイヤがこする音、眠気を噛み殺す男たちの短い怒鳴り声。ユン・テオはその中で、牛乳パックの入ったケースを両腕に抱え、指定された棚へ運び続ける。
手袋の内側は汗で重く、作業服には油と段ボールの湿った匂いが染みている。四時間の短い早朝勤務。時給は高くない。それでも家賃の一部になり、祖母の薬袋に変わる。だからテオは腰の痛みを口に出さず、休憩室の椅子に座る時間も削って、最後の伝票にサインする。
「ユン、明日も同じ時間な」
班長が伝票を見もせずに言う。
「はい」
声はかすれていた。水を飲む時間を惜しんだせいだ。倉庫を出ると、海の方から湿った風が吹きつける。旧市街の坂道には、夜を引きずったままの看板がちらほら灯っている。テオはバス停のガラスに映った自分を見る。目の下は黒く、髪は汗で額に張りついていた。
『今日、薬を忘れない。家賃は来月十日まで。学校は休まない』
頭の中で順番に確認する。そうしないと、どれか一つが崩れそうだった。
その日の夕方、ハンビット工業高校の夜間クラスの教室には、古い蛍光灯の白い光が満ちている。昼間の生徒が残した消しゴムのかすと、機械油の匂いと、温くなった弁当の匂いが混じっていた。テオは作業服の上に制服の上着だけを羽織り、最後列の席に倒れ込むように座る。
椅子の脚が床をこすって、きい、と鳴る。その音だけで何人かが振り向き、すぐに興味を失った顔で前へ戻る。テオは机に腕を置き、額を伏せそうになるのをこらえる。眠れば終わりだ。眠った瞬間、誰かの笑い声が近づいてくる。
担任のオ・ミョンシクが出席簿を持って入ってくる。くたびれた灰色のジャケットに、首元の緩んだネクタイ。彼は教壇に立つと、生徒の顔をろくに見ずに名前を読み上げていく。
「キム・ソンジュン。就職内定、継続。パク・ミナ、面接待ち。ユン・テオ」
「はい」
テオが小さく返事をする。
オ・ミョンシクは出席簿の欄に丸をつける。出席の丸ではない。就職実習の欄だ。家庭の事情も、睡眠時間も、昨日殴られた跡も、そこには書かれない。丸か、空欄か。それだけだ。
「物流、続いてるな」
「はい」
「遅刻するなよ。現場から苦情が来たら推薦書に響く」
それだけ言うと、オ・ミョンシクは次の名前へ移る。テオは返事を飲み込む。推薦書。現場実習。就職率。大人たちが使う言葉は、いつも縄のように首にかかる。
授業が始まる。プリントが配られ、黒板に部品名が書かれる。テオはシャープペンを握るが、文字が二重に見えた。まぶたが落ちる。落ちてはいけないと思うほど、体は机へ吸い込まれていく。
その瞬間、首筋に鋭い痛みが走る。
「っ……」
反射的に背筋が伸びる。後ろからではない。斜め前の席から腕を伸ばしたカン・ジヒョクが、ボールペンの先でテオの首筋をつついていた。染めた茶色の髪を乱暴にかき上げ、片方の口角だけを上げている。
「起きた?」
周りでパク・ドンスとイ・ミンギュがくすくす笑う。ドンスは大柄で、机の下に投げ出した足が通路を塞いでいる。ミンギュは携帯電話を構え、撮るふりだけをしてテオの反応を待っていた。
テオは首筋を押さえない。痛みに反応すれば、もう一度やられる。それを体で覚えている。
「何だよ、返事くらいしろよ。夜勤エース」
ジヒョクが囁く。授業中だから大声は出さない。教師に見つからないぎりぎりの声量で、人の耳にだけ毒を落とすのがうまい。
「……授業中だ」
テオがそう言うと、ジヒョクの目が細くなる。
「まじめだな。そんなに勉強して、どこの大企業に行くんだよ。コンビニの箱運び係?」
ドンスが鼻で笑う。ミンギュが肩を震わせる。前の席の数人も、聞こえないふりをしながら口元だけを歪めている。テオはプリントの端を指で押さえる。爪の下に倉庫の黒い汚れが残っていた。
『耐えろ』
頭の奥で、自分に命じる。
家に帰れば、祖母ユン・ボクスンに夕食の残りを温めて出し、薬を飲ませなければならない。最近のボクスンは、朝に飲んだ薬を昼にも探し、孫の名前を途中で忘れる。冷蔵庫の扉には薬の時間を書いた紙を貼っているが、それを読むことすら忘れて泣くことがある。
来月の家賃もある。古いヴィラの大家は、これ以上待てないと昨日も電話してきた。物流の給料が入れば、まず薬代、次に家賃。その順番を崩すことはできない。
そして目の前のこの連中。
どれ一つとして、投げ出せない。逃げれば、最初に倒れるのは自分ではなく祖母だ。
首筋に、またボールペンの先が触れる。今度は刺すのではなく、ゆっくりなぞるように動く。
