階段の蛍光灯が戻ると、ユン・テオの指先はカン・ジヒョクの喉元の数センチ手前で止まっていた。
ジヒョクはその距離を見て、片方の口角をゆっくり上げる。怖がるどころか、待っていたような顔だった。パク・ドンスの太い腕がすぐにテオの肩を押し込み、冷たい壁へさらに押しつける。背中の骨がタイルに当たり、鈍い痛みが走る。
「やるのか?」
ジヒョクが小さく笑う。
「ほら、やってみろよ。物流の箱運びが、学校で暴力事件か」
ミンギュは携帯電話を構えたまま、撮影ボタンに指を置いている。画面の中で、テオの顔だけが白く浮いていた。目の下の隈、乾いた唇、怒りでこわばった頬。自分でも見たくない顔だ。
テオは拳を握る。握ったまま、まだ下ろせない。祖母の薬を探すメッセージが頭の奥で点滅している。『薬、どこ』。たった四文字が、ジヒョクの笑い声より大きく耳に残る。
「返せ」
「返すって」
ジヒョクは携帯電話をひらひらと振ってみせた。だが同時に、空いた手を鞄へ伸ばす。テオが反応するより早く、ドンスが腕ごと押さえつける。
「動くなって」
「やめろ」
「何が入ってるかな」
ジヒョクはテオの鞄を開け、ノートや作業手袋を乱暴に床へ落とす。安いボールペンが階段を一段転がり、ミンギュがそれを足先で止める。鞄の底から、白い封筒に挟まれた紙が見えた。
物流センターの出勤表だった。今月の早朝勤務の記録、班長の確認印、給料の計算に必要な紙。テオは息をのむ。
「それは関係ない」
「関係あるだろ。お前の命綱じゃん」
ジヒョクは紙をつまみ上げ、蛍光灯の下へかざす。薄い紙に並んだ日付と時間が、ひどく頼りなく見えた。毎朝四時台に起き、眠気を噛み殺して押した印。その一つ一つが、薬袋と家賃へ続く細い線だった。
テオは壁から体を離そうとする。今度は本気で殴ってでも取り返すつもりだった。ドンスの胸を肘で押し、ミンギュの携帯電話が慌てて近づく。
その瞬間、ジヒョクが出勤表の端を両手で持った。
「一回でいいぞ」
紙が、ぴりっと鳴る。
テオの動きが止まる。
ジヒョクはわずかに破れた出勤表を見せつけながら、低い声で続ける。
「これ、なくしたらどうなるんだっけ。お前、現場で嫌われてるからさ。俺が電話してやろうか。ユン・テオ、今日から無断欠勤しますって。学校にも、現場にも」
「……やめろ」
「じゃあ封筒」
ジヒョクはもう一度、紙を裂きかける。細い白い筋が日付の上へ伸びた。テオの喉が詰まる。ここで殴れば、少しは気が晴れるかもしれない。だがそのあとに残るものは、破れた出勤表と、消える早朝勤務と、薬のない冷蔵庫だ。
ボクスンが冷蔵庫の前で泣いている姿が浮かぶ。薬袋を見つけられず、孫の名を思い出せず、誰かに置いていかれた子どものように怯える顔。
テオの拳から力が抜けた。
「……明日の朝までだな」
ジヒョクの目が満足げに細くなる。
「分かってるじゃん」
彼は出勤表を丸めてテオの胸へ投げつける。完全には破れていない。だが端の裂け目が、体のどこかを切られたように痛んだ。ミンギュが残念そうに録画を止め、ドンスがようやく腕を放す。
「給料、ほとんど残らないだろうな」
ジヒョクは携帯電話をテオの胸ポケットにねじ込みながら、耳元で囁く。
「でも薬は買えるんだろ? 少しは。よかったな、孫孝行で」
テオは答えない。床に落ちた手袋とノートを拾い、出勤表を鞄の奥へ押し込む。膝が少し震えていたが、三人に見せないように階段を下りる。背後で笑い声が続く。追ってはこない。それが今夜の勝ちだと、ジヒョクたちは思っている。
外へ出ると、旧市街の空気は湿って冷たい。バス停まで歩く間、テオは銀行アプリを開く。入金された数字を見る。そこから封筒に入れる額を引き、残る金額を頭の中で分ける。薬代、米、古いヴィラの電気代。家賃はまた一部だけ遅らせるしかない。
『すみません。来週まで待ってください』
大家に送る文面まで考えたところで、胃が重く沈む。謝る相手が多すぎる。倉庫、学校、大家、薬局。誰に対しても、テオはいつも少しずつ足りない。
夜遅く、丘の上の狭い一間に戻ると、玄関の灯りはついたままだった。靴を脱ぐ前に、テオは中を見回す。
「ハルモニ」
返事はない。胸の奥が冷える。鞄を床へ置き、すぐに台所へ向かう。冷蔵庫を開けると、扉の内側に貼った紙がはがれかけていた。朝、昼、夜。赤いペンで囲んだ薬の時間。その下の小さなケースに、薬袋が二つ残っている。
まだある。
テオはそこで初めて息を吐く。
