倉庫長の「なかったことにする」という言葉は、事務室の蛍光灯より冷たく落ちた。
ソンロクは配送表を見下ろしたまま、すぐには返事をしなかった。釜山。下請け部品工場。到着予定、二十三時四十分。出発欄は空白。運転手欄も空白。車両番号だけが鉛筆で薄く書かれ、いつでも消せるように見えた。
「聞こえなかったのか」
倉庫長が机を叩いた。
「ソウルで会長車を運転していたんだろう。夜道くらい走れるはずだ。ここで初日から使えないと言うなら、明日の朝には本社へ報告する」
その一言で、ソンロクの肩がわずかに沈んだ。会長車から外され、牙山へ飛ばされたばかりだった。ここで拒めば、今度は左遷では済まない。ジョンヒがまだ荷ほどきもしていない部屋、保証金を失いかけた半地下、路地で拒んだ保安念書が、ジェユンの頭の中で短く並んだ。
父は会社を信じていた頃の人間ではない。だが、家族を食べさせるための仕事を失う恐怖だけは、紙を読めるようになっても消えない。
「車両点検をしてから出ます」
ソンロクの声は低かった。従う言葉だったが、完全に折れた声ではなかった。
倉庫長は鼻で息を吐いた。
「点検も書くな。今夜の分は明日の朝の通常便に混ぜる。釜山で何か聞かれても、部品の確認に寄っただけと言え」
ミョンスが警備詰所の窓際で息を呑んだ。左手に巻いた布の端が、また赤く湿っている。スネは食堂の戸口から顔だけを出し、鍋の湯気に半分隠れていた。下請け運転手たちは、長机から目を上げない。皆、聞いていない顔をすることに慣れていた。
ジェユンはノートを抱えたまま、事務室の壁へ視線を移した。
そこには、ソウル本館の役員予定表よりずっと粗い紙が何枚も重なって貼られていた。入出庫配送表。部品工場別連絡先。夜間出入り許可車両。運転手宿舎の部屋割り。臨時職食堂の納品時刻。釜山、昌原、大田、天安、平沢。赤や青の線で結ばれた地名は、会長専用車一台の動線よりはるかに広く、細かかった。
本館の高い階からは見えなかったテガンが、ここでは壁一枚に収まっていた。
部品を作る工場。火が出ても契約元を問われる作業員。夜中に呼ばれる下請け運転手。怪我をしても薬局で済ませる警備員。冷えた飯の責任だけを自分で背負わされる食堂の女。会長車の扉を開ける者たちより低い場所で、彼らは毎日、グループの巨大な体を押している。
『父さんをここへ追いやったのは、僕だ』
その罪悪感は、まだ消えていなかった。だが同時に、ジェユンは理解していた。ここへ落とされたからこそ見える線がある。秘書室の机ではなく、この古い倉庫の壁の前でなければ拾えない名前がある。
ジェユンは一歩近づき、ソンロクの袖を静かに引いた。
「父さん」
ソンロクが横目で見た。倉庫長の視線も刺さる。
「今日の運行であれ、何であれ……記録は必ず残してから行かなければなりません」
子どもの声としては小さすぎ、前世の秘書の声としては遅すぎる言葉だった。ソンロクは一瞬だけ眉を寄せた。止めようとしたのか、同意しようとしたのか分からない。その間に、倉庫長が怒鳴った。
「余計なことを言うな。子どもは外へ出ていろ」
「僕が書きます」
ジェユンはノートを開いた。夕方にミョンスの傷を書いた次の行へ、日付をもう一度強く書いた。鉛筆の芯が紙に食い込む。
忠南牙山第三倉庫。釜山下請け部品工場。夜間運行。出発前指示。公式日誌なし。
ソンロクの手がわずかに動いた。止めるためではなかった。机の端に置かれた古い運行補助簿を、自分のほうへ引き寄せたのだ。倉庫長の顔色が変わった。
「パク・ソンロク」
「車両番号だけ確認します」
