鎖の音は、コンテナの壁を爪で削るように近づいてくる。
テオはラヒムの手を外し、口元に指を立てる。ナルギザは膝を抱えた少年二人を奥へ押しやり、自分も毛布の陰へ身を縮める。外のエンジン音はすぐそばで止まった。男たちの低い笑い声が混じる。
「まだじゃないか。二時間ある」
外から男の声がした。ラヒムが息だけで告げる。
「夜明け前、四時。車、来る」
テオは携帯の時刻を見る。午前一時五十六分。残り二時間ほど。警察へ通報して、誰かが来るのを待てる時間ではない。学校でも、警察署でも、紙が先に回っていると分かった。ここでも同じだ。東洋金属の帳簿とジンミョン人材の控除明細、白蛇金庫の印。それを見せても、現場に踏み込む前に誰かが連絡を入れるかもしれない。
「出口は」
テオが訊くと、ラヒムは首を振りかけ、思い出したように床を指す。
「下、配管。古い。狭い。出た人、昔いた。でも外、鉄板」
「場所を教えて」
外の足音が遠ざかるのを待ち、テオは換気口からもう一度外へ出る。ラヒムの布を巻いた手が最後まで袖を離さない。テオは低く言う。
「戻る。ここで待って」
嘘にしないために、すぐ身を翻す。
コンテナの裏手から廃材置き場へ回ると、雨水と油が混ざった臭いが強くなる。古い鉄板、割れたパレット、使われなくなった配管が山のように積まれている。その奥に、半分潰れた廃材倉庫があった。扉は曲がり、南京錠はかかっていない。テオは体を滑り込ませ、内側から錆びた棚を引いて入口を隠す。
暗闇に目が慣れると、割れた姿見の破片が壁際に立てかけられているのが見えた。作業員の更衣室から捨てられたものらしい。鏡面は汚れ、中央に黒い亀裂が走っている。
胸元の新聞紙が、じわりと熱を持つ。
テオは包みを開く。黒い蝋燭は火もないのに、指先へ熱を伝えている。校門前でジヒョクの囁きに反応した時と同じだ。持っているだけで、自分の中の怒りを嗅ぎつけている。
彼はカッターの刃を短く出した。ここで刻む名前は、労働者ではない。帳簿の写しの下、巡回表の写真にあった責任者名だけを思い出す。警備班長、コ・テシク。現場管理者、ハン・ヨンベ。扉の鍵を持ち、移送車を呼び、登録証を奪った側の名前。
刃が蝋を削るたび、黒い粉が爪の下へ入る。
コ・テシク。
ハン・ヨンベ。
二つの名を刻み終えると、割れた鏡の中で、テオの背後にもう一人のテオが立つ。目だけが澄んだ穴のように冷たい。
「遅い」
影の唇が動く。声は倉庫のどこからでもなく、テオの耳の内側で鳴る。
「二時間しかない。二人の名前だけで足りると思うのか」
「黙ってろ」
「ラヒム。ナルギザ。少年二人。残りの作業員。全員の名前を書けば、線は早く走る。彼らの帳簿はここにある。白蛇の印もついている。救うなら、同じ輪へ載せればいい」
テオの手が止まる。
甘い、と思ってしまった。
労働者たちの名前を刻めば、呪いは彼らを中心にして工場全体へ広がるかもしれない。閉じ込めた側の罪も、登録証を奪った記録も、罰金帳簿も、まとめて引きずり出せるかもしれない。二時間を縮められる。ナルギザと少年二人を、車に乗せられる前に救えるかもしれない。
その考えが一瞬だけ、喉の渇きに水のように染みる。そんな考えを抱いた自分にぞっとしながら、テオは歯を食いしばる。奥歯が痛むほど強く。
「違う」
鏡の影が笑う。
「何が」
「あの人たちは、救う名前だ。縛る名前じゃない」
「縛らなければ救えない時もある」
「お前の言い方で救ったら、次は誰を巻き込んだか分からなくなる」
テオは黒い蝋燭を握りしめる。熱が手のひらを焼く。けれど、指は離さない。
「俺は、あの人たちの名前を書かない」
影の笑みが少し深くなる。
「じゃあ間に合わなかった時、その責任はお前のものだ」
「分かってる」
乾いた声で返すと、鏡の中の影は亀裂の奥へ沈む。濡れた紙をめくる音だけが一度響き、倉庫はまた油と錆の匂いに戻る。