奥の部屋で布団がこすれる音がした。ボクスンが布団から上半身を起こし、ぼんやりとこちらを見ている。白い髪は寝癖でふわりと乱れ、薄いカーディガンの袖が片方だけ肘までずれていた。
「誰か来たのかい」
「俺だよ」
テオは声を柔らかくする。学校で使った低い声を、ここへ持ち込みたくなかった。
「薬、飲もう」
「薬?」
ボクスンは首をかしげる。テオは小さなコップに水を入れ、薬袋から錠剤を出す。一錠ずつ手のひらに乗せると、彼女は不安そうに覗き込んだ。
「これは、何の薬だったかね」
「眠る前の薬。先生が言ってた」
「そうかい。先生が」
ボクスンはうなずき、テオの手から薬を受け取る。何度か水をこぼしながら飲み込み、最後に口元を袖で拭いた。テオはこぼれた水をティッシュで拭く。床板の隙間は黒ずみ、壁紙は端が浮いている。だが冷蔵庫に薬袋があり、布団の上に祖母がいる。それだけで、今夜はまだ崩れていない。
「ご飯、少し食べる?」
「食べたよ」
食べていない。鍋の中の粥は朝のまま固まっている。テオは何も言わず、弱火で温め直す。ボクスンは布団の上で膝を抱え、台所に立つテオの背中をじっと見ていた。
「学生さんかい」
テオの手が止まる。
「……うん」
「こんな遅くまで、えらいねえ」
彼女は本当に知らない顔で笑った。孫の名前も、自分が今誰と暮らしているかも、霧の向こうに置いてきたような笑顔だった。それなのに、テオの顔を見ると、子どものように明るくなる。
胸の奥が痛む。悔しさとも違う。悲しさとも少し違う。ただ、その笑顔を守るためなら、今日の階段も、封筒も、破れかけた出勤表も飲み込めると思ってしまう。
「ハルモニ」
「うん?」
「俺の顔、覚えてる?」
ボクスンはしばらく考える。皺の寄った指が布団の端をつまむ。やがて困ったように笑った。
「いい顔だねえ。うちの……誰かに似てる」
テオは目を伏せる。粥を器に移し、匙を添えて差し出す。
「熱いから、ゆっくり」
「ありがとう、学生さん」
その言葉に返事をすると、声が壊れそうだった。テオは台所の流しへ向き直り、水道を少しだけ出す。流れる水の音に紛れて、短く息を整える。
翌朝、封筒はジヒョクの手に渡った。
早朝勤務のあと、テオは薬局へ寄り、残った金で最低限の薬だけを買う。薬剤師に次回はまとめて買った方が安いと言われても、うなずくことしかできない。紙袋を鞄の奥へ入れ、その上に教科書を重ねる。冷たいパンを一つ食べ、夕方にはまたハンビット工業高校の最後列に座っていた。
眠気は昨日より重い。だが今日は目を閉じない。閉じれば何かを奪われる気がした。
授業前の教室はざわついている。ジヒョクはいつもより機嫌がいい。ドンスが菓子袋を開け、ミンギュが笑いながら机の間を歩く。テオは鞄を足元へ寄せ、両膝で挟む。
それでも無駄だった。
後ろから伸びてきたドンスの手が、椅子ごとテオを押さえる。ミンギュが素早く鞄のファスナーを開けた。
「何してる」
「昨日の封筒、薄かったから検査」
ジヒョクは笑いながら鞄の中を探る。薬袋を見つけ、つまらなそうに放り込む。教科書、出勤表、古いペンケース。その奥から、小さなビニールケースが出てきた。
テオの血が一瞬で冷える。
「返せ」
ジヒョクが中の写真を抜き取る。
色あせた一枚。若い頃のボクスンと、幼いテオが市場の前で並んでいる。ボクスンの顔は今よりずっとはっきりしていて、テオの肩を大切そうに抱いていた。
「へえ」
ジヒョクは写真を教室の真ん中で高く掲げる。
「見ろよ。箱運びの宝物だってさ。これが例の薬探してるばあさん?」
何人かが振り向く。笑う者、気まずそうに目をそらす者、興味本位で身を乗り出す者。教室の空気が一つの方向へ傾く。オ・ミョンシクはまだ来ていない。止める声はない。
テオは立ち上がろうとする。だがドンスの手が肩に重く乗る。椅子の下で、テオの手が静かに震える。
ジヒョクは写真の端を指で弾き、さらに大きな声を出した。
「なあ、ユン。これ、破ったら薬の場所も思い出せなくなるかな?」
その瞬間、テオの中で、昨日まで必死に数えていた家賃も給料も推薦書も、すべて音を立てて遠ざかった。残ったのは、写真を握るジヒョクの指と、喉の奥からせり上がる黒い熱だけだった。
黒い蝋燭にいじめっ子の名前を刻んだ夜、俺は裏社会の鏡王になった
3話 実習室の濡れ衣
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