その声で、ドギョムの中の地図が一枚ひっくり返る。
七号室の自販機に飲まれた二十五セント。道の向こうの白い蛍光灯。安いコーラの缶を一本買って戻るだけの夜。すべてが、開いたトランクの黄色い灯りの前で止まる。
ドギョムは店の正面へは回らない。給油機の影を抜け、建物の横の洗車機跡へ入る。錆びたレールに雨水が溜まり、足音を吸う。若い店員は店内でスマートフォンを見ている。こちらには気づかない。
また鈍い音がする。
車庫裏の駐車スペースに、保安官代理が二人いる。昼に学校前で笑っていた男と、もう一人、首の太い男だ。どちらもカーキ色のシャツを着て、星形バッジを雨に濡らしている。
ミゲルはコンクリートの上に片膝をついている。通学かばんは開いたトランクの縁に引っ掛かり、中身のノートが雨水へ落ちている。右手は胸の下に押し込まれ、青黒い痣がさらに広がって見える。
「やめろ……俺は何もしてない」
少年の声は割れている。昼の校門で聞いた低い怒りは、まだ芯だけ残っている。
細身の保安官代理が笑う。
「何もしてない奴は、夜中にガソリンスタンドの裏で何してる」
「姉さんを返せって言っただけだ」
「それが問題なんだよ、ミゲル」
首の太い男が少年の背中を踏むように膝を入れる。肋骨のあたりを押さえつける位置だ。息を奪う角度を知っている。
ドギョムは壁際の影に立つ。右手には買ったばかりのコーラの缶がある。冷えたアルミが掌の熱を奪う。左手は外套のポケットに入っている。指先に、自販機から戻らなかったはずの二十五セント硬貨が一枚触れる。さっき返却口を叩いたとき、別の硬貨がポケットの底から出てきたものだ。
頭は数える。
よそ者。身分証なし。名前のない領収書。朝には乗れるかもしれない貨物路線。保安官代理二人。腰の拳銃。無線機。店内には通報ボタンを知る若い店員。こちらが動けば、町は一晩で敵になる。
今ならまだ、通り過ぎられる。
雨音が屋根の端で細く跳ねる。ドギョムは動かない。
細身の男が手袋をはめた手で、小さなビニール袋を取り出す。手のひらほどの大きさ。中には茶色がかった錠剤が数粒と、白い粉のついた小袋が見える。用意してきたものだ。
「ポケットを見せろ」
「嫌だ」
「嫌だってよ」
細身の男が笑い、少年の上着のポケットへビニール袋を押し込む。乱暴ではない。慣れた手つきだ。証拠を入れる手つきに、ためらいがない。
「窃盗に薬物所持なら、一年くらい軽いな」
「俺のじゃない!」
「全員そう言う」
首の太い男が無線機を取り、肩のマイクへ口を寄せる。
「十七歳、アルマの弟、確保。場所は東側スタンド裏。暴れてる」
アルマ。
名前が雨の中で短く光る。昼、ミゲルは「姉さんを返せ」と言った。返すも何もない。町は返すつもりのないものを、最初から家族と呼ばせておく。
無線機の向こうで、短いノイズが返る。言葉は聞き取れない。だが首の太い男の口角が上がる。
「了解。センター案件に上げる」
ミゲルが顔を上げる。唇が切れ、血と雨が顎へ流れている。
「姉さんはリハビリじゃない! あそこに捕まってるんだ! アルマは何もしてない! 母さんもそうだった!」
細身の男の笑みが、ほんの少し薄くなる。
「母さんの話まで始めたか」
「返せよ。返せ!」
「声が大きい」
首の太い男の膝がさらに深く入る。ミゲルの息が潰れる。コンクリートの上で指が引っかき、爪の先に泥が入る。
ドギョムの視線は二人の手を見る。拳銃の位置。無線機の位置。車のトランクの開き方。街灯は駐車スペースの真上に一つ。古い笠に雨粒が付着し、黄色い光を弱く広げている。割れば、この裏手は一瞬で闇になる。
一瞬。
足りるか。
足りる。
だが、足りることと、やることは違う。
『一晩だけだ』
その言葉はまだ胸の奥にある。硬い。濡れても消えない。彼はその言葉だけで、広場のトミーを見送った。妻が濡れたタイルに崩れ、処方箋がベンチの下へ落ちるのを見た。自分は通り過ぎる人間だと決めた。
細身の男がしゃがむ。ミゲルの顔を覗き込む。
「姉さんに会いたいか」
ミゲルの目が揺れる。
「会わせろ」
「態度を覚えたらな」
細身の男はミゲルの右手を取る。青黒く腫れた手だ。昼に見た痣より悪い。誰かがすでに一度、そこを狙っている。
「この手で唾を吐いたか?」
「唾は口だろ」
少年は息もできないくせに言い返す。
首の太い男が短く笑う。
「まだ元気だ」
細身の男はミゲルの右手の人差し指をつかむ。ゆっくりと、背中側へ反らせる。
最初、ミゲルは声を出さない。歯を食いしばり、首の筋だけが浮く。雨水の溜まったコンクリートに、彼の膝が震えて輪を作る。
「やめろ」
それはミゲルの声ではない。ドギョムの内側で鳴った声だ。口からは出ていない。
細身の男は笑っている。
「大丈夫だ。折れたって学校には行ける。姉さんを心配する時間も増える」
指がさらに曲がる。
ミゲルの悲鳴が、車庫裏の壁にぶつかって裂ける。
その声は、雨より鋭い。ガラス片のように夜を切る。店内の若い店員が顔を上げるほどだ。だがすぐ雑誌へ目を落とす。聞こえなかったことにする。町ではそれが生き残る作法だ。
ドギョムの手の中で、コーラの缶が小さくへこむ。アルミの鳴る音が、思ったより大きい。
保安官代理二人が同時に顔を上げる。
「誰だ」
細身の男の手は、まだミゲルの指を離していない。首の太い男の右手が拳銃へ落ちる前に、半分だけ止まる。闇の奥までは見えないらしい。
ドギョムは一歩も出ない。光の外にいる。雨と壁の影が、彼の肩を隠している。
頭は最後の計算を出す。
通り過ぎれば、明日の朝には町を出られるかもしれない。誰も彼の名を知らない。誰も彼を探さない。ミゲルは薬物所持で消される。アルマはリハビリセンターの中で数字になる。母親の名前は、掲示板の紙より先に町のどこかで薄くなる。
残れば、敵は町全体になる。
答えは簡単だった。簡単すぎて、計算と呼ぶほどのものではない。
ドギョムはコーラの缶を足元へそっと置く。金属が水たまりに触れ、冷たい円を作る。左手の指がポケットの中で二十五セント硬貨を挟む。親指の腹と人差し指の爪で、縁の刻みを確かめる。
街灯までの距離。高さ。笠の角度。雨粒の重さ。割れたあと、二人が本能で拳銃へ手を伸ばすまでの時間。
十二秒。
ミゲルが泣きながら息を吸う。細身の男がもう一度、指を反らせようとする。
その瞬間、ドギョムは影の中で硬貨を爪先にかける。
硬貨の縁が、濡れた闇の中で一度だけ白く光った。
法が遅すぎる町で、今日倒すべき悪党を倒す男
6話 十二秒の闇と応答不能
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