消印の音が旧郵便局の天井を震わせたあとも、携帯の画面では黒い同期表示が回り続けていた。
ナギョンは床に座り込んだまま、消えた予定一覧を見つめた。精密検査、採血、画像検査、保護者面談、入院費確認。ほんの数分前まで母の命を細い糸でつないでいた文字が、跡形もない。画面の下にはただ、『該当期間の診療予定はありません』という乾いた一行だけが残っていた。
「そんなはず、ない……」
声にしても、予定は戻らなかった。
『未登録の医療記録を同期中』という表示は黒く濁り、途中で止まった。まるで、これ以上読ませるには別の記憶を差し出せと言っているようだった。ナギョンは震える手で膝の上の便箋を拾った。二十三歳の自分の字。ウジンを電話で突き放したところで終わっていると思った手紙の裏側に、さっきまではなかった薄い文字がにじみ始めていた。
まだ続きがあった。
ナギョンは息を押し殺して、便箋を裏返した。
『電話を切ったあと、全然眠れなかった。お母さんは痛み止めのせいで眠っていたけど、私は病室の椅子でずっと携帯を握っていた。ウジンからもう一度電話が来る気がした。来てほしいのに、来たらまた傷つくと思って、電源を切った』
若い自分の文は、途中で何度も乱れていた。
『朝になって、会計へ行った。封筒のお金で検査の予約を確定できるのか聞こうと思った。でも廊下の椅子にウジンが座っていた』
ナギョンの指先が止まった。
紙の文字の向こうに、見知らぬ病院の廊下が立ち上がる。白い蛍光灯。消毒薬の匂い。まだ乾ききらない雨の跡を靴底に残した背の高い青年が、壁際の長椅子から立ち上がる。額にかかった髪は疲れで乱れ、痩せた頬に昨夜より濃い影が落ちていた。
ウジンだった。
『ウジンは私を見るなり、何か言おうとした。たぶん、昨夜の電話のこと。お金のこと。どこにいたのか。全部、言おうとしていたんだと思う。でも私は聞けなかった。聞いたら、待ってしまうから。未来の私が待つなと言ったのに、また信じてしまうから』
ナギョンの喉が熱く詰まった。
『私は鞄から茶色い封筒を出した。病室の椅子に置いてあったお金。全部そのまま入れて、ウジンの胸に押しつけた。ありがとうも、ごめんも言わなかった。ただ、二度と関わらないでと言った。お母さんにも、私にも、もう近づかないでって』
便箋のインクが、そこで大きくにじんでいた。
ナギョンの頭の中に、若い自分の硬い声が響いた。
『これ、返す。私たちに必要ない』
廊下の向こうで看護師が台車を押していく。車輪の音だけがやけに大きい。ウジンは封筒を胸に受け止めたまま、しばらく動かなかった。若いナギョンはその沈黙が怖くて、先に言葉を重ねる。
『もうやめて。あなたが何をしてくれても、最後に来ないなら同じだから』
それは現在のナギョンが書いた二文の、もっと残酷な形だった。
ウジンの唇がかすかに開いた。だが声は出なかった。説明すれば巻き込むと思ったのか。すでに誰かに脅されていたのか。それとも、ナギョンがあまりに固く拒んでいたから、これ以上踏み込む資格がないと思ったのか。
彼は何も言えなかった。
『ウジンは封筒を見下ろして、それから私の手を取った。怒ると思った。責めると思った。でも違った。彼は私の指を開かせて、封筒をもう一度、私の手の中へ握らせた』
ナギョンは便箋を持つ手に力を失った。
『その金は返すな。検査に使え』
記憶の中のウジンの声は低く、かすれていた。
『俺のことは、もういい』
たったそれだけ言って、彼は背を向けた。若いナギョンは追いかけなかった。追いかけて、どこに行くのか、なぜ震えているのか、誰に殴られたのか、聞くべきだった。それでも足は動かなかった。未来の自分の葉書が、胸の奥で命令のように鳴っていた。
待つな。彼は結局、来ない。
