赤い録音ランプが灯った瞬間、ミンジェは端末を机へ伏せた。見れば応答になる。だが録音はもう始まっていた。薄い金属板の下から、微かな駆動音が薬局裏の倉庫に広がる。
電話の向こうでは、ギジュンの喉がまだ何かを読んでいた。意味のない音ではない。意味がありすぎるからこそ、本人の意思が入る余地がなかった。
「四階へ行きます。誰もこの端末に触らないでください」
ミンジェは予備の録音機をつかみ、階段へ走った。二階と四階のあいだの踊り場を抜ける時、壁の奥で古いテープが一巻き戻る音がした。背中を押す合図のようだった。
四階礼拝堂の扉は半分開いていた。廊下の蛍光灯は暗く、祭壇側だけが不自然に白い。ギジュンは扉の内側で壁に片手をつき、もう片方の手で喉を押さえていた。痩せた頬は土色になり、目だけがミンジェを見つけて助けを求めた。
それでも口は動いていた。
「閉じた息は、七つの硬貨を越え、返されぬ名を数え、聞く耳の奥へ置かれる」
ミンジェは録音機のマイクを直接向けなかった。礼拝堂の床へ置き、反射音だけを拾う角度にする。原本を受けすぎれば、こちらの耳まで入口になる。出力を切り、波形表示だけを生かした。
「ソ牧師。目だけで答えてください。自分で読んでいますか」
ギジュンの瞳が激しく横に揺れた。『いいえ』だ。
「言葉の意味は分かりますか」
今度は、揺れが止まった。『分からない』と。だが喉だけは、知らないはずの音節を正確に並べていた。
「声を止めようとしないでください。喉に力を入れると、向こうが形を取ります。息を浅く、短く」
ギジュンは壁を掻くように指を曲げた。爪が古い壁紙を削る音に重なり、最後の一節が押し出される。
「耳を持つ者は、次に口を貸せ。口を貸す者は、鍵の内側で録られる」
そこで彼の膝が折れた。ミンジェは肩を支え、床へ座らせた。ギジュンは荒い息を何度も吸い、ようやく自分の声で言った。
「私の声では、ありませんでした」
「分かっています」
「喉の奥に、誰かが手を入れているようでした。言葉が私を通って出ていく。私が知らない祈りなのに、舌だけが道を覚えている」
彼は壁に背を預けようとして、また手をついた。震える指先が、壁の向こうの何かを確かめていた。
「あれは祈りではない。扉を開けるための、数え歌です」
ミンジェは返事をせず、録音機を止めて波形を保護領域へ複製した。再生はしない。画面の音節分割だけを見る。ギジュンの喉から出た文は、普通の発話より呼吸の切れ目が少ない。息継ぎの位置は硬貨七枚ごとの停止と一致し、強く出る子音はミシン音の三拍と同じ間隔で刻まれていた。
薬局裏へ戻ると、黒板の前でセヨンとジョンフン、ボンレが黙って待っていた。伏せた端末の赤ランプは消えていたが、画面には短い録音ファイルが残っていた。ミンジェはそれも開かず、四階で取った波形と並べる。
目録画像の「ソ・ギジュン、祈祷文の最初の朗読」の行は完全に黒く反転していた。右端の宿主確認欄の下に、細い注記が浮かんでいる。
原本照合済。
ミンジェは目録の余白に記録されていた原本波形の縮小図を拡大した。前に見た時は滲みで潰れていた線が、ギジュンの朗読後、針でなぞったように鮮明になっている。二つの波形を重ねると、母音の長さ、破裂音の立ち上がり、息を吸わずに続く場所まで、音節単位でずれがなかった。
ジョンフンが低く言った。
「本人の記憶を奪うだけじゃない。本人を再生機にしたんですか」
「はい。装置はリールを回す段階を越えました。原本の音を、人の喉を使って回収しています」
セヨンが薬棚に手を置いた。
「次の朗読先、未定って……誰でも、そうなるんですか」
「耳で形を取った人間が危ない。聞いて理解しようとした人、記録しようとした人、声を戻そうとした人です」
全員の視線がミンジェへ向いた。彼は否定しなかった。鑑定士の耳は、こういう時いちばん深く音へ入り込む。
彼は携帯を取り出し、市役所のヒョンジュへ送る暗号化ファイルを選んだ。祈祷文の波形、目録の宿主確認欄、ギジュンの証言メモ。警察相談窓口へも同時に送る設定にする。もう建物内だけで閉じる段階ではない。
送信ボタンへ指を置いた時、倉庫の天井スピーカーが乾いた音を立てた。
次に鳴ったのは、ペク・ドヒョンの声だった。
「入居者の皆さん。建物内で確認されている音に関する未確認情報を、外部へ流さないでください」
低く、丁寧で、刃物のように冷たい声だった。薬局だけではない。廊下、階段、二階教室、四階礼拝堂、五階のどこかからも同じ声が重なって聞こえる。
「虚偽の騒音証言、営業妨害、賃貸借契約上の信用失墜。根拠のない通報は、各店舗と各施設の補償協議に重大な影響を与えます。薬局の営業権、塾の登録、祈祷院の賃貸継続、すべて正式な確認対象になります」
セヨンの顔が強張った。ジョンフンは拳を握り、ボンレは唇を噛んだ。脅しは露骨ではない。だからこそ逃げ道を塞いでいた。生活そのものを人質に取る声だった。
「外部の者に誘導され、不確かな音を事実のように語った場合、管理組合は損害について個別に対応します。繰り返します。音に関する証言を、外へ漏らさないでください」
スピーカーが切れた。倉庫には冷蔵庫の唸りだけが戻った。
ミンジェは送信を中断しなかった。だが進行バーは一パーセントで止まり、すぐに「通信失敗」と表示された。別回線も同じだった。警告と同時に、建物の中だけで通信が細く絞られている。
「地下電気室を開けます」
ミンジェは立ち上がった。
「そこが3F-共用の電力線につながっています。ギジュンさんの宿主確認も、スピーカーも、同じ系統から出ています。今すぐ再調査が必要です」
廊下へ出ると、管理室側からドヒョンが歩いてきた。整った顔の目の下に黒い影が濃く、手には外された古い錠前と工具袋があった。
「電気室は現場保存のため閉鎖します」
「閉鎖ではありません。証拠隠しです」
「違います。あなたが勝手に触って事態を悪化させた場所を、これ以上壊させないだけです」
ミンジェは地下へ向かった。ドヒョンは止めなかった。だが地下電気室の扉には、すでに見慣れない銀色の錠前が掛けられていた。セヨンの予備鍵は鍵穴に入らない。ドヒョンは一段上から、丁寧に言った。
「これで、誰も入りません。もちろん、あなたもです」
その夜、ミンジェは薬局裏ではなく地下階段の踊り場で待った。送信できなかったファイルを外へ出す方法を考えながら、扉の隙間へ接触マイクを当てる。午前零時四十分まで、まだ一時間以上あった。
だが、閉ざされた電気室の内側で、先に音がした。
小さな電子音。続いて、赤いランプが点く時の、あの微かな駆動音。
ミンジェは自分のバッグを開けた。右側のポケットが空だった。四階で使った予備録音機が、どこにもない。
錠前の向こうで、彼の録音機がひとりでに起動した。暗い扉の下から、細い赤い光が一筋だけ漏れた。次の瞬間、録音開始を告げる機械音声が、内側からミンジェの名を読み上げた。
誰も上がれない三階から、午前零時四十分に僕の名を呼ぶ声がする
27話 CCTVの少年と地下の錠前
次の話