待合室の視線は、電話線の先より重かった。
ジェユンは受話器を耳に当てたまま、壁時計とノートを交互に見た。三時四十二分。六時まで二時間十八分。大田から釜山まで、普通に走れば間に合わない。故障車が路肩で動けないなら、なおさらだった。
「ミョンスさん、壁の配送表、見えますか」
「見える。倉庫長が横で怒鳴ってる」
「釜山行きの空車じゃなくて、牙山へ戻る空トラックを探してください。今、大田より南にいる車」
電話の向こうで紙をめくる音がした。ジェユンは病院の公衆電話の台にノートを置き、釜山第一協力の事務室で見た入庫表を思い出した。焼けたブラケットの代替品。核心部品。大田近くで停止。車両は自走不能。荷は軽くないが、箱単位で移せる。
「……ある。天安から部材を降ろして、牙山へ戻る十二トン。運転手はキム・ドンパル。いま大田インターの手前だって」
「その人の連絡先」
「壁にある。けど、あの人はテガンの専属じゃない」
「だから動きます」
ミョンスが一瞬黙った。横から倉庫長の「何を言ってる!」という声が割り込んだが、ミョンスは受話器を押さえたらしい。雑音がこもる。
ジェユンは次の行を書いた。空トラック、キム・ドンパル。大田インター手前。牙山戻り。
「故障車の場所は」
「新灘津(シンタンジン)を過ぎたあたりの路肩。エンジン焼け。運転手は動かせないって言ってる」
「近くの修理所。レッカー車を持っているところを探してください。配送表の横に、修理連絡先が貼ってありました」
「お前、あれまで覚えてるのか」
「見えた分だけです」
ジェユンは息を短く整えた。病院の床に座り込んでいたビョンホの妻が顔を上げ、ソンロクはすでに立っていた。父は何も言わない。けれど、その沈黙は止めるためのものではなかった。
ミョンスが叫ぶように番号を読み上げた。大田修理所、夜間担当、レッカー一台。ジェユンはそれを復唱し、受話器を置かずに硬貨を追加した。交換台を通す時間が惜しい。指先は冷えていたが、番号を押す動きだけは乱れなかった。
修理所の男は寝起きの声で、最初から面倒そうだった。
「テガンの荷? 正式な依頼書は」
「依頼書は朝になります。今は故障車を路肩から修理所まで牽引してください。荷を降ろす場所が必要です」
「子どもか? 大人を出せ」
ジェユンは受話器をソンロクへ渡そうとした。だが父は首を振った。お前が続けろ、という目だった。
「レッカー代は第三倉庫から出ます。車両番号と担当者名を残します。今出れば、四十分以内に現場へ着きます」
「誰が保証する」
「到着時刻を修理所の伝票に書いてください。あとで消されるより、請求しやすくなります」
電話の向こうで、男の呼吸が変わった。金より先に、書ける伝票を欲しがる人間の沈黙だった。
「……場所を言え」
ジェユンはノートを見ながら、故障車の位置を伝えた。次に空トラックの運転手へつないだ。キム・ドンパルは最初、戻り便だから関係ないと断った。
「荷を積み替えるだけです。釜山第一協力の夜間警備の交代は五時十分前後です。その前に門を通れば、検収担当が残っています」
「なんでそんなことを子どもが知ってる」
釜山の門で見た警備員の交代札、工場事務室の壁の小さな勤務表。ジェユンはそこまで説明しなかった。
「今なら、あなたの戻り道を少し曲げるだけです。六時を過ぎれば、ライン停止の責任が故障車と運転手に全部乗ります」
受話器の向こうで舌打ちがした。
「場所を言え。だが俺は荷崩れまで見ないぞ」
「故障車の運転手と修理所のレッカーが立ち会います。箱番号を読み上げてください。ミョンスさんが第三倉庫で書きます」
ソンロクが低く口を挟んだ。
「ジェユン、牽引した車から荷を移すなんて無茶だ。夜道で箱を落としたら、全部こっちの責任になる」
「修理所の敷地で移します。路肩ではなく、伝票の出る場所で。箱番号を読み上げて、荷を受け取った運転手の名前を残します」
「それでも危ない」
「危ないです。けど、工場の確認書よりはましです」
ソンロクは言葉を失った。さっきの白紙確認書が、父の中にもまだ残っていたのだろう。責任はいつも、動いた人間ではなく、名前を書かれた人間へ落ちる。ならば先に、正しい順番で名前を書かせるしかない。
病院の公衆電話を占領したまま、ジェユンは三本の電話をつないだ。第三倉庫のミョンス、修理所のレッカー、空トラックのキム・ドンパル。最後に釜山第一協力の夜間警備室へかけ、五時前に代替部品を積んだ車が入るとだけ伝えた。