『私はその場で泣かなかった。泣いたら、間違っていると認めることになる気がした。ウジンが曲がり角を曲がって見えなくなるまで、封筒を握って立っていた。それから会計窓口の前で、誰にも聞こえないように泣いた。未来の私、私、本当にこれでお母さんを助けられるの? それとも、私はただ怖くて、先に捨てただけなの?』
手紙はそこで終わっていた。
ナギョンはしばらく、便箋の最後の行から目を離せなかった。旧郵便局の空気が重く沈む。床に落ちた自分の二通目の封筒は、まだそこにある。過去へ届かなかった指示書。間に合わなかった冷静さ。代わりに届いたのは、十年前の自分がウジンの最後の説明を奪ったという記録だけだった。
「私が……言わせなかった」
言葉にした瞬間、携帯が熱を持ったように震えた。
黒い同期表示が一気に進み、画面全体が白く弾けた。ナギョンは思わず目を閉じた。次に開いた時、彼女は旧郵便局の床ではなく、別の廊下に立っていた。
ロースクールの面接会場だった。
もちろん現実ではない。だが足元の硬い床の冷たさ、壁に貼られた受験番号表、スーツの袖口を握りしめる二十三歳の自分の汗まで、あまりに生々しかった。廊下の向こうで名前を呼ぶ係員の声がする。合格すれば人生が変わると信じていた日のはずだった。
携帯電話が震えた。
画面にはハンビッ医院の番号。若いナギョンはためらってから廊下の隅へ下がり、通話ボタンを押した。耳に当てた瞬間、医師の低い声が流れ込む。
検査の時期を逃したこと。画像上、もっと早く確認すべき所見があったこと。手術の選択肢は残っているが、状態は楽観できないこと。保護者として、今すぐ来られるかということ。
若いナギョンは返事をしようとした。だが声が出なかった。面接会場の扉の向こうでは、次の受験者が呼ばれている。人生の入口だと思っていた場所で、母の時間が閉じていく音を聞いている。
『今、行きます』
そう言えばよかった。
けれど記憶の中の若いナギョンは、口元を手で押さえたまま、声を殺して泣いていた。泣きながら、係員に見えないよう壁の角へ体を寄せる。床に落ちた涙を、靴の先で隠す。世界が崩れているのに、廊下にはほかの受験生の小さな咳払いと、ページをめくる音だけが続いていた。
現在のナギョンは、その記憶の内側で息を失った。
これは自分の人生ではない。そう叫びたかった。母はもっと長くそばにいた。ロースクールに入ったあとも、遅く帰る娘に粥を温め、弁護士試験の前夜に余計なことを言わず、ただ洗濯物を畳んでくれた。そんな記憶が確かにある。
だが新しい記憶は、古い記憶の上に静かに覆いかぶさってきた。面接会場の廊下。病院からの電話。手術同意書。白い病室。見舞い客の少ない午後。母の痩せた手。
やめて、とナギョンは心の中で叫んだ。
その瞬間、旧郵便局の床の冷たさが戻った。彼女は便箋を握ったまま、荒く息を吸った。携帯の画面には、未登録だった医療記録の同期が完了したという表示が出ていた。詳細を開く勇気はなかった。
代わりに、自宅の見守りカメラが勝手に起動した。
リビングの映像。机の上。額縁。
ロースクール合格写真ではなかった。そこに映っていたのは、三人で撮ったはずの家族写真だった。ナギョンと母、そして若い頃の父が少し離れて立っている、古い写真。昨日まで、母は淡い色のブラウスを着て、ぎこちなく笑っていた。
映像の中で、その母の顔に黒い線が落ちた。
最初は画面の乱れに見えた。だが違った。細い黒い布のようなものが、写真の上から斜めにかかっていく。笑っていた母の顔の横に、小さな白い花がにじむ。額縁の下に置いた覚えのない香炉が現れ、写真全体の色が冷たく沈んだ。
家族写真が、遺影へ変わっていく。
「お母さん……?」
ナギョンがつぶやいた瞬間、カメラ映像の中の黒いリボンが完全に結ばれた。
そして彼女の頭の中で、知らない葬儀場の照明が、ぱっと白く灯った。
受取人、10年前の私へ。どうか一人で消えようとする彼の手を離さないで
13話 遺影になった家族写真
次の話