封筒の裏に書かれた一文を見た瞬間、ナギョンは指先から力が抜けた。
『私がこれを読まなかったら、ウジンは消える』
黒いインクは乾いていた。だが、その文字だけが今も息をしているように見えた。角の丸い癖、急いだ時に少し右へ流れる横線、最後の「る」を小さく閉じる書き方。三十三歳のナギョンが仕事で使う整った署名ではない。講義ノートや母の薬代を計算した紙に残っていた、二十三歳の自分の字だった。
旧郵便局の中は朝なのに薄暗く、埃を含んだ光が仕分け棚の隙間で止まっている。外では作業員の靴音がときどき鳴り、金属パイプがぶつかる乾いた音が聞こえた。三日後には壊される建物だと、その音だけが思い出させた。
「……開けなきゃ」
声にしたのは、自分を動かすためだった。
封は古い糊で閉じられていたが、強く貼りついてはいなかった。爪を差し込むと、紙の繊維が小さく裂けた。十年前の自分の何かを、今の自分が乱暴に破っている気がして、ナギョンは息を詰めた。
中から出てきたのは、折り目のついた便箋一枚だった。薄い罫線の上に、迷いながら置かれた文字が並んでいる。書き出しには日付があった。
二〇一三年十一月十六日、午前一時二十七分。
その時刻を見た瞬間、昨夜の葉書が本当に十年前へ落ちたのだと悟った。警告を書いた夜の向こう側で、二十三歳の自分は眠れずにこれを書いていた。十年を隔てた二つの夜が、この便箋一枚で重なっている。
最初の一行は、乱れていた。
『私は本当に、ウジンに捨てられるの?』
ナギョンの息が詰まった。
若い自分は断定していなかった。怒ってもいなかった。ただ、未来の自分から届いた二文を信じたいのか、信じたくないのか、その狭間で震えていた。『彼は結局、来ない』。たったそれだけの警告を受け取った二十三歳のナギョンは、まだウジンを疑いきれていなかった。
『あなたが誰なのか、わかる気がする。字が私の字に似ているから。悪いいたずらなら許さない。でも、もし本当に未来の私なら、教えて。ウジンは本当に私を捨てるの? 昨日、あの人はお母さんの病院代を払ってくれた。そんな人が、何も言わずに消えるの?』
便箋の端を持つ指が震えた。
病院代。
白く欠けていた領収書。メッセンジャーに一行だけ残っていた『病院代のことは心配するな』。母の入院手続き完了の予定。すべてが一気につながった。
ウジンだった。
あの日、会計窓口の前で母が笑った、その前に金を出したのは自分ではなかった。親戚でも、保険でも、病院の処理でもない。消える直前まで、ナギョンの知らないところで母の病院代を払ったのは、チョン・ウジンだった。
「どうして……」
問いはひどく小さかった。
便箋には、二十三歳のナギョンの混乱が続いていた。ハンビッ医院の会計窓口で、受付職員から保証金はもう支払われていると言われたこと。名前を尋ねると、職員が少し迷ってから、若い男性が現金で置いていったと答えたこと。その直後、ウジンから短いメッセージが来たこと。
『病院代のことは心配するな』
同じ一文が、便箋の中にもあった。
ナギョンは膝に力が入らなくなり、仕分け台に片手をついた。古い木材のざらつきが手のひらに食い込む。痛みがなければ、そのまま床へ崩れていたかもしれない。
十年間、彼を恨んできた。
旧郵便局の前で夜明けまで待った自分。濡れた赤いマフラー。鳴らない携帯電話。既読にならないメッセージ。朝のバスの冷たい窓。ナギョンはそれらを何度も取り出し、チョン・ウジンは自分を捨てたのだと結論を塗り重ねた。その結論があったから、泣かずに済んだ。怒れば立てた。理由を探さずに済んだ。
だが便箋の上の若い字は、その土台を一行ずつ崩していった。
『私は怒っていいのかわからない。だって、お母さんのことでいちばん困っていた時、ウジンは何も聞かずに助けてくれた。私が見栄を張って、大丈夫だと言い続けたのに、全部わかっていたみたいだった。だから怖い。未来の私が、待たないでと言うなら、きっと何かが起きる。でも、あの人が私を捨てるなんて、まだ信じられない』
ナギョンは目を閉じた。
昨日、自分は過去の自分へ何を書いたのか。