相手は眠そうな声で、「工場管理者からは聞いてない」と言った。
「ライン停止を避ける部品です。門前で止めるなら、警備日誌に止めた時刻と理由を書いてください」
沈黙のあと、紙を引き寄せる音がした。
「車両番号は」
ジェユンはキム・ドンパルの車両番号を読み上げた。夜間警備員はそれを繰り返し、「四時五十分を過ぎたら交代で引き継ぐ」とだけ言って切った。
その時、ミョンスから折り返しが入った。声は荒く、息が弾んでいた。
「レッカー、出た。倉庫長が俺の受話器を奪おうとしてる。どうする」
「奪われる前に、読み上げた番号を警備日誌の裏に書いてください。スネさんにも同じものを渡して」
「分かった。お前、病院から戻れるのか」
「父さんと戻ります」
ソンロクがその言葉に目を細めたが、否定はしなかった。
三時台の終わり、待合室の空気はもう事故の余韻だけではなかった。スネが手配した運転手は、病院の椅子に座ったまま自分の知る大田の抜け道を口にした。工場の作業員も、釜山門前の待機場所を教えた。誰かが一つ言うたびに、ジェユンは短く書き、必要なものだけを拾った。
四時三十七分、修理所から連絡が入った。故障車を敷地へ入れた。エンジンは完全に焼けている。荷台は無事。箱番号を読む。
ジェユンは受話器を握り直した。
「読み上げてください」
男の声が、眠気をなくしていた。木箱の番号、封印、個数。隣で別の男が復唱し、キム・ドンパルの低い声が受け取ったと続く。電話線の向こうで、夜明け前の修理所に人の足音と金具の音が重なった。
五時二十二分、釜山第一協力の門から電話が来た。
「車、入った。箱も数えた。確認署名だけ残す」
工場管理者ではなかった。夜間警備の男だった。彼は詳しい事情を聞かなかった。聞けば自分の責任欄が増えることを知っている声だった。
「署名者名を教えてください」
「ムン・ギョンシク。釜山第一協力、夜間警備」
ジェユンが復唱すると、男は短く言った。
「電話、切るぞ」
それだけだった。だが十分だった。部品は門を通り、ライン停止の責任は、誰か一人の背中へ押しつけられる前に流れを変えた。
朝が白み始める頃、ジェユンとソンロクが第三倉庫へ戻ると、門の前でペ・ミョンスが眠っていない顔で待っていた。左手の包帯はほどけかけ、右手には警備日誌の切れ端が握られている。
「入ったって。釜山から確認来た」
「はい」
「はい、じゃないだろ。お前、何者だよ」
ミョンスは笑おうとして、うまく笑えなかった。そこへ食堂裏からチョ・スネが顔を出した。前掛けには水の染みが広がっている。
「ジェユン、あとで天安の病院の番号も見てくれない? 食堂の納品の人の腰が悪いのよ。あんたなら、夜間受付に話が通じそうだから」
言ってから、スネは自分で少し驚いた顔をした。ミョンスも視線を逸らし、ぼそりと言う。
「俺の薬局の領収書も、どこに出せばいいか……あとで聞いていいか」
二人とも、頼み方を知らない顔をしていた。昨日まで子どもとして遠ざけていた相手へ、いま小さな用事を差し出している。その変化は大きな声では起きなかった。倉庫の壁に貼られた配送表の端が、朝の風でかすかに揺れるほど静かに、ジェユンの立つ位置だけが少し動いた。
だが事務室の扉が開いた瞬間、その静けさは切れた。
倉庫長が出てきた。腹の出た作業服の胸に、テガン物流第三倉庫長の刺繍が暗く光っていた。目はソンロクではなく、まずジェユンのノートへ落ち、それから父へ向かった。
「パク・ソンロク。中へ入れ」
ソンロクの肩が、はっきりこわばった。
「勤務前の確認ですか」
「扉を閉めて話す」
倉庫長の声は怒鳴っていなかった。だからこそ、ミョンスが息を止めた。スネも鍋の柄を握ったまま動かなかった。
ソンロクは一度だけジェユンを見た。大丈夫だと言うには、唇が固すぎた。父が事務室へ入ると、倉庫長は内側から静かに扉を閉めた。
厚い扉の向こうで何を話しているのかは聞こえない。けれど磨りガラス越しに見えるソンロクの背中は、運転席で急ブレーキを踏む直前のように、固く張りつめていた。
財閥家の末息子ではなく、財閥家の運転手の息子に転生した
24話 切れないつながりの手帳
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