「書くなと言っただろう!」
その瞬間、壁際の無線機が割れるように鳴った。
ザーッという雑音の後、若い男の声が飛び込んできた。早口で、息が切れている。
「第三倉庫、応答願います! 釜山第一協力、塗装ライン側で火災発生! 煙が倉庫棟に入っています。負傷者あり、人数確認中!」
事務室の全員が固まった。
倉庫長が無線機へ飛びついた。
「何をしていた! 消火は」
「下請け側が初期消火中です。救急車を呼ぶか確認を——」
「勝手に呼ぶな!」
倉庫長の声が、無線機の雑音を押しつぶした。
「責任者を出せ。負傷者は工場内で確認しろ。テガンの荷はどうなっている」
無線の向こうで、誰かが咳き込んだ。別の声が「一人、意識が薄い」と叫ぶのが混じった。スネが口元に手を当てた。ミョンスは血の滲む手で窓枠を握り、顔を青くしていた。
ジェユンの鉛筆は、日付の横で止まっていた。
火災。負傷者。救急車。公式日誌なし。
前世で何度も見た順序だった。最初に人を運ぶのではなく、まず責任の線を消す。電話の記録を残さず、車を表に載せず、負傷者の名前を書かせる前に、確認書を出す。そこまで進めば、怪我をした者はいつの間にか自分で転んだことになる。
倉庫長はマイクを叩きつけるように置き、ソンロクへ振り返った。
「今すぐ出ろ。釜山だ。部品も人も、現場に着いてから確認する。ここで記録なんか残すな。お前が書けば、ここの指示になる」
ソンロクは運行補助簿へ手を置いたまま、動かなかった。
「負傷者がいるなら、搬送先も必要です」
「お前は医者か? 運転手だろうが。走れと言われたら走れ」
「公式でないなら、事故が起きたとき誰が——」
「だから公式にしないんだ!」
倉庫長の怒鳴り声で、薄い窓ガラスが震えた。
ジェユンはその言葉を聞いた瞬間、腹の底が冷えていくのを感じた。隠すために公式にしないのではない。公式にしなければ、隠す必要すらなくなる。最初から存在しなかった車。存在しなかった指示。存在しなかった火災。存在しなかった負傷者。
「ノートを閉じろ」
倉庫長がジェユンへ歩いてきた。
「ここに来た初日から、本社の真似ごとか。子どもの落書きで倉庫を潰す気か」
ソンロクが一歩前へ出た。
「息子に触らないでください」
声は大きくなかった。だが事務室の空気が、さっきとは別の硬さに変わった。ミョンスが警備詰所から半歩出た。スネも戸口を越えた。誰も倉庫長に逆らう言葉は持っていない。けれど、誰も完全には目を伏せていなかった。
ジェユンはノートを閉じなかった。鉛筆の先をもう一度紙へ置いた。
車両番号を、壁の鍵札から写す。二三七。運転手、パク・ソンロク。無線受信、釜山第一協力、火災、負傷者あり。
手が震えた。子どもの小さな指だからではない。書いた瞬間から、この紙は父を守る盾にも、父を狙う刃にもなるからだった。
倉庫長の手が、ノートへ伸びた。
そのとき無線機が再び鳴った。
「第三倉庫! 負傷者三名、うち一名搬送できません! 工場長が、確認書を先に取れと言っています。救急車はまだ——」
言葉の最後は、激しい咳と雑音に呑まれた。
ジェユンのペン先が、ノートの上で固まった。
記録がなければ、何が起きてもなかったことになる。だが今この瞬間、なかったことにされようとしているのは、父の運行だけではなかった。釜山の煙の中で息をしている誰かの名前そのものだった。
財閥家の末息子ではなく、財閥家の運転手の息子に転生した
21話 火災現場の白紙確認書
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