携帯電話の画面は、動画が終わっても黒くならない。
暗い階段の踊り場で、ジヒョクたちの笑い声がもう一度小さく震える。テオは再生ボタンに触れていない。それなのに耳の奥では、祖母の声をまねる太い声が繰り返されている。
「学生さん、薬がないのう」
ボクスンは薬を飲み終えると、床の端に座ったまま眠りかけている。白い髪が頬にかかり、薄いカーディガンの片袖だけが肘まで落ちていた。目の前の老人が自分の祖母だと、テオは知っている。だが画面の中の奴らは、その弱った声を玩具にした。
携帯電話を握る指に力が入る。壊してしまえば、この声は止まる。けれど壊しても、あいつらは生きている。明日の教室で笑い、職員室の前で待ち、相談室の紙へ自分の名前を書かせようとする。
カン・ジヒョクの喉に指をかける感触が、やけに鮮明に浮かぶ。どのくらい押せば息が詰まるのか。ドンスの腕をどう避ければいいのか。ミンギュの携帯を最初に叩き落とすべきか。そんなことまで順番に並ぶ。
テオはそれを怖いと思わない。
怖いのは、そのことだった。
ボクスンが寝息を立て始めても、テオはしばらく動けない。床材の隙間へ戻した予備の薬袋を押し込み、携帯電話を制服の内ポケットへ入れる。画面を消しても、胸の奥に立ち上がった形は消えない。殺意という言葉だけなら、遠いニュースの中にあると思っていた。だが今は、手の中に握れるほど近い。
その日の夜、テオはハンビット工業高校の最後列に座っている。
教室の蛍光灯は白く、黒板には就職実習の連絡事項が並んでいる。オ・ミョンシクは出席簿を見ながら、明日の面談に遅れるなと言う。テオの机の上には教科書が開かれているが、文字は一つも頭に入らない。
ジヒョクは斜め前の席で退屈そうに携帯をいじっている。時々、肩越しにこちらを見る。片方の口角だけを上げる。テオの中で、明け方の動画がまた再生される。
『今、立てばいい』
心の中の声が低く言う。椅子を蹴り、斜め前の背中へ飛びかかり、喉を押さえる。周りが叫んでも、手を離さなければいい。だがその先にあるものは、祖母の薬袋でも家賃でもない。手錠と、置き去りにされたボクスンだけだ。
テオは立ち上がる。
オ・ミョンシクが顔を上げる。
「ユン、どこへ行く」
「トイレです」
短く答え、返事を待たずに教室を出る。廊下に出た瞬間、息が少しだけ入る。背中で誰かが笑う声がしたが、振り返らない。階段を下り、昇降口を抜ける。校門の守衛室には誰もいない。小雨が降っている。
仁川駅の方へ歩き出すと、夜の道路は濡れた看板の光を引き延ばしている。バスに乗る金は惜しい。テオは歩く。靴の中へ雨水が染み、作業後の足に鈍い痛みが広がる。行く場所は決めていない。ただ学校へ戻れば、ジヒョクの背中がまた見える。あの喉が見える。
それだけはまずい。
仁川駅裏の路地は、昼よりも狭く感じる。シャッターの閉じた店、割れたプラスチック箱、壁に貼られた古い貸し部屋の紙。雨は強くないのに、建物の隙間から落ちる水だけが音を立てている。
テオは地下道へ続く階段の前で足を止める。駅の明るい地下通路ではない。廃業した店へ荷物を下ろすための、半分塞がれたような階段だ。手すりは赤く錆び、下の踊り場には黒い雨水がたまっている。
その奥に、鉄扉がある。
赤錆びた扉は、壁と同じくらい古く見える。鎖が二重に巻かれ、南京錠がぶら下がっている。だが隙間から冷たい湿気が流れてくる。テオはなぜか、その匂いを知っている気がする。
『あそこにはね、名前を食べる占い処があったんだよ』
幼い頃、ボクスンがそう言ったことがある。
市場で買った安い飴を舐めながら、駅裏の道を歩いていた。まだボクスンの足は今よりしっかりしていて、テオの手を引く力も強かった。彼女は階段の方を見て、思い出したように笑った。
『名前を食べられたら、借金も病気も、泣いたことも忘れるんだって。怖いねえ。だから近づいちゃだめだよ』