「油くさ」
ジヒョクが顔をしかめる。
「洗ってこいよ。教室が倉庫になるだろ」
テオは奥歯を噛みしめる。顎の奥で音がした。立ち上がって椅子を蹴り飛ばす想像が一瞬だけ頭をよぎる。ジヒョクの胸ぐらをつかみ、机に叩きつける。ドンスの笑い声を止める。ミンギュの携帯電話を床に踏み潰す。
だがその想像は、祖母の薬袋の白い紙で塞がれる。物流倉庫の出勤表が浮かぶ。学校の推薦書が浮かぶ。テオの拳は机の下で固まったまま、動かない。
「おい、ユン」
教壇からオ・ミョンシクの声が飛ぶ。テオははっと顔を上げる。
「寝るなら帰れ。だが欠席扱いだぞ」
教室のあちこちから小さな笑いが漏れる。ジヒョクが何食わぬ顔で前を向き、ボールペンを指の間で回していた。テオは頭を下げる。
「すみません」
それ以上は言わない。言っても何も変わらない。オ・ミョンシクは溜息をつき、黒板へ向き直る。誰が何をしたのか、彼は見ていなかった。見ようともしなかった。
授業の終わりを告げるチャイムが鳴ると、生徒たちは一斉に立ち上がる。椅子の音、鞄のファスナー、雑談のざわめき。テオはすぐには動かない。人が少なくなるまで待つのが癖になっていた。人混みに紛れて逃げれば安全な日もあるが、ジヒョクたちが待っている日は、どこで捕まるかが変わるだけだ。
廊下へ出ると、蛍光灯の何本かが切れかけて点滅している。階段へ向かう通路の先で、ドンスの広い背中が見えた。予想どおりだった。踊り場を塞ぐように立ち、手すりにもたれている。ミンギュは壁際で携帯電話をいじり、ジヒョクは階段の一段上に腰を下ろしていた。
「遅いな、優等生」
ジヒョクが顔を上げる。
テオは足を止めない。止まれば弱く見える。通り過ぎようとした瞬間、ドンスの腕が横から伸び、胸を押し返した。
「ぶつかった。謝れよ」
「どけ」
テオの声は低くなる。自分でも驚くほど乾いていた。
ドンスの目が少し開く。次の瞬間、ジヒョクが階段から降りてきて、テオの胸ポケットに手を突っ込んだ。携帯電話が抜き取られる。
「返せ」
「そんな怖い顔するなって。確認だけ」
ジヒョクは画面を上へかざす。テオが奪い返そうと一歩踏み出すと、ドンスが肩をつかみ、壁へ押しつける。背中に冷たいタイルの感触が当たった。
「暗証番号」
「知らない」
「自分の携帯だろ」
ジヒョクが笑う。テオは黙る。ジヒョクは慣れた手つきで、以前覗き見た数字を入力した。画面が開く。その一瞬、テオの胃が沈む。
通知欄の一番上に、銀行アプリの入金通知が出ていた。
早朝勤務分の給料。金額は多くない。だがその数字は、今月の薬代そのものだった。ジヒョクの目が細くなり、笑みが深くなる。
「入ってるじゃん」
ミンギュが横から覗き込む。
「マジ? 今日?」
「ちょうどいいな」
ジヒョクは携帯電話をテオの目の前へ突きつける。画面の明かりが、薄暗い踊り場でやけに白く光っていた。
「今月も封筒、用意しろ」
その声はさっきまでの軽さを消していた。低く、近く、耳の奥へ直接入ってくる。
テオはジヒョクを見る。茶色の髪、余裕のある笑み、その背後で笑う二人。こんな顔を何度も見てきた。最初に断った日、腹を殴られた。次に黙って逃げようとした日、物流倉庫へ電話されかけた。祖母の住むヴィラの名前を口にされたこともある。
拒むことが何を意味するのか、テオはもう身をもって知っている。
「……いくらだ」
声を絞り出すと、ジヒョクは満足そうに目を細めた。
「分かってるじゃん。明日の朝まで。遅れたら、まずお前の仕事先に電話する」
ジヒョクは携帯電話を返すふりをして、すぐには離さなかった。代わりに画面をもう一度覗き、通知の下に残っていた別のメッセージを見つける。祖母からだった。文字は短い。
『薬、どこ』
ジヒョクの笑みが、さらに薄くなる。
「年寄り、薬探してるってさ」
テオの中で何かが冷える。怒りではなかった。怒りよりも硬く、暗いものだった。ジヒョクは携帯電話を彼の胸に押しつけ、耳元でささやく。
「封筒を忘れたら、次はその薬を探しに行ってやるよ」
階段の蛍光灯が一度、大きく瞬いた。暗くなった一瞬、テオの手は携帯電話ではなく、ジヒョクの喉元へ伸びかけていた。
黒い蝋燭にいじめっ子の名前を刻んだ夜、俺は裏社会の鏡王になった
2話 破れかけた命綱と写真
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