『チョン・ウジンを待たないで。彼は結局、来ない』。
そこには、病院代のことも、青い傘のことも、会計窓口の前に置かれた現金のこともなかった。十年分の恨みだけを短く削り出し、過去へ投げ込んだ。事実だと思っていた。慰めだと思っていた。待たずに済めば、あの夜の自分だけでも救えると思った。
けれど、もし違っていたら。
ウジンが来なかったのではなく、来られなかったのだとしたら。
胸の奥で、長く凍っていた怒りが音を立てずに割れた。中から出てきたのは許しではなかった。もっと重いものだった。自分が早まっていたかもしれないという恐怖。彼の沈黙に別の事情があったのに、最初に送った言葉で二十三歳の自分を突き放す方向へ押したかもしれないという、自分自身への嫌悪だった。
「私は……何を送ったの」
便箋の最後には、短い追伸があった。
『もしこれを読んでいるのが私なら、お願い。私を憎まないで。私はまだ、ウジンを待つかどうか決められない。未来の私の言葉を信じたい。でも、昨日のあの人の顔を思い出すと、どうしても、捨てられる人の顔には見えない』
その下で、文字は一度途切れていた。少し間を置いたように、インクの濃さが変わっている。
『それでも、もし私がこの手紙を読まなかったら、きっと私はただ待つ。そしてウジンは消える。だから、私はこれを私に残す。怖くても、確かめるために』
ナギョンは便箋を胸に押し当てた。息を吸おうとしても、吸えなかった。
過去へ届いた。その事実は、本来なら世界がひっくり返るほどの衝撃であるはずだった。黒い郵便受けは本物で、十年前の自分は確かに返事をした。理性はそう叫んでいた。
だが今のナギョンを揺さぶっているのは、時間の奇跡ではなかった。
ウジンが、消える直前まで自分を助けていた。
それだけだった。
十年間、彼の不在を恨むことで守ってきた自分の輪郭が、急に頼りなくなった。怒りは便利だった。捨てられた女でいれば、相手の事情を考えずに済んだ。自分がどれほど彼を待ち、それでも忘れられなかったのかを、誰にも説明しなくてよかった。
けれど彼が本当に捨てたのではないなら。
ナギョンは仕分け台の上に置いたスクリーンショットを見た。印刷された一文が、もう別の意味に見える。命令のような短さは冷たさではなかった。自分の名前を残せない誰かの、ぎりぎりの優しさだったのかもしれない。
「ウジン……」
十年ぶりに呼んだ名前は、責めるための音にならなかった。
外で作業員の声が近づいた。ナギョンははっとして、便箋を折り直した。折り目を合わせる手は不器用だった。封筒へ戻そうとした時、白い紙の角が郵便受けの内側に軽く触れた。
かさり、と別の音がした。
ナギョンは動きを止めた。郵便受けの中をのぞき込む。さっきまで空だったはずの内側の壁、その錆びた継ぎ目に、何か薄いものが引っかかっていた。便箋が触れた拍子に剥がれたのか、それはゆっくりと揺れ、次の瞬間、床へ落ちた。
黄ばんだメモだった。
古い粘着紙のように四隅が丸まり、端は茶色く焼けている。誰かの筆跡は水ににじんでいたが、中央の数行だけは読めた。ナギョンは膝をつき、床の埃ごとその紙を拾った。
『一日に一通』
最初の行を読んだ瞬間、背筋が冷たくなった。
『受け取った者が答えなければ、次の交信は開かれない』
ナギョンの手から、封筒が滑り落ちかけた。
これは偶然に残った注意書きではない。黒い郵便受けの規則だった。誰かが以前にこの場所で同じものを使い、同じ恐怖にたどり着き、後から来る者のために書き残した警告。
ナギョンは最後の行を読もうとした。インクは大きくにじんでいたが、かろうじて文字の形が残っている。
『返事のない手紙は、過去を閉じる』
その時、郵便局の外で、撤去用の電動工具が初めて唸りを上げた。壁の向こうで赤煉瓦が震え、黒い郵便受けの中から、まだ押されていない消印のような低い音が一度だけ鳴った。
受取人、10年前の私へ。どうか一人で消えようとする彼の手を離さないで
7話 一日一通の規則と赤い痕
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