「見るな」と言ったあとも、ソンロクは封筒を内ポケットへ戻せなかった。
裸電球の下で、青い角印だけが妙に濃く浮いていた。ジョンヒは濡れた洗濯物を握ったまま夫と息子を見比べたが、言葉を選べずに黙った。狭い半地下の部屋では、沈黙も逃げ場をなくす。
ソンロクはやがて封筒を上着の奥へ押し込み、食卓の椅子をわざと大きく引いた。
「俺は体を洗ってくる。お前は寝ろ」
共同の洗い場へ向かう足音が廊下に消えるまで、ジェユンは動かなかった。ジョンヒが奥で洗濯物を干し直す音を聞きながら、彼は枕元へ置かれた上着を見た。父は疲れていた。内ポケットを完全に閉じる余裕もなかった。
『今しかない』
ジェユンは膝をつき、上着を持ち上げた。封筒の紙は安い茶色で、湿気を吸って端が少し波打っていた。糊は一度貼られた後、誰かが開けたように弱くなっている。破れば終わりだ。彼は爪を使わず、折り目を押し戻すようにして口を開いた。
中から出てきたのは給与明細に似た細長い紙だった。上段にはパク・ソンロクの名前、社員番号、所属車両班。基本給、夜間手当、待機手当、食代補助。数字は先月、父の古い明細で見たものとほとんど変わらなかった。
だが一番下の実支給額だけが違った。
ジェユンは息を止めた。基本給と手当の合計は同じなのに、手取りだけが明らかに減っている。控除欄の末尾に、見慣れない項目が一つ増えていた。
福利基金先控除。
その横に、小さな活字で社内振替と添えられていた。目立たない。数字の列に紛れれば、疲れた運転手は見落とすかもしれない。説明を求めても、福利厚生の調整だと言われれば黙るしかない。前世で見た書類の言葉が、今は父の給料に直接噛みついていた。
ジェユンは明細を裏返した。裏面には説明欄があり、福利基金の一時的な先控除、後日精算、管理チーム承認済みという文が並ぶ。肝心の精算日だけが空白だった。承認印はテガン建設管理チーム。運転手の所属は会長車両班なのに、金の出口だけ建設側が握っている。
『給料を遅らせているんじゃない。先に抜いている』
廊下の遠くで水音が止まった。ジェユンは明細を元の折り目どおりに戻し、封筒の口を押さえた。紙の角が少しずれた気がして、もう一度整える。小学生の指は細く、前世の随行秘書の手ほど早くは動かなかった。
ソンロクが戻ってきたとき、ジェユンは床で鉛筆を削っていた。父は上着を一瞥し、何も言わずに枕元へ引き寄せた。濡れた髪から水が落ち、畳んだ布団に小さな染みを作った。
翌日、ジェユンは学校の終わる鐘を待ってから、まっすぐ家へ帰らなかった。ランドセルを背負ったままバスを二つ乗り継ぎ、テガン本館前の通りで降りた。ガラス張りの本館は午後の光を受けて白く見えたが、その下を出入りする人々の顔は暗かった。
本館の向かいにある軽食店は、運転手や警備員が急いで昼を済ませる店だった。ジェユンは隅の席に座り、キンパを一皿だけ頼んだ。店のおばさんは制服姿の子どもを見て首をかしげたが、金を先に出すと何も言わなかった。
正午を少し過ぎると、運転手たちが二人、三人と入ってきた。黒い上着を椅子に掛け、熱いスープをすすりながら声を落とす。ジェユンは箸を動かし続けた。聞いている顔をしてはいけない。
「今月も変だろ。明細の額と通帳が合わない」
「福利基金だとよ。先に控除して、あとで戻すって」
「戻す日を聞いたら、管理チームに聞けって言われた。うちは車両班なのに、なんで建設の管理チームなんだ」
別の男が鼻で笑った。
「協力会社の決済口座を一回通すらしい。テガン建設の下請けに支払う金と同じ箱だってさ」
「誰がそんな話をした」
「経理の女の子が間違えて伝票を見せたんだ。運転職給与一部、社内振替、協力会社決済口座経由。小さい字で書いてあった」
空気が沈んだ。スプーンが器に当たる音だけが続いた。
「退職金まで触るんじゃないだろうな」
「そこまではしないだろ。いくら何でも」