テオは火をつけない。まだだ。蝋燭を新聞で包み直し、工具箱の底にあった錆びた釘抜きと細い鉄棒を拾う。倉庫の外へ出る前に、携帯を開く。電波は弱い。だが地図だけは表示できる。仁川港近くの青少年シェルター。以前、学校の掲示板で見た未成年相談の住所を検索し、画面をスクリーンショットに残す。
コンテナへ戻るまでの数分が長い。巡回灯を避け、鉄屑の陰で息を殺し、フォークリフトの音に紛れて換気口へ滑り込む。中の六人はまだ動いていない。ナルギザがテオを見た瞬間、泣きそうな顔で口元を押さえる。
「今から出る」
テオは声を抑える。
「ラヒム、配管の場所」
ラヒムは床板の隅へ這う。薄いマットをどけると、下に錆びた点検蓋がある。ネジは二本だけ残っていた。テオは拾ってきた鉄棒を差し込み、体重をかける。金属が嫌な音を立てる。全員が凍りつくが、外から反応はない。もう一度押すと、蓋がわずかに浮く。
下から湿った下水の臭いが上がる。
少年の一人が顔をそむける。ラヒムはすぐに首を振る。
「狭い。大きい人、難しい」
「先にナルギザと二人を出す。ラヒムたちは後で」
「君は」
「外の鉄板を開ける」
テオは携帯を少年二人の前に差し出す。画面にはシェルターの住所と電話番号がある。
「ここへ行け。警察に捕まったら、この画面を見せるな。まずシェルターの人に見せる。分かる?」
二人は言葉を失ったまま、うなずく。テオは倉庫で拾った伝票の裏に住所を書き写し、破ってそれぞれに握らせる。ハングルが読めるか分からない。だから地図の駅名と港の方向も簡単に書く。
「名前は言わなくていい。東洋金属から来た、未成年だと言え」
一人の少年が初めて小さく声を出す。
「兄さんは……」
「後で行く」
それがまた嘘にならないよう、テオは点検口へ手をかける。
ナルギザが先に入る。細い肩でも、配管の口に引っかかる。テオとラヒムが無言で支え、少しずつ押し込む。湿った暗闇の中へ彼女の足が消え、次に少年二人が続く。泣き声は出ない。恐怖が声を奪っているのだ。
ラヒムが最後に身を乗り出しかけた時、外で別の音がした。
さっきより近い。砂利を踏む足音ではない。鉄扉の前で、鍵束が乱暴に鳴っている。
テオは点検蓋を半分戻し、ラヒムを壁際へ押す。ナルギザたちはまだ配管の中だ。今扉を開けられれば、全員終わる。
「誰だ」
中の作業員の一人が震える声で言いかけ、ラヒムがその口を塞ぐ。
鍵が差し込まれる音。
一回で開かない。外の男が舌打ちする。次の瞬間、鉄扉が蹴られ、南京錠の金具が壁に激しくぶつかった。
扉が外側へ乱暴に開く。
白い懐中電灯の光が、コンテナの中を横に切った。光の後ろに、分厚い作業服を着た男が立っている。四十代ほど。首が太く、片手に黒いスタンガンを握っている。電極の先で青白い火花が短く跳ねた。
男は扉口に立ったまま、もう片方の手に持った紙を持ち上げる。
テオの写真だった。
校門前か、月影堂へ向かう途中か。粗い画像だが、目の下の影も、肩の裂けた制服も映っている。
「ユン・テオ」
男は写真とテオの顔を見比べ、口角を上げる。
「警備班長のコ・テシクだ。探す手間が省けたな」
テオの背中に冷たい汗が落ちる。まだ蝋燭には火をつけていない。ナルギザたちは配管の途中にいる。逃げ道は、目の前の男の足元で塞がれた。
コ・テシクはスタンガンを一歩持ち上げる。
「学生が一人でこんな場所まで来るなんて、普通は誰も思わない。けどな、親切なガキがいたんだよ。お前が工場の裏から動くって、写真まで付けて教えてくれた」
写真の端に、別の小さな画像が印刷されていた。唇の赤い傷。深い目の下の影。歪んだ笑い。
カン・ジヒョク。
テオの喉の奥で、黒い熱が音もなく燃え上がった。
黒い蝋燭にいじめっ子の名前を刻んだ夜、俺は裏社会の鏡王になった
24話 鉄扉前の黒い蝋燭と罠
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