テオは子どもだった。占い処という言葉より、食べるという言葉だけが怖くて、祖母の手を強く握った。ボクスンはそのあと、飴が歯にくっつくと困ったように笑った。
今のボクスンに、その記憶はほとんど残っていないはずだ。薬の場所も、テオの顔も、昼と夜の区別も曖昧になる。それでも、忘れかけた人の口からこぼれたその言葉だけが、濡れた階段の下で妙にはっきり蘇る。
名前を食べる占い処。
普通なら、ただの昔話だ。だが普通の場所は、もうテオを助けない。学校も、会社も、警察も、全部相手の言葉を先に受け取っている。なら、地図の外にある穴へ降りるしかない。
テオは階段を下りる。雨水が靴底で跳ねる。鉄扉の前に立つと、鎖の隙間は思ったより広い。子どもなら通れる。痩せた十七歳なら、身を細めれば通れる。
「馬鹿みたいだ」
自分に向けてつぶやく声は低い。だが足は戻らない。鞄を先に押し込み、体を横にする。錆びた鎖が制服の肩を引っかき、鉄扉の角が脇腹を擦る。息を吐き切って、無理やり体をねじ込む。背中で布が裂ける音がした。
扉の向こうは暗い。
階段がさらに下へ続いている。携帯電話のライトをつけると、濡れたコンクリートの壁に古いハングルの広告跡が浮かぶ。美容室、洋服直し、安い食堂。どれも色褪せ、誰かの名前だけが黒く塗りつぶされている。
テオは一段ずつ下りる。地上の車の音が遠ざかり、代わりに水の滴る音と、自分の呼吸だけが残る。途中で何度も戻ろうと思う。だが戻れば、教室の最後列か、祖母の泣き顔か、合意書の白い署名欄しかない。
階段の底で、通路が横へ伸びていた。
そこは商店街だった。正確には、商店街だったものだ。低い天井、曲がった蛍光灯、錆びたシャッター。看板の文字は剥がれ、床には乾いた泥と古い紙くずが積もっている。どこかで電気が生きているのか、奥の方で一本だけ蛍光灯が弱く点滅していた。
テオは息を殺して進む。店のガラスに自分の顔が歪んで映る。目の下は黒く、濡れた髪が額に張りつき、知らない少年のように見える。動画を見た時から胸の中にある形が、その映り込みの奥でまだ立っている。
商店街の一番奥に、低い木枠の入口がある。
傾いた看板が残っていた。墨で書かれた文字は半分剥げているが、かろうじて読める。
月影堂(ウォリョンダン)。
テオは声に出さない。読んだ瞬間、舌の上に湿った灰の味が広がる。入口には布の暖簾が垂れていた形跡だけがあり、中は真っ暗だった。だが店先の棚には、埃をかぶった黒い蝋燭が何本も並んでいる。
普通の蝋燭ではない。細く、長く、表面が油を吸った紙のように鈍く光る。一本一本に、削られた跡がある。名前を書いた跡にも見えるし、消そうとして傷つけた跡にも見える。
空気には古い香の匂いが残っていた。寺でも葬式場でもない、もっと湿った匂いだ。雨水と黴と、誰かが長い間しまい込んだ紙の匂いが混ざっている。テオは喉の奥が詰まるのを感じる。
『近づいちゃだめだよ』
ボクスンの声が、記憶の中でやわらかく警告する。
だが明け方の動画の中で、同じ声は笑いものにされた。守るべき記憶まで踏みつけられたのなら、もう警告だけを抱えて帰ることはできない。
テオは棚へ手を伸ばす。
指先が黒い蝋燭に触れた瞬間、店の奥で何かが動いた。
ぎい、と重い音がする。
木ではない。金属でもない。もっと硬くて冷たいものを、爪でゆっくり引っかくような音だ。テオの指は蝋燭をつかんだまま固まる。奥は閉まっている。誰もいるはずがない。シャッターも扉も、外から錆と埃で封じられていた。
それなのに、音はもう一度響く。
ぎい、ぎい。
鏡の表面を、内側から誰かが引っかいているような音だった。しかもその音に混じって、紙を濡らしたような低い囁きが、テオの名前の最初の音をゆっくりなぞり始めていた。
黒い蝋燭にいじめっ子の名前を刻んだ夜、俺は裏社会の鏡王になった
8話 黒い蝋燭に浮かぶ名
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