「じゃあ次は、誰の声で呼ぼうか」
扉の向こうで息を吸う音がして、ソユンの肩が硬く跳ねた。ヘジュンは妹の耳を両手で塞いだまま、顔だけをドユンへ向けた。ドユンは床に座り込んでいた。自分の声を奪われた男は、喉を押さえたまま何度も口を開き、何も出ないことを確かめるたびに顔を歪めた。
ミンソが彼の手首をつかみ、スマートフォンを指さした。話すな。書け。声の代わりになるものを、紙と画面に逃がせ。
ドユンは震える指でメモ帳を開いた。さっき打った『声が出ない』の下へ、同じ言葉を何度も打ちそうになり、削除し、また打ち直した。画面に文字が乱れた。
『ほんとに出ない』
『息はある』
『声だけない』
『俺じゃないのが外でしゃべってる』
最後の一行で、指が滑って画面を叩いた。乾いた音だけが小屋に落ちる。彼は泣き声さえ出せなかった。頬を伝う涙も、喉の奥で暴れる悲鳴も、すべて音にならず、ただ顔を濡らすだけだった。
外のドユンが、すぐに同じ言葉を読んだ。
「ほんとに出ない。息はある。声だけない。俺じゃないのが外でしゃべってる」
読み上げ方まで、以前のドユンそのものだった。語尾を少し上げる癖。自分を軽く見せるために笑いを混ぜる間。怖いものを怖いと言う直前、わざと明るく跳ねる調子。ヘジュンはそこで気づいた。
さっきまで外の声は、ドユンの情報を知っているだけだった。本人の声色をまね、記憶を暴いていた。だが今は違う。怒鳴った瞬間の罵声だけでなく、ドユンが普段どんなふうに息を継ぎ、どんな言い回しで誤魔化し、どの語尾で逃げるのかまで、丸ごと吸い込んでいた。
外にいるものは、声帯を奪ったのではない。声の中に刻まれたその人間の使い方まで、学んだのだ。
ヘジュンはソユンの耳から片手を離し、壁の刻字を叩いた。『外から自分の声が聞こえても、答えるな。』木の溝に溜まった埃が指先へつく。警告文は短すぎた。だが短いからこそ、生き残った者が最後に残せた規則なのだとわかった。
ミンソも同じ場所を見ていた。黒い髪を後ろで結んだ彼女の顔は、いつもよりさらに硬かった。彼女はメモ帳を奪うように開き、大きな字で書いた。
『答えた瞬間、声が外へ移る』
『声の中の記憶も使われる』
『否定も反論も返事』
『全員、口を開かない』
それを一人ずつに見せる。ヘジュンは頷き、ソユンも涙で滲んだ目のまま頷いた。ジェヒは文面を読んでから、静かに床へ視線を落とした。
彼女だけは、扉ではなく小屋の中の温度を確かめていた。手袋を外し、壁、窓枠、ストーブの横、床板へ順番に手を近づける。触れずに、肌で熱を測るような慎重さだった。外は霧で冷えているはずなのに、扉の近くはぬるく、ストーブの周囲はさらに重い温かさを帯びている。だが一番異様なのは、寝袋が円を描いて置かれた中央だった。
床板の隙間から、薬品臭が細く上がっていた。消毒液にも酸にも似た、鼻の奥を焼く臭い。ジェヒはそこへ顔を寄せないまま、短く眉をひそめた。彼女はメモ帳に小屋の簡単な図を描き、扉、裏口、窓、ストーブ、床の中央へ印をつけた。
『外は霧で塞がれている』
『裏口は動かない』
『薬品臭は下から強い』
『空気の流れが床中央へ向かっている』
ヘジュンはその図を見て、喉が鳴りそうになるのを必死に殺した。逃げ道を探しているはずなのに、線は出口ではなく床下へ集まっている。まるで小屋全体が、下にある何かへ息を送っているようだった。
そのとき、扉の外で額を打ちつける音が止まった。
沈黙は、音よりも悪かった。全員の動きが止まる。ロープはまだ張っている。カラビナも柱に食い込んでいる。だが扉の向こうの気配だけが、すっと横へ滑った。
「ヘジュンさんは、妹の耳を塞いで左の隅」
奪われたドユンの声が言った。
ヘジュンの手に力が入った。
「ソユンは目を閉じてる。唇、噛みすぎ。血が出るぞ」
ソユンのまぶたが震えた。ヘジュンは慌てて首を横に振る。反応するな。口を開くな。だが声は彼女のすぐそばで見ているように続いた。
「ミンソさんは俺の肩を押さえてる。強いなあ。救助隊って、そうやって黙らせるんですか」
ミンソの指がわずかに動いた。ドユンはその手にしがみつき、首を激しく横に振る。自分の声が彼女を挑発していることへの恐怖と恥が、音のない表情に浮かんだ。
「ジェヒさんは床を見てる。臭いの出どころ、気づいた? 言わなくてもいいよ。どうせ聞こえてるから」
ジェヒの顔から血の気が引いた。彼女はメモ帳を胸へ寄せ、書きかけの図を隠す。だが外の声は笑った。
「隠しても無駄。そこ、ストーブより濃いんだろ。下から来てるんだろ。ねえ、そういうの、調査報告に書くタイプ?」
小屋の中にいた誰も、声を出さなかった。それでも外のものは、位置も、動きも、考えかけたことさえ拾っている。ヘジュンはドユンを見た。彼の目が小さく揺れている。外が見ているのではない。ドユンの中に残った何かを通して、こちらを読んでいるのかもしれない。
ドユンはそれに気づいたように、スマートフォンを床へ伏せた。目を閉じ、耳を塞ぎ、頭を強く振る。だが外の声は低く笑った。
「閉じてもだめだよ。俺の声、もう中にあるって言っただろ」
救急箱の中の無線機が、ざり、と小さく鳴った。返事をする代わりに喉の奥を鳴らしたようなノイズだった。ヘジュンは反射的に箱を見た。ジェヒも同じ方向を見る。ミンソはすぐに手で制した。触るな。
外のドユンは、急に声を落とした。
「遠くへ行く必要なんかないんだよ」
それまでの軽さが消えた。動画のために作った抑揚も、怯えをごまかす明るさもない。地面の下から這い上がるような、湿って細い声だった。ドユンの声を使っているのに、ドユンではないものが、初めて皮を脱いだ。
「扉を開けなくてもいい。窓を割らなくてもいい。裏口もいらない。ほら、みんなずっと上ばかり見てる」
床板の下で、何かがこつんと鳴った。
全員の視線が落ちる。寝袋の円の中心。古い布と埃に隠れた床板の継ぎ目が、さっきより黒く見えた。ジェヒの描いた図の線が、そこへ集まっている。
外の声が、蛇のように低く囁いた。
「床の下に、もう一つの口があるから」
次の瞬間、円の中心の床板が内側から息を吸うように沈み、細い隙間の奥で、濡れた舌が木をなめる音がした。
外から自分の声が聞こえても答えるな
18話 床下から這い上がる爪音
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