その言葉に、誰もすぐ同意しなかった。
ジェユンは最後のキンパを口に入れ、ゆっくり噛んだ。福利基金先控除。社内振替。協力会社決済口座。ばらばらだった単語が、父の明細の数字へ戻っていく。テガン建設は銀行から借りる前に、低い場所の金を自分たちの口座で一度濁らせようとしている。
店を出るとき、運転手の一人がジェユンの制服に目を留めた。
「おい、あの子、ソンロクさんの息子じゃないか」
ジェユンは振り返らなかった。通りの信号が青に変わるのを待ち、そのまま人波に紛れた。
夕方、半地下の扉を開けた瞬間、空気がすでに固まっていた。ソンロクが食卓の前に立っていた。上着も脱いでいない。ジョンヒは台所の端で不安そうに手を拭いている。
「お前、今日どこへ行った」
声は低かったが、押し殺した怒りが入っていた。
「学校です」
「学校のあとだ。本館の前にいたそうだな」
ジェユンはランドセルを下ろした。嘘を重ねる意味はなかった。軽食店で見た運転手が父に伝えたのだろう。会社の近くで息子がうろついている。それだけで、父には十分すぎる危険だった。
「少し寄りました」
「少し?」
ソンロクの声が荒くなった。
「お前には関係ない。会社の金も、俺の給料も、大人が何とかする。子どもが本館の周りをうろつくな。誰に見られるか分からないんだぞ」
「見られました」
「分かってるなら、なぜ行った!」
食卓の上の湯飲みが震えた。ジョンヒが小さく「あなた」と呼んだが、ソンロクは聞かなかった。怒っているのは息子が言いつけを破ったからだけではない。封筒を見られ、疑いを口にされる前に、父として押し戻したかったのだ。
ジェユンは父を見上げた。小学生の体では、ソンロクの肩は大きく見える。だがその肩が今、会社の名前に押されてわずかに丸まっていることも見えた。
「父さん」
「何だ」
「今月の給料はいつ全部入るの」
部屋が静まり返った。
ソンロクの目が一瞬揺れた。怒鳴り返せる問いではなかった。会社を疑うなと言うことはできる。子どもが首を突っ込むなとも言える。だが足りない金をいつ受け取れるのか、その答えだけは、彼も持っていなかった。
「来週だ」
「誰が言ったんですか」
「会社がそう言った」
「会社の誰ですか」
ソンロクの口が開き、閉じた。チャン・ムンシクでも、管理チームでも、経理でもない。誰かが責任を持って言ったわけではない。ただ待てと言われただけだ。ジェユンにはそれが分かった。
父は最後まで答えられなかった。
その夜、三人は同じ部屋にいながら、別々の方向を向いて横になった。ジョンヒは何度か寝返りを打ち、ソンロクは目を閉じたまま長く起きていた。ジェユンも眠ったふりをした。父子がテガンの話で初めて背を向け合った夜だった。
やがて父の呼吸が深くなった。疲労が警戒を押しつぶしたのを確かめてから、ジェユンは布団を抜け出した。音を立てないようにたんすの前へ行き、上に置かれた古い書類箱へ手を伸ばす。箱は思ったより重かった。彼は胸で受け止め、ゆっくり床へ下ろした。
中には古い給与封筒が日付もなく積まれていた。角が折れ、油の匂いが染み、何度も開け閉めされた跡がある。ジェユンは一枚ずつ床に並べた。控除額は小さく増え、戻った形跡はない。月ごとの線は、誰かの手でわざとぼかされていた。
一番下の封筒だけ、色が少し違った。端に鉛筆の跡が残っている。
ジェユンは指先で埃を払った。
封筒の片隅に、父の字ではない硬い筆跡で、短くこう記されていた。
退職金担保。
福利基金ではなかった。給与の遅配でもなかった。テガンはすでに、まだ受け取ってもいない父の未来の金に手をかけていた。
財閥家の末息子ではなく、財閥家の運転手の息子に転生した
7話 退職金担保同意書の罠
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